七十時間 (3/6頁)
――昨日の夜
兄さんとふたり、何時間も布団から出ず、水しか口にしていない。
ずっと、ずっと、傍に居たくて、一緒に居たくて、一つになりたくて。
夜が更けて、日付が変わろうとする頃、兄さんはぐったりとして、眠ってしまった。
ナカを揺すっても、眉をひそめて呻くだけで。
深い、深い眠りに落ちてしまった兄さんを、そっと抱きしめる。もう、他に何も要らない気がした。
ずっと、夜が明けるまで兄さんの寝顔を見続けて、髪を梳いて、顔中にキスの雨を降らせて。
起きる気配のない兄さんに、ふと、このまま起きてくれなければ、兄さんをここに、僕の傍に閉じ込めておけると、思った。思ってしまった。
――違う。僕は、そんなことをしたいわけじゃ、ない。
自分でもぞっとするような、感情。独占欲。
まるでその考えを振り払うように、窓を開けて夜明けの空気を吸い込む。
春とはいえ、少し冷たい、けれども爽やかな風が流れてくる。
「…ぼくは、いつか、にいさんをこわしてしまうかもしれない」
そう呟くと同時、ぽた、と。
水滴が、窓辺に掛けていた手に落ちた。
「…ははっ…」
この空虚さは何だ。
きっと、泣きたいのは兄さんの方なのに。
30分ほど早く寮を出て、正十字病院へと向かう。
『悪魔』に覚醒していないことを、上層部へ証明するために。
毎日、毎日、検査をする。
こころの検査がなくてよかった。
そんなものがあれば、とうの昔に僕は『悪魔』だと言われていたかもしれないから。
ついでに痛み止めを貰おうと、任務での怪我だと報告して、腹部の痣を見せる。
念のために、と撮られたレントゲンで、肋骨2本にヒビが入っているらしいことが分かった。
あぁ、1限目が始まってしまった。
壁に掛った時計を見上げ、ぼんやりそう思った。
授業中、この1カ月で初めて、兄さんは最初から最後まで、起きていた。
僕が学校の方を遅れたという情報は、とても、僕にとって好都合な形で、兄さんの耳に入ったようだった。
罪悪感に苛まれている兄さんが、愛おしい。
僕のことを憎んだっていいはずなのに、あの抵抗だって当然のことなのに。
兄さんは、どこまでも優しい。
そして、どこまでも僕の「兄」であろうとする。
「じゃあ、今日はここまで。課題は明後日の授業中に回収します。」
チャイムを聞いた僕はそう切り上げた瞬間、ようやく、という風に兄さんが駆け寄ってきた。
「雪男、時間…あるか?」
「片付けしながらでもいい?僕の準備室に来てくれると嬉しいんだけど。」
「おう。って、荷物は俺が持ってやるから!」
僕の手から教材を奪い取るようにして持つと、兄さんは先に教室を出る。
「兄さん、そっちじゃないよ。っていうか僕の準備室知らないでしょ。」
「う゛…そうだった…」
「もう、ちゃんと付いてきて下さいね、奥村君。」
「だー!っもう授業は終わったっつーの!」
まるで、3日前に戻ったみたいだね、僕たち。
あの、平凡で、境界線のすぐ手前で笑っていた、僕たちみたいだ。
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