神様は死んでしまったよ | ナノ

あの後、結局俺は京都の本邸に行くことはなかった。読めた展開ですらあったが、俺は三度目のリープを経験したのだ。
既に慣れた感覚のようにすら思えたのだから非日常を繰り返すということはこういうことなのだと実感する。
何らかの理由で、俺の絶望をきっかけに陥ったリピート状態。この状況から脱出することは果たして可能なのか。テツヤを手に入れられない未来など要らないのだから、彼と隣にいる権利をもぎ取るまではそんなことどうでもよいと他人事のように自身の行動を分析する。
過去を変えることに戸惑いも躊躇いもない自分は罪深いのだろうか。何様のつもりだ。神にでもなったつもりか。そう咎められても仕方がない。手にしたい幸福を掴み取る為に自分勝手な過去の改竄を繰り返しているから彼の手を手に取ることができないのだろうか。そんな風にも思った。

戻ったのは、キセキとの飲み会のあの日。父と和解してすぐ、というよりテツヤと想いが通じ合ったあの日。今回テツヤとの関係を修復するにあたって、変えなければいけない行動は特別なかったはずだ。
きっかけではあっただろうが、大輝とさつきの結婚や出産という未来の進路を俺に変える権利はないし、テツヤが俺と別れようと思った根本的理由は多分そこにはない。

このリープはいつ終わるのだろうか、と起きた自宅のベットで考える。テツヤの「しあわせになってください」という言葉だけがリフレインしていた。リープのキーは、俺の後悔と絶望だと推測している。後悔のきっかけはテツヤの表情だった。
四回目の世界では、彼の言う「しあわせ」を手にしたかった。それはテツヤと笑いあう未来を手にすることと同義である。テツヤは俺に「しあわせになってください」と言いながら、俺にとっての「しあわせ」がなんなのかわかっていない。そして彼は自ら手放しておきながら、ぼろぼろになっていく俺を見ては後悔を繰り返している。そんな彼の表情を見るのはもうこりごりだった。
三度目の巻き戻しで、根本的なところで彼と俺はすれ違っているのだと今更ながら気づく。頑固で、頑なで、石頭の彼がどんな説明をすれば分かってくれるかなんて全然見当がつかないけれど、根気強く話し合うしかないと思った。彼を手に入れるためだったらなんだってできる。テツヤといることが、彼が言う「しあわせになる」ことなのだから。

しかし、そんな俺の決意や計画は、今日の飲み会で全て頓挫することになろうとは露ほどにも思っていなかった。

やっぱり結婚式なんて碌なものじゃないと思う。
悲劇か喜劇か。どちらにせよ、俺あg愚かな道化であることには変わりないだろう。慎ましやかなチャペル。控えめな披露宴会場。小柄で可憐な花嫁。その隣に立つ、白いタキシード着ているのは何度も焦がれたテツヤだ。今日はテツヤの結婚式だった。四回目のリープ。四周目の世界で、俺は彼の手を取ることすらできなかった。
三周目の世界でテツヤを手に入れた日と同じあの日、この世界のテツヤは飲み会に遅れて参加した。おせーよ彼女か?なんて冗談交じりに言う大輝に、珍しくワガママを言われまして、と彼は女性を匂わす言葉を否定しなかった。寧ろ肯定したのである。え、彼女できたんスか?と既に出来上がっていた涼太に突っ込まれると彼は大真面目な顔で彼女いない歴イコール年齢に終止符です、と下手くそなドヤ顔。全員がテツヤの発言に驚き、皆が酒を吹きだした。俺はウイスキーの入った安物のグラスを落として割ってしまっていた。

お前は俺のことが好きだったんじゃなかったのかと、喉の先まで出かかり、喉仏の当たりで引っ掛かってしまった言葉をので慌てて飲み込む。テツヤへの問いはそこからもう二度と上がってくることはなかった。

根掘り葉掘り野次馬のようにテツヤを質問攻めにする大輝と涼太に、テツヤは言葉少なに一つ一つ答えていく。
大学の同級生。偶然同じ職場になったこと。髪はショートボブ。控えめだけどまっすぐな性格。カスミソウのような女性。
ぽつぽつと明かされていく彼女の情報はしっかり頭に入っていくのに、それを脳内でうまく組み立てることができない。新しいタイプの右から左に流れているという現象だと思った。
敦はマイペースに黒ちんやるね〜と間延びした声で言う。真太郎だけが、テツヤに何も言わなかった。代わりに「良いのか?」と俺に一言疑問を投げかける。その質問は何に対してなのか。わかりきったことなのに、思考がうまく働かない。
真太郎は、友人と言うには親しすぎる俺たちの関係を見て、早く付き合ってしまえば良いのだよ、とよく俺に説教じみて言っていた。キセキの中で彼だけが俺の思いを察していた。

取り繕うことができなくなる前に、この場から去ろうと思った。とんでもない醜態を晒してしまう予感があった。
飲み会を抜ける口実なんていくらでもある。適当に仕事のことで電話が入ったからと言って、飲み会を失礼することにした。早く一人になって考えたかった。
未来はある程度決まっているはず。変えられるのは己の行動のみで、それによって付随する環境だけではないのか。

狼狽えは取り繕いきれず、皆には仕事で大きなトラブルがあったと思われているらしい。
無理すんなよ。赤司っちまたね。赤ちん気を付けてね。かけられる言葉におざなりに返事をする。今日一言も言葉を交わしていないテツヤが、玄関まで見送るとついてきた。正直勘弁してくれとすら思ったが、らしくもなく心に嵐が吹き荒れていては不特定多数のように懐柔することもできない。そもそもそういうのはテツヤに効く手法ではないのだ。

「黙っていてすみません」
「…びっくりしたよ」
「驚かせようと思っていたんです」

いつもなら心地よいテノールが、鉛のように鼓膜を震わせている。心を鋭く劈くそれは、まるで研ぎ澄まされた刀のひとふりようだった。

「おめでとうとか、ないんですか」
「…言ってほしいのか」

到底口にできそうにない祝福。祝えと言う彼はなんと残酷なのだろう。前回のテツヤの気持ちは一体どこへ行ったんだろう


「そうですね、キミの口から直接、聴きたいです」


それは毒のように俺の身体を冒していく。たった一言の猛毒が一瞬で致死量に達した。

「…結婚したら、言うことにするよ」

心にもないことを言った。かつての大輝とさつきの結婚式のように心から祝えるはずもないのに。


「じゃあ、待っていてください。ボクもそれを待っていますから」


返事はしなかったし、振り返りもしなかった。酷い顔をしている自覚がありすぎて振り返ることなど、到底できなかった。だから、テツヤがその時どんな表情をしていたかなんて俺は知らない。視界の端に捉えた彼の小指には相変わらず水色と紅の糸がゆらゆらと揺れている。それは三本に増えていて少しずつ絡まっていた。

教会の鐘が鳴り響く中、二人はたくさんの人から祝福を受けている。テツヤは、その初めてできた恋人と付き合い始めて約一年後にスピード婚した。なんでも、お世話になった大好きな祖母に早く晴れ姿を見せてやりたかったらしい。三周目の世界で、父と和解しテツヤとの関係を認めてもらっていたが、テツヤの両親の元へ挨拶はしていなかった。自分の父親との対面がかなり強引なものだったため、もう少し心の準備期間をくださいというテツヤの意見を尊重した結果だった。
もしかしたらあの時の「親不孝はしたくない」とか「子供が欲しくなった」という彼の気持ちは嘘偽りではなく、誰かに何か吹き込まれた上での言葉でもなく、彼自身の本心だったのだろうか。一度過去に跳躍してあの時のことがなかったことになっている今となっては、真相はわからない。俺だけが記憶を持って過去へ戻ってきているのだ。そんなこともし聞いたとしても、記憶のない彼からしてみれば何のことやら、となるだけだろう。

俺は、彼と後ろ指さされるような関係だった覚えはない。同性の恋人同士というのは依然としてマイノリティ側に分類されるのだろうが、それは咎を受けることでも罪でもなんでもない。好きになった相手が同性だったというだけで、何の罰が下ろうか。でも、もし誰からも許されない、祝福されない関係だったとしても、お前と一緒にいられるならば、テツヤさえ傍にいるならば、それが幸福なんじゃないかと思っていた。でも、お前は違ったんだろうか。
三周目の大輝とさつきの結婚式で、テツヤが受けたブーケトス。多分さつきはわざとテツヤが取れるように投げたんだろう。あとから彼女に。こういうのは本来女性が受け取るべきものだと思いますよ、と至って冷静と言った表情で諭していたが、微かに緩む眦が、うれしさを隠しきれていなかった。そんな風にくるくると変わる感情を映し出した水色の瞳はもう隣にはいない。

かつてのあたたかで、脆くて、心を抉るようなやさしい思い出をそって取り出していると、頭上から何か降ってくる。小学生から高校まで真剣にバスケに取り組んだおかげで、反射神経は抜群だ。翳る視界に、降ってきたモノを反射的に掴めばそれは今しがた思い返していたブーケだった。
テツヤの花嫁の、投げたブーケ。テツヤの腕を取る彼女が、微笑んでいる。その笑顔が憎らしくて、羨ましくて、妬ましくて。大輝と連れ添って立っていたさつきに押し付ける。こういうのは人にあげちゃダメなんだよ!と言う彼女に、お前たちは早く結婚した方が良い、と淡々と言えば顔を真っ赤にして二人とも慌てていた。ああ、そういえば二人は今さら恥ずかしいからと付き合いを隠していたんだっけ。赤司おま、なんでそれ!と慌てふためく大輝をよそに、誰の顔を見ることもなく、高校生の頃や映画の試写会に行ったあの日に比べると随分伸びた前髪で顔を隠してその場を離れることにした。
式は終わっている。あとは披露宴だけだった。みんなが披露宴のホールに向かう中、俺は流れに逆らって式場であった小さな教会へと戻る。
フラワーシャワーに使われた花は無残にも踏みつぶされていて花弁がぐちゃぐちゃになっていた。
そんなにきれいなものではないけれど、ずたぼろな俺の精神のようだと思った。




「赤司くん」




チャペルの最前列。寄木細工の長い椅子に俺は腰かけていた。俺を赤司くんと呼ぶテツヤは随分と久しぶりだと此処まできて思う。
二周目も三周目も、恋人になってからは恥ずかしがるテツヤに名前で呼んでほしいとせがんだから、彼は俺を「征十郎くん」と呼んでいた。その名前は呼ばれなくなって久しい。そんなことすら懐かしかった。
今までのことはすべて夢だったんじゃないかと思えてくる。都合の良い夢。やさしい夢。幸福な夢。夢から醒めたのであれば、今はただの辛い現実と向き合うだけ。甘やかな蜜の夢を、現実だと思って、どちらが夢でどちらが現実なのかわからなくなってしまえば楽だったのかもしれない。しかしそう現実は甘くないし、そこまでおめでたい都合の良い性格でもなかった。

「ブーケ、もらってくれなかったんですね」
「ああいうのは本来女性が受け取るべきものだよ」

あの時のテツヤの言葉をなぞれば、ひくりと喉を震わせて彼は黙った。嫌味に取られたと思ったのだろう。
小さな教会だが、その内装は本格的だ。窓にはめられたステンドグラスは精巧で、光が差す角度によって七色に変わる。マリア像。天使のラッパ。幸福のファンファーレが今にも聞こえてきそうなのに、俺は今から死刑台にでも行くような心地だった。


「祝福を、ください」


テツヤは棒読みのようなトーンでゆっくりとそう言った。
断頭台。ギロチン。
そんな言葉が頭に浮かぶ。テツヤは俺にしあわせになれと、幸福になれと言うくせに、その術を横からすべて掻っ攫っていく。俺にはもう何もない。お前以外に何も要らないのに。


「結婚おめでとう」


絞り出した声は掠れていた。お前が望むなら、俺はなんだってあげられると思っていた。
上手くわらえただろうか。お前が手にした俺以外の誰かと歩む幸福を、上手に祝福できただろうか。
一つだけ開けられている窓から、空が見える。やっぱりこんな日はいつも快晴だ。テツヤの瞳の色。澄み渡った空の色。お前の人生の門出に、相応しい色。ゆがむ視界でテツヤの表情を捉えれば、あの時と同じ顔をしている。なんて顔をしているんだ。今日はお前の幸福の第一歩だろう。お前が望んだ幸福なんだろう。何も知らないテツヤにそう思った。そんな顔をするなと、言おうとしたが声にならない。
心の中でどこか投げやりに思う。ああ、また戻ってゆくんだろう。


何度だって会いに行く



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