の海
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喉の奥が、焼けつく。

男の精液の味なんて、知るわけなかった。

ましてや、弟の。

涙が滲んで、けれどそれはすぐにシーツへと吸い込まれていった。



俺のことを『好きだ』という雪男。


優しい声音で、信じられない言葉を言う。

優しい表情で、俺の抵抗を押さえる。

優しい眼で、酷い姿の俺を見る。


雪男のことを、嫌いにならない、拒まない。

それは、嘘じゃない。

世界でたった一人の弟を嫌うわけがないし、弟のわがままは 全部、聞いてやりたい。

だけどこんなのは間違ってる。

おかしい。

快楽のためじゃない。はっきりそう分かるほど、雪男は俺の何かに執着している。

でも、それが何かわからない。


お前は間違ってる、そう言って、ぶっ飛ばしてでも分からせなきゃいけないのかもしれない。

だけど、「兄さん」と呼ぶ声が、俺より小さかった頃の雪男と重なって、何も言えなくなる。


「ね、兄さん。もう一回、咥えて?」

まるで犬猫のように躾けようとするくせに、その声や表情や視線は、どこまでも優しい。

「も、もうむり、だっ…」

括られたままの左の手足を引きずるように逃げようとすると、後ろから強く抱きしめられる。

「ゆきっ…!いやだっ!」

せめてもの抵抗に自由な右腕を振り回すと、ドンッ、と肘が思いっきり雪男の体にぶつかる感触がした。

「ぐっ…!、げほっ」

「っあ…」

昔、ジジィの肋骨を折ってしまった、あの光景が一瞬頭を掠め、さあ、と血が引いていくのを感じる。

「ゆき…っ、ゆきお、大丈夫か!?びょ、病院に…」

「けほっ、大丈夫だよ、兄さん。僕はもう昔ほど弱くないんだから」

脇腹を押さえながら、そう優しくほほ笑む。

だが、押さえた指の隙間からは、皮膚が赤黒い痣へと変色していくのが見えた。


一番大切な弟を、一番守るべき存在を、傷付けてしまった。


「ゆ、き…」

制御できない自分の力が疎ましくて、おぞましくて。悔しさに涙が滲む。

「ごめん、…っ俺、」

「…じゃあ、もうひとつ、約束、して?…僕から、『逃げない』って。」

「そ、それはっ…」

「いいよ。じゃあ兄さんが逃げるたび、僕は何度でも兄さんを抱きしめる。…兄さんは暴れてくれてもいいよ。兄さんになら、僕は傷付けられたっていい。」

「そんな…っ!!」

「じゃあ、約束、してくれる?」


何が正しいのか、何を選べばいいのか、もう、わからない。


「…っ、…す、る」

「ふふ、ありがとう、兄さん。大好きだよ。」


俺を雁字搦めにする、茨の海は深くなるばかりで、考えれば考えるほど、もがけばもがくほど、俺を動けなくしていく。


「ねぇ…兄さん。もう一度、口のナカに、入れていい?」


―――雪男を傷付けるくらいなら。




ただ、ちいさく頷いた。



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