◎ Tears(1/3頁)
「あはは、お似合いやあ」
乾いた自分の声が屋上に響く。
ごろりと横になって目を閉じると、教科書を読み上げる教師の声が微かに風に乗って聞こえてくる。
奥村くんとの関係を一方的に終わらせてから、早1週間。
昨日の夜、金兄から電話がかかってきたのを眉を顰めながら電話を取れば、「夏姫ちゃんもらうでー」とあっけらかんとした声で告げられた。
どうやら暫く連絡を取っていないうちに俺の彼女は、いや、元カノは金兄のライブに行っていたらしい。
趣味の似た俺達のことだ。金兄が目を付けるのも当然か。
「ほんま、お似合い。あんたらも、…俺も。」
煌びやかな世界が似合う二人だ。並べば誰もが振り返るような、そんなお似合いの二人。
そして、俺は一人ぼっち。自分から離した手と、掴むことをやめた手。
「なぁーんにものうなってもうた…」
これが、俺だ。
生まれた時から何もない。これでいい。砂の城のように、崩れる時は一気に崩れ落ちていくものだ。
「この体ごと、崩れ落ちてしまえばええんに。」
砂のように。
真夏の屋上は日陰と言えど、うだる様な暑さで俺を苛んでいたけれど、体中から水分が抜けていくような汗を拭うこともせずに俺は緩やかに訪れた睡魔に身をゆだねる。
きっと起きる頃には水分が抜けきって、砂になってサラサラと崩れていくのだ。
暑さだとかがすうっと消えていくような感覚に目を瞑ると、ぱたぱたという足音が遠くで聞こえた気がした。
「…しま…!」
この真夏の晴れ渡った空に似合う声だと思った。
「志摩…?しま、大丈夫か?」
冷たい手が怯えたような繊細さで俺の頬に触れた。
(目、開けられん、)
俺は今、砂に変化してる途中なのだ。体中が重くて、指一本動かすのも億劫で、瞼は鉛のように重い。
「しまっ…しま、」
冷たい手がぺたぺたと頬や額に触れるのが気持ちいい。ふわりと体が浮いたような気がして、俺はそのまま意識を手放した。
砂になって、サラサラと屋上から空に消えて行く。
そんな、夢を見ていた。
パチリと目を覚ますと、少し気だるい体は元のままのカタチをしていて、視界には天井と、左右を仕切られたアコーディオンカーテン。
涼しいクーラーの聞いた空調に混ざるアルコールの匂いと、遠くから聞こえる野球部の声にここが保健室だと理解した。
そして、左手は柔らかい熱に包まれていた。
(おくむらくん、)
俺の左手を、まるで祈るようにそっと両手で包んでいる。部活の始まっている時間ということは、あれから4時間はゆうに経っているはずだった。
ゆっくりと体を起こした俺に、奥村くんがびっくりしたように目を覚ます。
「し、しま!大丈夫か?保健の先生が、軽いねっちゅーしょー?だって。」
俺の額や首に手を当て、ちょっと待ってろ、と冷えたスポーツドリンクを持ってくる。
大丈夫か?と聞いてくるその表情は『お兄ちゃん』のもので、病弱だったという若先生はこういう風に兄に愛されてきたのかとふいに思った。
「奥村くんが運んでくれたん?」
「うん。志摩って意外と軽いのな。」
悪気ゼロの声でそんなことを言われれば、怒る気も無くしてしまう。
奥村くんの怪力をもってすれば坊だって軽いだろう。そう思いたい。
スポーツドリンクを喉に流し込めば、砂になりかけていた内臓が戻っていくような気がした。
「奥村くんこそ、なんで屋上なんかに来たん?」
ぴくん、と体を揺らし、尻尾をうろうろと彷徨わせる。何か言い難いことがある時の動きだ。
「…4限の移動教室のとき、志摩が屋上行くの渡り廊下から見えて、…そんで、昼休みもいなかった、から…」
はぐらかすのが酷く下手な彼は、言葉の一つ一つに『他の理由がありますよ』と親切に含ませてくれている。
「うん、ほんで?」
続きを促すようにそう聞き返せば、少し視線を彷徨わせたあと、俯いてぽそぽそと小さく呟いた。
「…かのじょと、別れたって……うわさで、」
「…あー。」
女の噂話なんてものは、内緒だよ、なんて言いながら空気感染するウイルスみたいに広がっていくものだ。
そんなものだと思っているから、昨日の夜の出来ごとがもう学校中に広まっていることも特別なんとも思わなかった。
「さっき廊下から見たとき、志摩が…何か…、」
ぐ、と下唇を噛みしめて黙ってしまった奥村くんを眺めながら、俺はただ「奥村くんて自虐趣味でもあるんやろか」なんてことを考えていた。
だってそうだ。自分との関係を終わらせた男が1週間普通に過ごしていたのに、そいつが彼女と別れた瞬間に授業をサボって屋上で熱中症なんかになるほどに弱っていたら。
それだけ自分なんてどうでもよかったのだと思い知らされる。
俺ならその扱いに憎しみすら抱くかもしれない。
本当は、特別彼女に固執してたわけじゃない。
心を乱されるのが嫌で奥村くんとの関係を終わらせて、普通の女の子と付き合って穏やかに適当に日々が流れていけばいいと思ってた。
ただ、それが急に何もなくなってしまっただけだ。
子供の頃から積み重なった、あの『何も無い』絶望感。
ただ、タイミングが悪かっただけ。
「大丈夫や、女の子なんていっぱいおるもん。」
俺の携帯のメモリには、ア行からワ行までびっちりと女の子の名前が並んでいる。ただ、どの名前を見ても顔が思い出せないだけだ。
誰に電話をかければいいのか、誰がこの『何も無い』俺を埋めてくれるのか、ちょっと分からなくなってるだけなのだ。
「しま、」
傷ついた声だった。その声が鼓膜を揺らすと同時、心臓の辺りを引っ掻かれたように鋭利な痛みが走る。
(せやから、奥村くんは嫌やねん)
こんな、他人のために胸が痛くなるような関係は、嫌だ。
ズズッと椅子の足が床と擦れる嫌な音がしたと思ったら、頬に温かいものが触れた。
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