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昼間であるのに空は黒く、辺りは夜のように闇が広がっている。季節の変わり目の終りを告げる雷が、遠くから聞こえた。 韻は雨が落ちて来るよりも前に目的地へと辿り付く為、足早に人混みをすり抜けて行く。 今日は珍しく郭翼の屋敷に呼ばれていた。 ここの所、翼は張皖以外の人間と会うのを避けている。それに、あれだけ夜の街を騒がせていた男が、最近人が変わったように静かになっている事も気掛かりだった。 あまり良くない噂を耳にする。
鼻の頭にぽつりと冷たい雫が落ちた。 本降りになる前に辿り着けた韻は、屋敷へ飛び込んだ。 侍女に案内され、廊下を進む。 静まり返った屋敷の中、雨音が響く。
「相変わらず色気の無い女だ」
通された部屋には、寝台から半身を起こしている翼の姿があった。 薄暗い部屋の中に侍女が新たな明かりを点すが、その朱い光の中でも翼の顔は青白く見えた。 白い着物から細く伸びる腕を伸ばし、侍女を部屋から追い出した翼は、続けざまに韻を隣へ呼んだ。
「もう少し女らしくしたらどうだ。髪なぞ伸ばし放題じゃないか」
「病床にありながら私へ説教か。他に何か話があるのだろう」
翼は朱を引いたかのように赤い唇を歪めて笑った。 顔色は悪いのに唇だけ赤く、いつもの妖艶さに拍車がかかっており、女の韻でさえドキリとする何かがある。
「そう問答を急くな。たまにはゆるりと話をしよう……。そうだな……公徳の事だ」
韻は口を動かしたが、声は出なかった。
「あれの周りは敵ばかりだ。何とかせねばならんが、今の俺には何も出来ない。お前がもっと身近にいて、一番の味方になってやれ。……俺の代わりに」
「子比、お前のような才能は私に無い。公徳兄の敵は政敵だろう。私に敵う相手じゃない」
韻は激しく雨の打ち付ける窓の外へと視線を移した。
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