また、春がくる | ナノ

オレの初恋の人は、オレ達の前から二度姿を消した。









春は出会いの季節であり別れの季節だと、言っていた。

5月上旬。本州に比べ、随分と遅咲きの梅を見て彼女の言葉を思い出す。白梅と紅梅が同時に咲いている光景がなんとも視覚的に不思議なような気がした。しかし白と紅の入り混じって咲くそれらは文句なしに美しいといえるだろう。



オレは現在、北海道のある都市に来ていた。大学を卒業して一年。中高大と約十年に渡るバスケ生活にピリオドを打ち、本格的に芸能界入りしたオレはマルチタレントとしてお茶の間に出没中だ。今回北海道に来たのも、とあるCM撮影のロケ地がこの地だったからである。
既にゴールデンウィークに夏日を迎えた地もあるというのに、5月中旬を過ぎたにも関わらずこの北の大地はまだ肌寒い。女性なんかはまだタイツを手放せない人も多いようだった。なんでも今年は冷夏らしい。


中学時代、なんでもソツなくこなせるから、と人生なんてつまらないもんだな、なんて冷めていた頃を懐かしく思う。
この数年オレは駆け出し俳優としてがむしゃらに働いていた。
顔が良いから、愛想が良いから、だけでやっていける程、芸能界は甘くなかったからだ。中高とモデルは続けていたがバスケの片手間だったし本業ではなく、この業界に本腰を入れ始めたのは大学に入ってからである。(学生である以上本業は学業の筈だが、中高の時間を殆どバスケに捧げたことはこの際置いておく。)

大学生になってもバスケは続けていたが、高校の頃のように本格的ではなかった。大学を卒業した今でもバスケは好きだし、昔の仲間と暇を見付けてはストバスをしている。

初めて熱中するものに出会えた中学前半。
自分達に勝てる人間なんていないと驕っていた中学後半。
そして汗も涙も流しながら直向きな努力を、仲間と共に得る勝利の為に傾けた高校生活。

今も尚プレイヤーとして活躍する、バスケを始めるきっかけになったと言える強く憧れた青い彼や、そんな彼をこの世界に本当の意味で連れ戻した赤いリスみたいな彼のように、バスケに対する強いモチベーションは既になく。自惚れているみたいだが、ポテンシャル的に言えば世界で、という選択肢もあったに違いない。でもそれを選ぶことはしなかった。あの眩しくて懐かしささえ覚える若い季節の中で、オレのバスケは完全燃焼したようで、その熱意は少しずつ高校までの副業だった芸能活動にシフトしていった。




芸能界というこの業界は、人と人との繋がりが非常に重要な世界でもある。
オーディションに出て、プロデューサーからのお誘いがあれば懇親会に出席して顔を覚えてもらい、台本を読み込んで、学業もそれなりに、という大学生活は結構厳しいものがあった。大学の違う、中学の同窓にテスト期間に泣きつくこともしばしばあったし、オーディションやお偉いさんとの食事会や飲み会ではきついことを言われることもあったが、めげずに大学四年間を過ごし無事卒業した。
本格的に芸能活動を始めて五年目、そんな努力も実ってか主演映画やドラマを年に数本もらえるまでに漕ぎついたのだった。

幼少から事務所に所属していたって端役しか貰えない人もいる中で、オレは恵まれた方だったんだと思う。一つでも多く役を貰えるよう、少しでもテレビを見ている人の印象に残るよう最大限の努力はしたつもりだ。でも、努力に対する正当な結果がついてくるかはというのは首を傾げる部分であり、役が貰えたり人気が出るというこの業界でいう成功というものを得る為には、本人の実力以外の要素も起因するのは周知の事実である。
努力をしても全てが報われるわけではないことは残酷な事実だ。それでも、簡単に諦めてはいけないことも、あのバスケに捧げた長いようで短い期間に教えてもらっていた。

無我夢中で仕事をしたこの五年。まとまった休みなど全くと言っていい程なかった為か、このロケ期間の前後一週間合わせて二週間のオフを貰っていた。なんと北海道に三週間も滞在出来ることになる。なんでも滅多に来られない北海道だからたまには自然を満喫してリフレッシュしろ、ということらしい。確かに未だ新幹線の通らない北海道は、本州から行くには飛行機か船か寝台列車か、という選択肢しかない。飛行機の価格も爆発的に下がった時代だが、京都や奈良といった観光地よりも足を運びにくいのは事実かもしれない。
初めての北海道。お言葉に甘えてオレは目一杯満喫することに決めていた。





市街地で美味しいカフェ等を探して過ごしても良かったが、折角北海道に来たのだから自然を楽しみたい。そんな思いで旅行雑誌やネットの口コミを調べた。果ては気まぐれで入った気の良さそうなラーメン屋の店主にも色々聞いたりなんかして、今の季節だととある自然公園が白梅と紅梅が入り混じって咲いているのが見頃だという情報を得て、早速足を運ぶことにしたのである。
中心街は然程本州の都心と変わらないようにも見えるが、それでも郊外に行くとやはりバスの本数や地下鉄は少ない。更に、オレの目的地は地下鉄も電車も通っていないところらしい。北海道一の都心と言っていい市であるのにそんな場所があるとは、と驚きながらもICカードに適当な額をチャージして地下鉄に乗り込んだ。
地下鉄に乗ってほぼ終点まで行くと、更にそこからバスに乗り継いで15分程。混雑を予想して平日に来たが、そこは予想以上に人で溢れている。地元の人だけでなく市外から来ている人もいるようで、駐車場のナンバープレートは様々だ。
自然公園らしく、階段は一段一段が丸太になっている。池のような川のような水辺もあることは事前の調べで分かっていたので、あとでそちらにも行ってみようと考えていた。
横断歩道の白い部分を渡る子供のように、丁度丸太の部分を踏むように坂を下って行った。土の部分を踏むと、腐葉土のような柔らかさがどことなく心地よい
。授業を終えて遊びに来た子供も多いようで、走り回って遊ぶ少年たちのはしゃぐ声が聞こえる。天気も良く、賑やかで麗らかな午後だった。




階段を下りきって少し歩くと一面、白と濃い桃色でいっぱいだった。花弁がふくりと膨らんで、一つ一つは決して大きくないながらも、大輪の花を思わせる存在感。それが等間隔で敷地の許す限り植えてある。ラーメン屋の店主から、もしかしたら白梅の方が開花が早い為にそろそろ白梅が散っているかもしれないと聞いていたが、散りはじめの白梅が芝生を埋め尽くして淡雪のようでありながら薄桃色を帯びたの絨毯を作っていた。それはまさしく絶景で。
言葉にならないオレ、感嘆の声を漏らすこともせずに目の前の景色にただ目を奪われていた。

鬼ごっこをしている子供もいれば、一眼レフで梅を収めている若者、ベンチでお喋りしている老夫婦、レジャーシートを敷いて花見に来ている学生、各々が違うことをしながら楽しそうに皆笑っている。バケツと網を持って走っている子供もいるから、もしかしたら何かいるのかもしれない。そんな子供の様子を見て、ふと懐かしい思い出が蘇る。





(懐かしいっスね…)





中学二年生の頃のいつか。ちょうどこんな季節だっただろうか。それとももっと暑い季節だっただろうか。懐かしくて、優しい、そんな思い出は思い返すと切なくて。無意識の内に心の奥底にしまっていたらしい。底から引っ張り出した記憶は少し曖昧だった。元チームメイト達とあんな風に集まって騒いだのを思い出して顔が綻ぶ。あの時、それぞれが好きなお菓子やゲームを持ってきて、中学からそう遠くない自然公園でピクニックをしたのだった。



蝉がいただとかでっかいトンボがいただとかで虫網を持ってオレを連れて走り回った青峰っち。青空の下のお菓子はサイコーだと駄菓子を貪る紫原っち。暑い日差しの中、赤司っちと緑間っちは二人でモノポリーを繰り広げていて。最後は桃っちの手作り弁当で皆揃って撃沈。

そして彼女は、赤司っちによって厳重な熱中症対策と日焼け対策を施されていつものように読書をしていた。



無邪気だったあの頃。無垢だったあの頃。てんで性格も趣味も考え方もバラバラで、やっていることもバラバラだったのに、それでも一緒にいるということだけで何故だか楽しかったあの頃。そんなバカみたいで年相応で、それでも愛おしかったあの頃は、あっという間に崩壊してしまった。最終的に、(間接的にではあるが)とどめをさしたのはオレだったかもしれない。バラバラだったオレたちは、本当にバラバラになってしまった。それでも、一年程でまたみんなで集まるようになって、普通に話せるようになって。皆それぞれが別々の高校にいて、住んでいる県すら違うこともあり、あの頃のように毎日一緒にいるわけではなかったが、前よりも腹を割って話せるような関係になったのは確かだった。




仲間の大切さ。
努力することの意味。
諦めないことの尊さ。
必死になることは格好悪くないということ。
勝つことだけがすべてではないということ。
そして、オレ達がどれだけバスケを好きだったのか。



そんなことを思い出させてくれたのは彼女だ。また笑い合えるようになったのは彼女のお蔭だった。
どうしてだろう。バラバラになってしまった色どりを繋ぎ合わせたのは、他でもないあの水色だった筈だったのに。


彼女は忽然と姿を消してしまった。


中学の頃の、あの温室にいるようなあたたかな日々が潰えてしまったことに絶望してか、一度オレたちの前から姿を消した彼女。
それでも彼女ははっきりとした意思をその瞳に宿して戻ってきた。
彼女はいつだって本気で、負けず嫌いで、仲間思いで、どんなに打ちのめされたって負けない強い心の持ち主で、そしてやさしい人だった。

嫌いになっても憎まれてもおかしくない仕打ちをした、どうしようもなく子供だったオレたちに、確かな希望を教えるために、それだけの為に戻ってきたのだ。

それが高校一年生の時。ウインターカップですべての仲間と蟠りを解いて笑えるようになったのだから、こんな日々がずっと続くと思っていたのに、彼女は、またオレ達の前から去ってしまったのは何故だろう。どんなに理由を考えてもわからず仕舞いで。



結局、高校卒業と同時に行方を眩ませた彼女は、どんなに探しても見つからなかった。
それはオレの当時細々としたものだったオレの芸能界の伝や、桃っちの情報網、赤司っちの家の力、その全てを利用しても探し出せなかったのだからお手上げでしかない。


気がついたのは彼女の両親の連絡から。友人の家に泊まりに行くと言ってから三日経つが帰ってこない。誰か知らないか。
そんな内容だった。最初は、誘拐や拉致監禁も疑っていた。影は極端に薄いが一旦その存在に気付くと儚げで整った顔立ちをしている彼女の魅力にひとたび気がつくと、病みつきになってしまう傾向がある。(かくいうオレもその一人だったのだから間違いないだろう。)しかしその可能性はすぐに打ち消されることになる。
彼女の部屋には自筆の謝罪と感謝と共に別れの書き置きが残されていたからだった。彼女が大切にしていた数冊の本と、元々少な目な着替え類が部屋から消えて、残っていたのは解約し残高がゼロになった通帳と普段使っていた携帯電話に保険証の類いの貴重品だけ。印鑑だけは持っていったようで。争った跡も慌てた跡もなく、置いていかれた携帯のいなくなる数ヶ月前の履歴を調べても、怪しい人間とやり取りした形跡すらなかった。
用意周到に、静かに自発的に出ていった…自主的な失踪としか思えない状態だったのである。




彼女が初めて姿を消した時のことを思い出す。
彼女は少しずつオレ達との接点を減らしていた。誰にも気付かれないようにひっそりと。いつもの屋上に昼食をとりに来なくなった。食堂に来なくなった。購買に行かなくなった。廊下ですれ違わなくなった。いつものマジバに寄らなくなった。ストバスコートに現れなくなった。第四体育館に練習する音がなくなった。図書館の定位置はもぬけの殻だった。そして、多分最後に接点を切ったのはバスケ部。引退間近で自主練習しか残されていなかった全中後、彼女は部活で一度もオレ達と個人的な話はせず、いつの間にか顔を出さなくなっていた。引退の日を迎えても姿の見えない彼女のことを主将に尋ねれば、「彼女は全中後退部した」と、一言で簡潔に伝えた。それ以上何も言わなかった彼の表情はまさしく何も無い、と形容するのが相応しい程の無表情だったのが強く印象に残っている。二人はあの頃付き合っていた筈だ。バスケ部から、バスケ自体から、そしてオレ達から少しずつ距離を置いて姿を見せなくなった彼女に対して彼は何を思っただろうか。二人は別れたのだろうか。オレには何も分からなかった。


彼女のことを好きだなんだと言いながら、オレは何も気づかない間抜けだった。
後に和解してから、最後の数ヶ月は殆ど学校に来ていなかったとは聞いているが、退部届けを出したということを、当時主将であり恋人であっただろう赤司を除いた誰もが知らなかったのである。



あの頃のオレ達は、どうしようもなく子供で、傲慢で愚かだったから、実は本気で彼女のことを探していなかったのかもしれない。
彼女が傷ついた事実を知りながら、心の中で何処か気にかけていながら、彼女が戻ってくることをあきらめていたのだろうか。
彼女から目を背けることで、自分達が傷つけたという事実を見ないふりをしたかったのだろうか。



きっと彼女にとってオレ達の目の前から姿を消すということは、本気になってしまえば造作もないことだったのだろう。その証拠に、今現在も彼女の姿を見た人は誰もいない。
本気になって身を隠した彼女を探し出すことは、天帝の瞳を以てしてでも不可能だということを、彼女は知っていたのかもしれない。



彼女が姿を消してから、五年経った。未だ姿を現そうとしないという事実は、彼女はオレたちの目の前から本気で姿を隠しているいうことと相違なかった。

白梅のやわらかな薄紅を見ていると、わたあめのようなふわりとした彼女をどうしても思い出してしまう。東京でも、ここ数年春の桜の木を避けていた気がする。
水色と桜色は似た色ではないが、どうしてもその淡さが、強い芯を持ちながらも風に吹かれると消えてしまいそうな儚さを持っていた彼女を彷彿とさせるのだ。
ただひたすら、がむしゃらに働いたのも、彼女がいなくなった事実から意識を逸らしたかったからかもしれない。或いは有名になって活躍していれば彼女の目に留まるかもしれないと、小さな期待を抱いていたのかもしれない。

少し考えればわかることだった。ふわりとした見た目に反して一度決めたことを絶対に曲げない彼女が、そんなことでひょっこり姿を現すことなどないことは。

五年も経ったのに、未だ忘れられない自分があの頃と本質的に何も変わっていないように感じて自嘲する。どんなに仕事に打ち込んだって、どんなに仕事を成功させたって、彼女がいなくなったという事実は心のどこかに深い根を張っていた。それはキセキと呼ばれた皆が同じだった。





「どうして黒子っちはいなくなっちゃったんスか…」





彼女の名前を口にすれば、視界が滲みそうになる。堪えるように空を仰ぐと雲一つない快晴が目に飛び込んできて、その青にすら彼女の面影を見出してしまう。
ただの独り言だ。その問いに誰が答えてくれるわけでもなく、オレの言葉は地に落ちてゆく。

その筈だった。





「くろこはぼくです。」






「え?」



思わず間抜けな声をあげて、驚きを露わにする。
驚いたのは、感傷的なただの独り言に返答があったからだけではない。その声が、他でもない彼女――黒子っちのものに酷く似ていたからだ。慌てて周りを見回すも、あの薄い水色は見当たらない。懐かしさによる寂寞のせいで、幻聴でも聞いてしまったのだろうか。
ひとしきり探したところで彼女の姿が見えることはなく、やはり自分の生み出した妄想だったかとため息をつきそうになったその時、膝下、即ち脛に当たる弁慶の泣き所というやつに大きな衝撃が走った。


「いっ?!」

「どこを見ているんですか。ぼくはここです。ずがたかいです。」

「へっ?!」


声の発信地はオレの足元。おまけにもう一度、さっきとは反対の足に衝撃が走る。
脛が痛い。非常に痛い。
思わず押さえようとしゃがみこめば、目の前には焦がれた水色が見えて。しかしその風貌はオレの恋い焦がれた彼女のものではなかった。



「あ、赤司っち・・・?」

「だからぼくは、くろこだといっています。」



そこには探し求めていた水色をしている、オレ達の元主将、赤司征十郎の小さな小さなミニチュアが立っていた。



君を見つけた







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