夜はもうすぐ東の端まで迫ってきている。
スピーカーから流れる音楽が夕方に合いすぎていた。日曜日。晴れのち雨。今はまだ晴れ。

20分間彼女の声を聞いていない。四時半に宅配ピザを注文したのだ。

ペパロニの、Lサイズ。…そうです。一丁目の、××アパートの、203まで。お願いします。
30分かからないって。時間、はやいから混んでないみたい。よかったね。

「お前さ。」

声が聞きたくて話しかけたのに、彼女は本から顔を上げただけだった。

「…この先、どうすんだ。」

なに、とか、どうしたの、とかいう音だけを求めていたのが悪い。なんでもないって言うつもりだったせいで、咄嗟にいつも思っていたことを言ってしまった。言わなきゃよかった。
ファズの利いたベースが小さい音で走り続けている。夜が東から漏れはじめている。

「この先?」

彼女が細い腕を伸ばして、ステレオの電源を切った。ぶつんという音が響いて、夕方五時の静寂が部屋を満たす。さっきの涙を誘う音楽よりも、しんと張り詰めた冬の無音の方がずっとこたえた。影をなくした太陽の余韻が波のようにどんどん引いてゆき、部屋は一秒ごとに暗くなってゆく。

「俺はもう、いつ消えるかわからない。」
「…そうだね。」

そのとき、インターホンが鳴った。ピザ屋の男のくぐもった声が扉越しに聞こえると、彼女は裸足のまま冷たいフローリングを歩いていった。
その後ろ姿を、目に焼き付ける。

玄関のドアが開いて、冷たい風が部屋にすばやく入り込んだ。部屋の空気が外と混ざり合ってざわざわと動いた。
ダイニングの電気のスイッチをオンにして、今日も夜をはじめる。

「はい、持って。」

彼女は突っかけたサンダルを足で脱ぎながら、俺に受け取ったばかりのふたりには少し多いピザを差し出した。少し触れた白い指はびっくりするほどに冷たい。いつもと同じに。
ドアはひとりでに重い音を立てて閉まり、冷たい空気はストーブを焚いた部屋に薄まって鋭さを失った。

「ピザ屋の彼女にでもなろうかな。」

鋏で強引にテープを切って、ボール紙の蓋を開けながらなんでもないことのように彼女はそう言った。あたたかい湯気をもくもく立てているピザも、白く現実的な光を浴びせる蛍光灯の真下ではレプリカみたいで、不味そうだ。

「…何言ってんだ。」
「先がなくてもいいから、一緒にいよう。」

黒くて丸い目が、自分のことをじっと見つめていた。

「今は、一秒でも多く一緒にいよう。しっかりとふたりで暮らして、それを積み重ねて一日にも二日にもしていこうよ。砂月がいってしまったあとのことは、そのときの私が、きっとなんとかします。」

一瞬抱いた恐怖は、大きすぎるものを前にしたときに体が勝手に抱くそれと同じ種類のものだ。
彼女の瞳は黒くて丸く、深い。
底の見えない目は深い海ほどで、感情の色はわかりにくいものの、やはり海のように、水をたたえていて豊かだ。
彼女はびりびりと痺れるくらいに真剣な眼差しを向けていた。長くは続かない時間にひたむきで、痛々しいほどだった。

そうだな、小さく返事をすると、彼女は薄い唇を少し歪めて微笑んで、また手元に視線を落とした。白い頬にまつげが影を作っていた。

鼻と目の奥が熱くて、じんじんしている。涙腺がずっしりと重い。
気づかれないようにしてこっそりと目をきつく瞑ると、焼き付けた後ろ姿、残像、揺れる白くて丸いかかとが瞼の裏で夢のように、いくども浮かび上がっては消えていった。




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『レム』に続く



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