『東海地方はおおむね曇りで――』

音漏れしているのは夜中、眠れないからといつものように彼女がヘッドホンで聞き始めたFMラジオだ。天気予報をやっているなら、今はもう6時を過ぎた頃なんだろう。
向かいのマンションの廊下は、まだ明かりが点いていた。

寒さで目を覚ました。小さいソファーでうとうとしていたせいで背中が痛い。
彼女はその狭い部屋の隅にあるセミシングルサイズのベッドで、羽毛布団をかぶって丸くなって眠っている。

どんなに寒くても、風邪をひいていても、その後でなにかしないとしても、彼女の寝床に潜り込むことは―――しない、のだ。
空に浮いた半月はもう、夜の色が抜けて白くなっていた。
しかたないから僕は勝手に押し入れを開けて、夏用のタオルケットを二枚取り出す。ラジオの音が微かに鳴っている。彼女の意識は瞼とそのびっしりと生えた長い睫毛に閉ざされている。

「どっち。」

細い髪が絡んだヘッドホンをそっと外すと、彼女はいきなりぽつりとそう言って、それからゆっくり目を開けた。
彼女の瞳は黒くて丸く、深い。
そこから感情や意図を汲み取るのは難しい。
もっとも、僕が今ここにいるのは、君がその難解なことを誰よりも簡単にやってのけたからなのだけれど。

「…砂月。」
「うそ。」
「うん。」
「寒いね。」

彼女はそのハチュウ類のような黒い瞳で僕を見た。そこに君の面影を想うような色はない。
彼女は僕と景色を等しく見つめる。嫌われてはいないけれど、特別好かれてもいない。僕はこのままここにいてもいいのだろうか。
枕元に置いたヘッドホンから、ラジオが微かに鳴っている。電源を切っていなかった。
彼女の声は小さくても、どこまでもよく通る。
低気圧が発生するため―――

向かいのマンションの明かりが一斉に消えた。

「私これ、好きなの。」
「そうなんだ。」
「那月と見れてよかったって思うよ。」

彼女は横顔のままそう言って、霧っぽい青い朝を見つめた。肩まで毛布をかぶって、ベッドの上に座っている。
彼女の特別でないのなら、僕はここにはいられない。それなら今ここで諦めたい。彼女の低い体温は僕と他人を等しくやんわりと拒絶し、瞳は僕と風景を等しく扱う。彼女の瞳から感情や意図を汲み取るのは難しい。君以外には。そうだ。そうだった。

「どうする?なにか温かいの、飲む?作ってあげる。」

彼女は暖かい毛布の中から抜け出して、裸足のまま冷たいフローリングを歩いていった。


きっと彼女はいつもの甘すぎるココアで喉を焼いたあと、またヘッドホンをつけて眠りに就くだろう。僕もきっと、彼女に気づかれないようにいつも通りマイスリー錠をひとつ飲み込んで、4時間後まで浅くてわかりにくい夢を見るだろう。だけど今日はひょっとしたら、暖かいベッドで眠れるかもしれない。

キッチンの方からやかんに火をつけた音が聞こえた。月は送電線を支える鉄塔に隠されている。ラジオの音が微かに鳴っている。午後は、晴れになるところがあるでしょう。




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君=砂月
『P.S.』の続き



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