カルバリの丘 後編
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ふ、と。目蓋を開けると、視界は薄暗く。

「っ…ぅん…?」

だんだんと覚醒していくと、体が動かせないことに気付く。

後ろから、熱い体に抱きしめられていた。


(――ゆき、お…?)


首の下にまわっている腕と、背中に密着している体から、とくり、とくりと、雪男の音が聞こえる。
とても、優しい音だ。


ふいに、さっきから感じている違和感のことを考えた。


雪男の体温が、俺より高いはずがない――


「っ雪男!?」

体を抜くようにして腕の中から出て、雪男の額や首に触れると、いつもよりずっと高い体温があった。

脳裏に、高熱を出して苦しんでいる、小さい頃の雪男の姿が浮かぶ。


「そうだ、薬…っ…?」

くん、と腕をひっぱられて、ベッドへと戻される。

「ごめん、起こしたか?すぐ薬持ってくるから。」

「…ぃ、」

「ん?」

「い、らな…ぃ」

苦しそうな声で雪男が呟いて、俺を見上げた蒼い瞳が不安げに揺れていた。


「雪男、でもっ、熱が…」

「…にいさ、…」


「そのままじゃ苦しいだろ。何か、食えるか?」

「ぃ…かな…で…」

眼鏡をかけていないその表情は僅かに幼く、不安そうに見上げてくる表情は、昔のままで。


汗で額に張り付いた前髪を、指で避けてやると、その手を掴まれた。

「大丈夫だって。お粥作って戻ってくるから。な?」

「いや、だ…!に、ぃさ…っ」

「っ、ゆ…きお?」


ぽろぽろと。次々と零れ落ちる涙に動揺する。

俺の手首を掴むその指は小刻みに震えていて。

「い、かな…で…!…どこ、にも…っ…」

しゃくりあげるようにして涙を流す雪男に腕を引かれ、震える腕できつく抱きしめられた。


とくり。

不意に自分の中で沸き上がった感情は、とても優しい温度で俺の中に染みていく。


「ゆき、…泣くな、大丈夫だ。」

「っにいさん…、にぃ、さ…」

「うん。…どこにも行かねーから。な?」

そう言って俺は、雪男を出来るだけ優しく抱きしめ返した。


きっと、どんなことをされたって拒めきれず、逃げ切れず、嫌いになれないくらい、俺は雪男が大切なんだ――










頭がぐらぐらして回っていて、暗い。

暗くて暗くて、必死に手を伸ばす。

自分よりも一回り小さな体を、縋るように抱きしめた。


兄さんが僕の熱に気付いて、兄さんが離れていった瞬間、とてつもない恐怖が僕を襲う。

「ぃ…かな…で…」

視界が滲んで、水滴が頬を何度も伝う。

カラカラの喉が引き攣れて痛い。

痛いけれど、僕に背を向ける兄さんが、怖くてたまらなかった。


行かないで。

傍に居て。

何もいらないから――


コントロールを失った体が、勝手な言葉を吐き、勝手に水分を零し、勝手に抱きしめた。


縋るように手を伸ばした僕を、逃がさないように抱きしめた僕を。


柔らかい腕が応えてくれた。





ねぇ兄さん。

僕はずるいんだよ。

だって今、熱が出てよかったって思ってる。


兄さんが、どこにも行かないと言ってくれたことが、
兄さんが、僕を抱きしめてくれたことが、
苦しさを越えて僕にしみ込んだ。



――確かにそれは、愛情の温度をしていた。




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