十時間
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ずる、と弛緩した兄さんの身体から自身を引き抜くと、仮眠用のソファへとそっと降ろす。

「泣かせて、ごめんね…」

泣き腫らしたその目蓋に口づけると、唇でまだ滲んでいる涙を拭った。


「ねぇ、兄さん、…戻りたい?」


七十時間前に。

僕らがただの兄弟だった時間に。

もちろんだ、というだろうか。

「ごめんね、…それは許してあげられない。」


さっきまで兄さんを穢していた場所へと戻ると、割れた試験管を片付ける。

未だ、床の上でキラキラと光る液体を眺めて、ふと、思う。


対・悪魔薬学の天才と呼ばれ、歴代最年少の祓魔師とはやし立てられ。

悪魔を滅する薬をいくつも作って、新しい強力な薬を開発するために、何度も実験を繰り返してきた。

ある時ふと、ひとつも、何にも害のないものを――ただ、綺麗なだけのものを作りたくなった。




完成した その虹色の液体は、悪魔にも人間にも害のない、ただ、綺麗なだけの液体だった。

試験管の中で、いつまでも輝き続けるそれは、とても綺麗で、きらきらしていて、誰もが触れたくなる。

その綺麗なものを守るのは、落とせば割れてしまうような硝子の膜。


まるで、兄さんみたいだと思った。

綺麗で、触れたくなって、壊してしまう。


兄さんが試験管を割ったように、僕も壊してしまった。


床に零れたままの虹色の液体は相変わらず輝いている。

まるで、どんなに体を重ねても兄さんの心を穢すことはできない、と僕に囁くかのように。



夕日が落ちて夜の帳が下りる頃。

眠る兄さんをゆっくりと抱きかかえると、準備室のドアに寮への鍵を差し込む。


「帰ろう、兄さん」


あの時には、帰れないけれど。


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