神様は死んでしまったよ | ナノ

ボクは、ボクのバスケの証明がしたかった。それは意地で、矜持ですらある。ボクのプレイスタイルは単なる技術や手段ではなく、コートの中で生きる為に必要な絶対条件だと言ってもいい。

米粒ほどの光も酸素も届かない、深海の奥底に沈んでいたボクのところまで差しこんできた一条の光。何よりも代え難い、大切で世界中で一つだけの、ボクのための宝石だ。深い海の冷たい常闇の中で、ただ生き絶えようとしていたボクに与えられた呼吸だった。あの光がなかったら、今ボクは此処に立っていないし、かけがえのない仲間を見つけることもできなかっただろう。

一度は手放そうとしたバスケをやめなかったのは、この神様からの福音である「影になる」というプレイスタイルが間違いではないことを証明する為だったのだと思う。

影になるということは、ただ単に存在感を消し、パスワークに徹するだけではない。時にシュートすることも必要だが、基本的には点を決めることは殆ど許されないと言っていいだろう。
目立ってはいけない。注目を浴びてはいけない。
それはドリブルで相手を抜いてやりたいとか、スリーポイントを決めたいとか、ダンクシュートをしてみたいとか、バスケット選手なら一度は夢見るプレイや目指すプレイを一切合財捨てることを意味していた。何より、ボクは自分を生かすことのできる強い光がなければ、試合においてほぼ役立たずに近い。一人では何もすることのできないちっぽけな存在。それでもこのコートに立っているのは、バスケが一人でするものじゃないからだ。
このチームが好きだ。このチームメイトが好きだ。バスケットが好きだ。だからボクはバスケット選手としての本能も欲求も全部捨てて「影」になることができる。責任転嫁でも他力本願でもなく、ボクがパスする先には必ず誰かが、仲間がいるのだと信じているのだ。

“彼”はボクがシュートを身に付けたことを愚かだと、嗤った。
じゃあ“キミ”はどうだろう。どう、思うんでしょうか。

砂漠の砂粒から、ボクを見つけ出した人。ボクの、神様みたいな人。祝福を、福音を、与えてくれた人だ。命の芽吹きすら貰ったような気がする。
ずっとキミを神様のような人だと思っていたのだ。偶像崇拝するように、そう思っていたボクの考えは、キミが自我の行き場をなくしたことの一端を担ってしまったことだろう。
でも、キミは神様なんかじゃなかった。何でも出来て、全てお見通し。他者に、自己に、自我に。全てにおいて悩むことなどなく威風堂々と未来へ歩いて行く人なのだと勝手に誰しもが思い込んでいただけで、あの頃のキミは、出来の良すぎるただの一介の中学生にしか過ぎなかった。ボクを含めた誰もが、その真実に気づくことが出来なかったのだ。
地雷の埋まる焼け野原にたった一人、危ういバランスで立っていたキミは、孤独を嘆き、声を上げて泣くことことはおろか、さびしいと言葉にすることもできずに押入れの布団の中に隠れてでひっそりと涙を堪える小さな、小さなこどもだった。縋りつき、執着した「勝利」のおかげでなんとか存在している、それは非常にアンバランスですらある。

ひとりきりで走っていかないで。その背の荷を、少しボクに分けて。
そう言ったところで、キミは曖昧に笑って首を横に振るのだろう。キミはそういう人だった。
それならば、ボクはキミの背を追って、走って行く。走っていく先で、キミを見失ったとしても大丈夫だ。
何回間違ったって、どんな風に挫けたって、どんなに躓いて転んだって、心が折れそうになったって、何処に迷い込んだって構わない。どんなにぐちゃぐちゃな軌跡だったとしても、それはひと繋ぎのキミへと続く道しるべだ。もう、キミをひとりぼっちになんかしない。その焦がれた背に、追いついてみせる。

『答えは出たかい?』

大事な試合の最中。あと数十秒で試合が終わってしまうという時に、ボクの脳内は走馬灯のようにぽつりぽつりと彼との記憶の残像を映し出していた。
汗は止まらない。思考もままならない。それなのにいつかのキミの言葉だけがいくつも浮かんでは、頭の真ん中でリフレインして鳴り止むことはない。
きっと、あの問いに対する答えなんて、とっくに出ていた。最初から、ボクの脳天を打ち抜いてまっすぐな一本の柱として存在していたのに、気付かなかっただけだ。

『闘志は必要だ。だが、それは秘めろ』

キミが言ったんですよ?忘れちゃったんですか?
ボクは、その言葉を胸に、寄り道しながらもずっと此処まで歩いてきたのだ。
ボクはどう足掻いても、天地がひっくり返っても、明日隕石が落ちてきたとしても、目映(まばゆ)い光になんかなれそうにない。でも、それでいい。それで良かったのだ。
ボクは、バスケを信じている。努力は報われないかもしれないし、実を結ばないかもしれないけれど、それは絶対に無駄じゃないことを信じている。
ボクのバスケに息を吹き込んだのは、他の誰でもない、キミだ。
信じること、諦めないこと。教えてくれたのはキミだったじゃないか。他の誰にだって、例えキミにだって、ボクはこの、自分のバスケをもう二度と否定なんかさせたりしない。ボクの宝物。ボクの根幹を形作る、大切なもの。

(全部、キミが教えてくれたんですよ。)

きっとキミはボクを見つけるんだろう。誰にも気づかれず、ひっそりと真っ暗な闇の中に沈んでいくだけだったボクを見つけたキミなら、きっとボクを見つける。見失うことすらないと言ってもいい。見逃してなんか、くれない。それは絶対で、決まりきったことだと、ボクの中で結論付けられていた。
未来は、決まっていて、変えることなんて出来ない。
キミならそう言うだろう。みんな将棋の駒のようなもので、全てを統べようとする自分すら、王将の駒に例えるのだろう。でも、ボクはそんな風に思わない。未来は、自分で切り開くものだ。選択肢だって自分で作り出すことが出来る。選び方次第で、どんな結果だって臨むことが出来るはずだ。
キミが「敗北」という新しい概念を知る時、二人のキミがどうなってしまうのか、ボクにはわからないし想像もできない。でも、どんなキミも、どちらのキミも、決して間違いなんかじゃなかった。
だからボクを見失わないで。見逃したりしないで。ボクがあげられる唯一のこと。
ボクの神様だった人。今はいない神様にお願いをするとしたら、たった一つ。ボクを見逃さないで。見失ったりしないで。信じている。それは妄信とも言えるレベルに達しているというのに、それでも願わずにはいられなかった。

赤司くんに見出されたこの力も、幻の六人目という呼び名も、ボクのものだ。キミへの思慕、憧憬、裏切られたと思ったあのかなしみ。ぜんぶぜんぶ、キミから与えられたものならば、すべていとおしい。
もう絶対に諦めたりしない。いつか暗闇の中にいたボクを救ってくれたのはキミだけど、キミだって宵闇の深淵の中で雁字搦めに縛られて身動きすらできずにいる。どこにいくこともできなくて、変化を恐れるキミを、薄暗いまどろみの中から解放することができるのは、自惚れかもしれないけれど、きっとボクだけだ。
ボクは、キミがいたから走っていける。どんなに難しい険しい道だとしても、日が沈めばキミと同じ色をしている空が、いつだってきれいな色で待っていてくれるから、どんなに傷だらけになったとしたって走ることをやめたりしない。どこまでもつよく、ひかりさす方向へ、瞬きもせずに駆けていく。いつだって、ひかりの向こう側にいるのは、たったひとりだけ。それはキミだけ。たったひとり、赤司くんだけだ。
ボクは証明してみせよう。ボクのバスケを。それは、いつかのキミがボクにくれたバスケだ。いつかキミがボクに教えてくれたことを、すべてを何もかもキミすら超えて、必ず証明してみせる。


「ボクは、キミからもらった可能性も言葉も何一つ、一度たりとも捨てたことなんてないんですよ」


答えはたったひとつだけ。
だってボクは、キミに見出された影だ。



正しさよりも、正しいもの



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