「私に続け!」

 手にした剣を再び振りかざしながら声を張り上げ、馬の腹を力強く蹴り、一気に駆け出す。
 背後の騎馬兵が同じように動き出す足音が、地響きとなって轟き渡る。
 川の深さは二尺あまり。
 馬の腹に水が触れない程の嵩である。
 ばしゃばしゃ、と水を割る足音が、川の流れる音に勝り、逆に土石流が流れるかの如き怒号が一瞬辺りを支配した。
 川の幅は四丈程で、馬の足ならばすぐに渡り切れる。

 渡り終えた孟鐫は、隊列を整える為に一旦足を止めた。
 目前に見える敵陣は、不気味に静まり返っており、あまりにも動きがなさすぎる。
 その上、少し近寄ってみれば陣の門が開いている。

「空城計なるものがあると聞くが、これはあからさま過ぎやしないだろうか」

 孟鐫の後ろで、誰かがぽつりと言った。
 だが、孟鐫は眉根を寄せる。

「あからさまで、嘘のように見える事こそ計である」

 空城計とは、劣勢な部隊が、わざと油断している様を相手に見せ、疑心暗鬼を生じさせる計の事で、目的は時間稼ぎである。
 相手が時間稼ぎをしたいのならば、増援が近いのやも知れぬ。
 だが、裏をかけば突入した途端に矢の嵐に見舞われる事だろう。
 裏の裏は表と言う。
 先に上流の堰を破った事で、敵陣の参謀役は策の裏を読まれる事が解ったはずだ。ならば、裏の裏を行こうとするのではないか。
 今回は明らかに怪しい空城計だが、その怪しさがまた怪しい。しからば、空城計は真なるものであろう。
 増援が到着する前に、なんとしてでも落とさなければならない。

「惟嵩殿は左翼、仲煌は右翼、私は正面より攻める。決して北東方の逃げ道を塞いではならんぞ!」

 孟鐫の両側にいた二人は軽く頷き、颯爽と兵を率いて走って行った。

 三十六計の一つに、欲檎姑縱(よくきんこしょう)と言う計がある。
 敵を追い詰めれば追い詰める程、死に物狂いで反撃を仕掛けてくるのは当たり前だから、あえて逃げ道を開けておけばそうはならない。
 時間稼ぎをしようと言う考えが見え隠れする為、完全に包囲してしまっては必死で戦うだろうと孟鐫は踏み、逃げ道を塞ぐなと命じておいた。

 ぴー、と甲高い笛の音が、風に乗って孟鐫の耳に入る。
 惟嵩と仲煌の準備が調ったようだ。
 孟鐫がすっと剣を持ち上げると、背後で銅鑼の音が鳴り響く。それを合図とし、騎馬部隊は一斉に動き出した。
 門や簡粗な防柵を蹴破り、敵の陣中へとなだれ込む。
 孟鐫は先刻の戦いのように、矢の雨が降り注ぐ事を覚悟していたのだが、思いの外出迎えは静かな物だった。
 突撃があまりにも予想外だったのか、武器を取る手元が覚束ない者が多く、まともに戦えそうな兵はこの陣中にいる人間の半数にも満たなそうだ。
 元はと言えば、唯の農民であったのだろう。身なりからしてもみすぼらしく、体格など柳のようにか細い。

「抵抗する者には容赦せずとも良いが、抵抗しない者に対しては早急に虜とし、無駄に命を奪うような事はするな」

 勢いよく突き出された矛先を剣で弾き返しながら、孟鐫は怒鳴る。
 敵数の程は一万か、それ以上のはずなのだが、いかんせん戦意のある者が少なく、程なくして潰走をし始めた。
 騎馬兵六千など必要無い、随分とあっさりとした勝利である。
 音に聞く程の武力が、ここには無い。

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