短編 | ナノ

「火神くんミ○ドに行きましょう」
「はあ?」
「時代はミ○ドですよ。さあ!さあ!」
「なんでお前オレの部屋にいんの?」
「細かいことはどうだっていいんですよ。ケツの穴の小さい男ですね」
「いや細かくねーし!オレ日本帰ってきたばっかなんだけどってオイ!」
「さあ支度をして下さい。今すぐ!なう!」
「服ひっぱんなよ伸びるだろーが!」
「財布はボクが持ちます。好きなだけ食べると良い」
「ういっす」


****


「ミ○ドのシェイクも悪くないですがやはり至高はマジバですね」
「お前口をつけて一言目がそれか」
「黙らっしゃい。ボクはお客様だ」
「・・・そういうのってモンスラークライマーって言うんじゃねえの?」
「山登りしてどうするんです?富士山の樹海でも行きますか?」
「和製英語は苦手なんだよ・・・」
「無駄に発音良いのがむかつきますね。ツイッターでポストしておきます」
「やめろ!」


高校を卒業して二年。黒子は都内の大学へと進学し、火神は渡米していた。物書きの真似事をしながらなんとなく進学したまにストバスをする程度の黒子と違って火神は渡米先で本格的にバスケに取り組んでいる。
かつての黒子の光であり相棒だった青峰もまた桃井を連れて、火神と同じように海を渡っていた。二人とも頭が弱いのが共通点だが、火神は何年もアメリカにいた為、ネイティブスピーカーに近いものがある。勉強が出来ない青峰は英語も例に漏れず不得意であったにも関わらず、ろくろく勉強もせずにアメリカに飛んでいる。
『ジェスチャーとあとは気合でどうにかなんだろ』なんて呑気な根性論を言っていたが、言語の面と食事の面ではかなり火神に助けてもらっているようで、喧嘩しながらも中々仲良くやっているようだった。


半年に一度以上のペースで火神は母国に戻ってくる。帰国する際は必ず元チームメイトに連絡が入るのだが、火神が帰ってきてすぐ、黒子は彼の家に突撃していた。突撃したというよりは、合鍵を使って勝手に火神の部屋に侵入し彼の帰宅を待ち伏せしていたのが正しい。何故渡してもいない合鍵が黒子の手の中にあるのか、ということについては彼曰く企業秘密とのことだった。
再会の挨拶もろくにせず、荷造りも解かせないままドーナツを奢ることを条件に、火神宅から一番近いミ○タードーナツへ強制連行を決行。
肉食リスと呼ばれた赤と黒が混じる彼の目の前には山のようなドーナツが並んでいる。しめて三十個以上。マイナーチェンジして独特の水分を奪うあの何とも言えない食感が改悪されてしまった定番のソレや、ポンデなんとかという丸が沢山繋がった形状のアレとか、果てはパイから限定の若干割高なものまで種類は様々。
ちなみに定期的に行われる百円セールは現在開催されていない。


Q:「お客様は神様です」という言葉を曲解し本当に神様であるかのような尊大な振る舞いでクレームをつける人のことをなんと言うでしょう
バスケゴリラ:モンスタークライマー

次から次へとドーナツを口に放り込み続ける火神を前に、黒子はちみちみとバニラシェイクを啜りながらスマートフォンをいじる。先程のやりとりを誇張と捏造を加えてポストすれば、ものの一分もしないうちにリプライが返ってきた。


『モンスターペアーのまちがいじゃねーの?』


開いた口がふさがらないとはこのことである。セミのアイコンによるそのツイートを光の速さでリツイートして、黒子は画面を落として鞄にしまった。ゴリラどもはどうにもこうにも頭が悪いらしい。
多分、モンスターペアレンツと言いたかったのは察したが、モンスターな梨とはこれいかに。奇怪な動きを繰り広げ一躍お茶の間の話題をかっさらって行った件の非公式ゆるキャラなのか、はたまた別の妖怪の梨なのかと黒子は思案する。今流行りの妖怪を観察だか捕まえるだかなんだかするアニメを思い出し、セミ取りが好きだといういつまでも大きな子供(文字通り大きな子供で、物理的に大きい)のような彼が、妖怪すら捕まえに行こうとするところまで想像した黒子は、無意識の内に少し口元をほころばせた。


「何笑ってんだ?」
「青峰君がウォッチッチでして」
「はぁ?」
「いえ、こちらの話です」


黒子は目の前に座わる口いっぱいにドーナツを頬張る火神を見つめた。口元をリスの頬袋のように膨らませ、咀嚼を続ける姿は、成程「肉食リス」の称号にふさわしいだろうと一人思う。
見た目はゴリラなんですけどね…と思わず口に出せば、青峰のことか?と反応したので、黒子は無視をした。完全に自分のことを棚に上げていると思った。
黒子から言わせれば火神も青峰もゴリラに違いない。よくこんなに無尽蔵に食べられるものだと、よくわからない感心をする。黒子の恋人も細い身体(といっても黒子よりも筋肉はしっかりとついていて厚みのある均整な身体をしている)の割に良く食べる方だが青峰や火神、そして今はヨーロッパで修行中の紫原の三人の食欲は規格外である。
一方で、小食で食に対する関心も薄い黒子は、黒マジバのMサイズポテトの完食すら危うかった。激しいスポーツであるバスケットをやっていた時ですらそうだったのだ。現役を引退し、明らかに体力の落ちた今となってはSサイズですらぎりぎりだろう。
『よくそんなに食べられますね、胸焼けがします』と呟く彼の手元にはバニラシェイクのみ。彼にとってはバニラシェイクが至高で、中でも週に何度も通う大型チェーン店のマジバのものが一番好きだ。たまには他店のものが飲みたくなるのも事実ではあるが、断じて浮気ではないと彼は主張する。


「それ、そんなにほしかったのか?」
「ええ、まあ」


それ、と火神が差したのは購入時に貰えるポイント券を貯めて貰えるマグカップだった。ミ○ド特有のライオンのような黄色っぽい動物が描かれている。火神が満足する量のドーナツを購入する為のお財布役を買って出たのは黒子だ。要するに奢ってくれたのである。
帰国早々、時差ぼけも直らない疲れた身体を押して出てきたのは、黒子が『好きなだけ食べれば良い』なんて珍しいことを言ってのけたからであった。


高校二年生の時、火神は誕生日に黒子からマジバでハンバーガーを奢ってもらったことがある。『誕生日プレゼント用意していないので今日は好きなだけ買って下さい』と意気込んだ彼の言葉を信じた結果、チームメイト全員から白い目で見られたのは忘れられないし、黒子も火神とは違う意味で忘れていないだろう。
誠凛のメンバーの他に何故かキセキも勢揃いしている中、黒子は真っ白になっていて何度も何度も財布を覗き直していた。いつも火神が頼むのは高校生のお財布に優しい、増税後もワンコインで買うことのできるチーズバーガーで、その時も同じものを頼んでいた。奢ってくれるという言葉にこれ幸いと高いものを頼んだわけでは決してない。
『ボク、いくらなんでも五千円あれば足りると思っていました…』と青褪める黒子に、その場にいた全員が二百円ずつカンパしていた。その後火神が『ちったあ遠慮しろよ』だの『アンタの胃袋ブラックホールなわけ〜?』だの『黒子っちがかわいそうっス〜』だのと、責められ続けたのは言うまでもない。
ちなみにハサミのトラウマを植え付けてくれた例のアイツが、財布から黒光りする硬いカードを取り出して黒子の手に握らせ、『テツヤ、大丈夫だ。これはなんでも買える魔法のカードだよ』と言っていたのは多分火神の気のせいだろう。それを周りの皆が必死に止めていたのも火神の夢の中の話だろう。


そんなこともあったので、実のところ火神はかなり遠慮していた。大学生になってから、黒子は書店でアルバイトをしているし、ちょっとした定期的な収入はあるだろう。
高校生の頃のように親から小遣いをもらって生活しているわけでもなく当時より自由に使えるお金は増えているはずだが、火神が好きなだけ食べるとなると話は別だった。
百円セールをやっていても、間違えば樋口一葉一枚が飛んでいくだろう。黒子の方から言ってきたことなので本当に遠慮しなくても良いのはわかっているが、黒子のあの青褪めた顔がどうしても頭を過ってしまう。
しかし、十個ほど選んだところで会計に向かおうとした火神を引きとめたのは他でもない黒子だった。『そうですね、あと二十個は選んで下さい』と黒子は鉄仮面の顔(かんばせ)を少しも緩めずに言ってのけ、『選べないならボクが選んじゃいますね』とひょいひょいと横からトレイにドーナツを置いて山盛りになったトレイをひったくり、勝手に会計に進んだのも黒子である。


「お前そんなにそのライオン?好きだったか?」
「いえ、特に」
「ならこんな金かける必要あったかよ」
「ポンデラ○オンさんは特に好きではないですが、どうしてもほしくて」
「はあ?なんで?」
「…この間、青峰君がボクたちの家に突撃してきたんですけど」
「ああ、先週だっけ帰国したの」
「帰国早々、百円セールだったとかで大量にドーナツを買ってきまして」
「…食べきれたのか?」
「殆ど征十郎君が。ちなみに今でも少し冷凍保存されています」
「oh…」
「その時についでと言って、買った時に交換したらしいマグカップを貰ったんですけど一つしかなくてですね」


黒子が欲しがったマグカップは、十五ポイントで一つ貰えるものだ。ちなみに三百円で一ポイントの券を貰うことができる。
青峰が百円セールの時に一つマグカップを交換してきたというのなら、もし百円のものだけ買ってきたと仮定すると四十五個は買ってきたことになる。火神は思わず頭を抱えていた。別に高いものを買ってこいと言っているわけではない。
友人宅にお邪魔する時に持って行くのであれば喜ばれる類のものだろう。しかし、アメリカから帰ってきていきなりミ○ドのドーナツ。
もう何度もアメリカ土産は持ってきているし、黒子も特に土産は要らないと度々言っているが、日本にいる黒子がいつでも買えるものをいきなり大量に持って家にやってくるとはどういうことなのか。黒子の口ぶりだとアポなしだったに違いない。自分も頭が良い自信はさっぱりないが、青峰の方がよっぽど重傷だと火神は思った。

ため息をつきながら、赤い頭を上げる。黒子は依然、ちゅるちゅるとシェイクを啜っていた。火神は三十個以上のドーナツのうち既に三分の二はなくなっているというのに、彼の手の中にある飲み物は半分も減っていない。

食の細さは相変わらずだな、と彼の手を見つめていると、悪寒に似た冷たいものが背筋に走る。それは黒子といる時に何度も感じてきた本能的な恐怖。火神が視線をあげれば、嫌な予感は的中している。
キリスト教徒ではないが神にも祈る気持ちで、心の中でアーメン、と十字を切る。ああ、今日は何度目かのオレの命日かもしれない、と火神は思った。


「お前こういうの好きだろ、とか言ってきたんですよ彼、」
「…オイ」
「まったく青峰君はボクをなんだと思っているんでしょうか」
「オイ黒子、」
「こういうのは女の子にあげるべきだと思います。桃井さんとかにあげたら良いのに」
「黒子、後ろ」
「さっきから何ですか?キミ、ボクの話ちゃんと聞いてます?」
「いやだから後ろ!」
「後ろ?」
「テツヤ」


ブリザード。氷点下。
何でも数年前に南極大陸の最低気温が塗り替えられたとかなんだとか。氷点下百度弱だと随分昔に黒子が言っていたことを火神は唐突に思い出していた。類稀なる筋肉量と高い基礎代謝のおかげでそうそう空調の行き渡る店内で寒いと思うことなどないのだが、この時ばかりは両腕をさすりたい、と火神は思った。どうにも鳥肌が立っている。
暦上は秋だが、まだ残暑真っ只中。外に出ればジワリと汗が滲み、蝉時雨が聞こえる時期だ。空調が効きすぎているわけでもない屋内でここまで悪寒を感じるのはただ事ではない。

思わず身を竦めてしまいそうになる冷気の根源は、深緋と鬱金の瞳を釣り上げて鬼のように笑っている黒子の恋人、赤司征十郎が原因だった。


「テツヤ、何故火神と二人っきりでこんなところにいるんだ?」


地獄から響いてくる太鼓の音のようだった。バスには高く、テノールには低いようなその声は、地を這うようにドスが効いている。
その問いは黒子へのものと言うよりは、黒子への質問を装った火神に対する威圧だろう。その証拠に火神は黒子にゴリラと称される筋肉隆々の巨体に冷や汗を掻き、座っていたボックス席の奥へ奥へと後ずさりしていた。

『何で火神といる』という質問は多分、『どうしてお前がテツヤと一緒にいる』という意図を孕んでいる。

黒子がドーナツ奢ってくれるって言うから、と答えれば、テツヤに集ったのか?ということで地獄行き。黒子に無理矢理連れて来られた、と答えれば、テツヤのせいにするのか?ということで死刑。
どちらにせよ火神の未来はお先真っ暗であった。
どう答えたとしても赤司の満足する答えは存在しないが、それでも命は惜しいのが人間である。どう答えれば自分に対する被害が最小限に抑えられるのか、大して詰まってもいない脳味噌をフル回転させて考えている鏡を他所に、この状況の諸悪の根源とも言える黒子が重たい口を開いた。


「ドーナツ奢ってあげたんです」
「何で奢る必要がある」
「ポイントほしかったんです。カップゲットできました!」


渾身のドヤ顔、という形容が相応しい笑顔。こんな黒子の顔は早々拝めるものではない。
ここにはいない黄瀬などがその表情を見たあかつきにはスマホのカメラが連写されたことだろう。
しかしこの緊迫した空気の中、火神は黒子の表情になど構ってはいられなかった。この場を丸く収めることができるのは、目の前で嬉しそうにポイントと交換したマグカップを赤司の目前に突きつけている黒子しかいない。
絶対零度のブリザードを生み出していた赤司がさりげなくスマホを取り出しカメラを向けたことは見なかったことにした。シャッター音はしなかったが、今は無音カメラというアプリもあるという。機械音痴の火神には詳しいことはわからなかったが、取り敢えず赤司の行動はなかったことにするしかない。


「…何で俺を誘わない」
「だって赤司くんこんなに食べられないですよね?」
「食べられる」
「無理ですよ」
「前に意外とたくさん食べますねって言ってただろう。オレは意外とたくさん食べる」
「なんですかその日本語」
「お前が言った事実だ」
「キミが見た目と違ってたくさん食べるのは知っています。でもキミ甘いものはたくさん食べられないでしょう」
「オレがいつ甘いものが嫌いだと言った?頻繁に食べているだろう」
「そうですね。おはぎとかきんつばとかべこ餅とか好きですよね」
「ならオレと一緒に来れば良かったはずだ」
「先日ドーナツはしばらくもう良いと言ったのは何処の誰でしたっけ?」
「テツヤへの愛で食べられる」
「…ばかじゃないんですか?」
「オレはテツヤ馬鹿だ」
「…大体今日はキミ予定入っていたじゃないですか。ポイント今日までだったんですよ」
「テツヤ以上に重要な用事なんてこの世に存在していない」
「ボク、他人との予定を蔑ろにする人は好きじゃありません」
「…オイ、火神、」
「火神くんに当たるような人はもっと好きじゃありません」
「……」
「なんでおもむろにスマホ出して何してるんですか?」
「…いや?別に何も?」
「青峰君に無言電話の嫌がらせでもするつもりですか?」
「…」
「図星ですね。自分の思い通りにならないからって他人に当たる人は嫌いですよ」
「……こんな、」
「こんな?」
「……こんなカップよりいいものオレが買ってやるのに…!」


押し問答だった。頭の良い赤司が黒子に言い負かされるというのは、最初でこそ不思議なものだったが、今となってはなんら普通の光景である。
揚げ足取りや言葉尻をとること、相手を言いくるめて八方塞がりにしたり、自分の思う通りに事が運ぶよう用意周到に言質を取っていくだけなら、赤司の右に出る者はそういないだろう。赤司は頭が切れる上に二枚舌三枚舌かと思うほどに口も上手い。冴えわたる頭脳は在籍している最高学府が物語っている。そんな赤司を、実際に彼を言いくるめることができる人間など黒子の他に見たことが無い。

赤司に比べ、明らかに学の面で劣る黒子が彼を言い負かすことができるのは、ひとえに惚れた弱みと言うより他ない。
黒子は軽々しく他人に対する嫌悪感を露わにしない人間だ。しかし、友人やチームメイトなど彼の親しい人間を傷つけたり尊厳を損なうような発言をするものには容赦がないのである。

『好きじゃない』と『嫌い』は同義ではない。しかし最終的に『好きじゃない』から『嫌い』へとグレードアップした言葉は赤司の心に深く突き刺さったようだった。決して赤司が嫌いだと言ったわけではない。
赤司の行動に関してそういう行動は黒子の中の好感度ゲージを下げると明示し、友人をこれ以上傷つけようとするなら嫌いになってしまいますよ、という警告しただけである。本当に嫌いになっていたら、こんな鬱陶しい赤司など黒子は無視してしまうに違いない。

しかしながら、恋人、もとい黒子テツヤ至上主義で『テツヤにちょっかいかける者は神でも殺す』等と言いだしかねない程の黒子厨を拗らせている赤司は黒子の発した言葉の意味を正確に把握しておらず、ただ黒子が頼った火神に嫉妬するだけだ。
挙句、黒子の欲しがったファンシーなカップをディスリスペクトするまでに至ってしまった。頭痛が頭痛を呼ぶ。赤司の黒子大好き病は年々重症化していくばかりだった。


ウエッ○ウッドだってミ○トンだって、ロイヤ○コペンハー○ンもバ○ラ、ヘレ○ド、マ○セン、ノリ○ケもジノ○、何だってお前の為なら何だって買ってやるのになんで火神と一緒にこんな安物のカップを貰いに来るんだ!と赤司は喚く。火神の頭痛は増していくばかりである。

学にも才にも恵まれた赤司は、容姿も恵まれている。どこぞのモデルのようにすらりと伸びた四肢を優雅に闊歩させ、身に纏う雰囲気から清廉とした育ちの良さを滲ませているその佇まいは、百人中ほぼ百人が見惚れるものだろう。
そんな美丈夫が、見るからに高級そうなスーツが汚れるのも厭わずに、無表情にシェイクを啜る茫洋とした青年の膝に縋りついている。これで周囲の人間が好奇の視線を向けないなど、無理な話だと火神は思った。


「テツヤはオレが嫌いになったのか?離婚するのか?そんなに火神がいいのか?それともミ○ドを大量に買ってきた青峰が良いのか?それならオレがミ○ドの資本ごと買いあげよう。そうしたらここのシェイクもドーナツも全てお前のものだよ。食べ放題だし飲み放題だ。それでもオレを捨てるのか?こんなにお前のことを愛しているのにそれでもお前はオレを嫌いだと言うのか?!」


ここってどこだったっけと火神は思う。遠い異国の地にいたことがある火神は同性愛に偏見はない。同性を愛したからと言って他人から責められることではないし、当人同士が幸せなら構うところではなかった。しかし、様々な運動によって昔よりも受け入れられてきてはいるが、日本という国は依然マイノリティに対しての差別の感情が根強く残っているのが実情だった。
そして痴話喧嘩は衆人環視の場では避けるべきだし、公共の場では恋人同士のいちゃつきというのも慎むべきである、というのがのがこの国の常識だ。
付き合いが長く、これまで何度もこうした二人のくだらない喧嘩に巻き込まれ、のろけのようないざこざに巻き込まれてばかりの火神でも、いきなり目の前で、そして無理矢理連れてこられたファストフードの店内で大掛かりな痴話喧嘩を始められては頭を抱えるしかない。大体離婚ってなんだ。日本では同性婚は認められていない。ていうかお前ら結婚してねーだろ、と心の中で火神は盛大にツッコミを入れていた。

もう駄目だ。店内から出よう。幸いなことに火神は黒子に奢ってもらったドーナツを完食している。黒子が飲みきっていないバニラシェイクはそのままテイクアウトしたところで大した問題ではないはずだ。
火神自身、身長の高さや風貌等から目立つ方ではあるので人からの視線にはある程度慣れている。しかしこの痴話喧嘩による注目はそういった類のものではないしあまりにも悪目立ちしすぎていた。店内で騒いでは苦情に繋がるしいい迷惑だろう。
トレイに手を伸ばし、火神が黒子へ場所を変えようと言おうとしたその時だった。
黒子の少し頼りなさげな細い膝へ抱きつき額を擦り付け、スーパーでお菓子をねだる駄々っ子がいやいやをするようにオレを捨てないでぐれと言い続ける赤司の丸くて赤い頭のてっぺん――つむじを、黒子はもらったばかりのマグカップでコツン、と軽く叩いた。


「そういうことじゃありません!」
「テツヤ…?」
「高級なカップとか食器なんて要らなんですよ!ボクはキミとお揃いのマグカップにしたかったんです!愛はお金で買えません!」
「っテツヤ…!!!」


茶番だ。とんだ茶番だった。緑のおは朝信者がいたなら間髪入れずに『茶番なのだよ…!』と突っ込むに違いないほどくだらない茶番だった。
しかし居合わせたというよりとばっちりを受けた火神は既に突っ込む気力も残っていない。
万年新婚夫婦のようなこの迷惑な恋人たちの片方に、強制連行された時点で多少読めた展開ではあったが、巻き込まれた火神にとってはたまったものではなかった。
二人の痴話喧嘩を見守っていた周囲の人々は、黒子と赤司の仲直りを見て拍手や口笛を吹いているものもいるのがこれまた火神の頭痛を誘う。赤の他人が、外から見ている分には面白い光景だったかもしれないが、はっきり言って迷惑千万。
夫婦喧嘩は犬も食わないので二号だって食べないだろう。桃井の手料理を一切口にしなかった二号としては犬も、なんて例えは不名誉なことかもしれない、と火神は一人思った。


「ていうか、オレに奢った時点で金使ってんじゃん…」
「イグナイトっ!」
「理不尽!」


後日、赤司にまで不法侵入された挙句、その翌日にはポン○リングが十ダース程届いたとか届かなかったとか。
真実は火神のみぞ知る。



相棒にドーナツおごってもらったら危うく死にかけた