緑間真太郎という男は、偏屈な人間である。彼を知る者ならば皆口を揃えてそう言うのだろう。ツンデレ、我が儘、唯我独尊、変人。形容する言葉なら幾つも出てくるが、誰もが似たような印象であった。何しろ彼と三年間過ごしてきたチームメイトにさえ、苦手と評される男なのだ。勿論、緑間自身も周囲の認識を理解している。理解していて尚、彼がいっそその清々しいまでの態度を変えることはありえない。
 緑間真太郎は聡い人間である。自身の存在が周囲にどのような変化をもたらすのか知っている。緑間の一挙手一投足にただ戦々恐々と見守る周囲を、微動だにできぬ状態へと追いやり続けていることも。苦汁を飲むことすら許されず、現実に向き合うことから恐れ、バスケをやめる幾人もの屍の上に立って、美しい放物線でもって決定的な絶望をひたすらに撃ち込み続ける意味も。もはや執念とも呼ぶべき徹底した努力に裏付けされた運命論も。
 そして、自身を見つめる二つの鋭い目が、どんな熱量を持って射抜いているのかも。



 高尾和成は、困っていた。それはもう、今世紀最大の困惑ぶりだった。(まだ5分の1も生きていないが)ありがた迷惑なことに普段から変人なエース様に振り回されるおかげで、無駄に笑い飛ばすという名のスルースキルが向上している高尾でも笑っていられない事態であった。
 高尾はそろりと自身よりも僅かに低い位置にある顔に目線を下げる。正面には確かに女子生徒から可愛いと評判の一応先輩の姿。しかし、どれだけ可愛かろうと、彼はまかり間違っても異性ではない。れっきとした男だ。彼は、これまた時代遅れを感じさせる綺麗な便箋を差し出している。取り巻きの少女の誰かから頼まれたのか、と思いたかった。残念ながらその考えは、高尾がこの告白スポットとして有名な中庭に呼び出された初っ端から本人によって否定されてしまったわけだが。小動物のようにプルプルと震え涙目になって、聞いている高尾がこっ恥ずかしくなる、つらつらと並べられる高尾の好きなところ。最後に思い余ったように告げられたのは好きです付き合ってくださいのテンプレートな台詞。
 勿論、高尾は断るつもりだ。しかし、女の子からの告白を断ったことのある高尾もさすがに同性から愛の告白を受けたことはないらしい。こういうとき、どう断るべきか。なんとも遺憾なことに嫌悪感はさほど湧かない。別に高尾自身が同性愛者というわけではない。これは極一般的な感想だろう。まるで女の子のような、下手をすればその辺の女子高生よりよっぽど女子力の高いハニーフェイスに告白されれば、同性からの好意に気持ち悪いと感じるよりも先に嬉しいと思ってしまうのは致し方ない事象ではなかろうか。だから、というわけでもないが、高尾はできるだけ傷つかない断り方を脳内フル回転で必死に考えている。

「あー…っと…その、俺、他に好きな人、いるんで」

「え」

 結果、咄嗟に出たのは言い訳としてかなり無難な台詞だった。嘘ではない。しかし、それが悪かったのか、彼の愛らしい丸く大きな瞳が歪み、次々と涙が溢れ出した。高尾は彼とどことなく似ていると評価を下した唯一のライバルを思い出して、小さく嘆息する。黒子は見た目に反して誰よりも男前だ。少なくとも、振られて泣き出すなんて情けない真似は絶対にしないだろう。 堰を切ったように嗚咽を漏らす彼に気づいたのか、取り巻きらしき少女達がわらわらと飛び出してくるのを横目に、高尾は半笑いで眺めていた。頭の後ろで手を組み、その中に見覚えのある少女の一人を目敏く見つけ、疲れたようにため息を吐いた。



 高尾和成は緑間真太郎が嫌いだった。中学時代の話だ。当時無敗を誇っていた帝光中学との試合が行われた。高尾の中学も決して弱くはない。それでも、部員数が百を越える帝光にとって取るに足らない相手であったことは否めない。高尾の中学はレギュラー達の全身全霊を懸けた試合であった。対して帝光側のスターティングメンバーは全員二軍以下という、嘗められていると憤っても仕方ないものだった。前半、高尾のチームは帝光相手にしてかなり点を抑えられているといえた。このまま流れを持っていけば、もしかしたら、という空気がじわじわとチーム内にも広がり始めた頃。奴が、現れたのだ。まるで嵐のようだったと高尾は今でも苦々しく思い出す。奴は、緑間真太郎は、たった第3クォーター目にして、一気に高尾のチームを二度と這い上がれない絶望の淵へと叩き落としたのだ。

 高尾は、初めて見たその美しい放物線に、心底見とれていた。試合中だということを忘れていたわけではない。寧ろ、高尾の心中を支配したのは、この男に必ず自分を認めさせてやりたいといった純粋なスポーツマン故の欲だった。それから、中学ではひたすらに緑間真太郎へ雪辱を晴らすため必死に努力してきた。吐いても泣いても唇を噛んで堪える日々。高尾和成にとって、バスケは緑間を越えるための手段へと変わっていた。
 高校に進学、高尾はそこで初めて本当の絶望を味わう。秀徳高校、緑間真太郎は真新しい学生服に身を包み、中学の頃と変わらぬ立ち姿でもって、新入生として佇んでいた。高尾はその時、確かに運命を恨んだ。皮肉にも、高尾がひたすら追い掛け続けた男の人事を尽くした結果の運命だとも知らずに。

 高尾和成は、緑間真太郎に惚れていた。気づいたのは、インターハイの予選が終わってすぐの頃だ。高尾は中学から緑間にリベンジを果たすべく努力してきた全てを否定され、ならばと緑間の隣に立つことを選んだ。打算がなかったわけではない。キセキの世代を獲得するということは則ち、この三年間緑間が絶対的なエースなのだ。高尾は決してエースにはなれない。元来サポートポジションの高尾にとって、その選択はごく自然なものであったし、同時に緑間とポジションが被らなかったことも立ち直る原因と相成った。高尾は、鷹の目という才能を持ち合わせていた。長距離スリーを得意とする緑間にとってその才能はとても相性がよかった。高尾はその才能の上に胡座をかくという真似は決してしなかった。エースの相棒として隣に立つために、誰よりも努力を重ねた。そして、一年にして異例とも言える二人目のレギュラー入りを果たしたのだった。
 始めは当然ながらやっかみばかりだった。上級生ながらぽっと出の一年にあっさりとレギュラーの座を奪われ、腹が立たないわけがない。実際、ベンチを温める三年の中にはポイントガードとしてなら高尾よりも遥かに実践を積んでいる優れた選手も多くいた。同じ一年からは、緑間に媚びを売りレギュラー入りしたのだとか。緑間と相性がいいだけでただの凡人の癖に、と。レギュラーである宮地や木村は、高尾がただ緑間と相性がいいというだけで監督がレギュラーに選ぶはずがないと分かっていたし、確かに緑間はせめてエースでなければと考えるほど面倒な人間で、高尾はそれを上手くフォローのできる価値のある男だとも評価していたが、だからといってそう簡単に自分達と同じ土俵に上がるなど許すはずがなかった。緑間も高尾も、自分達と同等、いやもしかしたらそれ以上に努力してきた人間だと知っているからこそ、二人がレギュラー入りしたことに不満などない。可愛くない後輩に怒鳴ることはままあるが。
 高尾はずっと緑間の隣で緑間のプレーを見続けた。あの美しい放物線を、中学時代何度も何度も思い返したあの絶望に陥れたシュートを、緑間真太郎はただひたすらに繰り返す。なにが天才だ、なにが傲慢だ。ストイックなまでに飽きることなく撃ち続けられる彼の人事を、努力を。高尾は知らなかった。高尾は失望した。彼は、緑間は、確かに紛れも無い天才だ。しかし、それはバスケの、ではない。努力の、天才だ。天才だから仕方ないと、どこかで諦めていた心が叫ぶ。彼は天才なんかじゃなかった。努力するからこその天才であって、自分はそれに届かなかっただけだ。
 どうして、気づけなかったのだろう。高尾は凛と立つ緑間の姿に、ただ呆然と涙を流した。なぁ、緑間。緑間緑間。どうして、俺はお前を嫌っていられたんだろう。どうして、お前に羨望なんて抱けたんだろう。どうして、天才故の理不尽だと、嘆いていられたのだろう。お前はこんなにも、真っ直ぐと前だけを見つめているのというのに。毎日のラッキーアイテムも、指先に巻かれた完璧なテーピングも、決して欠かすことのないシュート練習も。全てはコートの中でお前が、お前自身で息づくために。

 高尾和成は、多くの挫折を越えてここに立っている。緑間真太郎は、きっと挫折を知らない。降りしきる雨の中、通話の終了を告げる機械音を認めて、高尾はそれでも緑間に近づこうとはしなかった。悔しくないはずが、ない。あれだけの人事を尽くして、緑間は負けた。緑間のせいではない。高尾もまた、黒子の前に敗れた。秀徳のチームそのものが、誠凛には勝てなかったのだ。それから、緑間は黒子の姿に感化されたのか、バスケに対する姿勢を大きく変えた。試合中、仲間を頼ることが増えた。楽しげに笑うことが多くなった。高尾、と呼ぶ声が柔らかくなった。比例するように高尾の胸は強く握り込まれたように苦しくなった。
 多分、これが恋なのだろうと認めざる負えなくなってきた頃。高尾はこの不毛な想いに終止符を打つことに決意した。
 だからどうか、せめて、卒業するまでは緑間の隣に立つことを許してほしい。信じてもいない神に、高尾は祈る。
 恋心は、生まれた瞬間から誰でもない高尾自身の手によって生き埋めにされたも同然だった。








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