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体中の傷は、すでに完全に癒えている。
けれど言い表しようのない体の重みにフラつくのを必死で耐えて部屋に戻ると、部屋の中は真っ暗だった。

「雪男…まだ帰ってねーのか、」

今日ばかりはホッとしてしまった。今はまだ、雪男の前でうまく笑えないと思うから。

電気を付ける気力もなく、月明りだけを頼りに着替えを引っ張りだすと、風呂場へと向かう。

(ちゃんと、落とさなきゃ。雪男が気付かないくらい、ちゃんと。)

ざりざりと音がしそうなくらいに強くスポンジを肌に擦りつける。
この汚れはどれだけ洗ったって落ちないって分かってたけれど。

じわりと、湯気のせいではなく視界が揺らいだ。
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。

体を内側から暴かれる恐怖と、痛みと、嫌悪感と。
そして人間を傷付けてしまった事実。

しょうがなかった―――そう、言い訳してしまいたかった。次々に思い出されるのは勝呂の歪められた顔や、しえみの涙、子猫丸の引き攣った表情。
暴走すれば処刑だと宣告されてすぐにこの様だ。

「ひ、っ…ぅ、」

ぽたぽたと落ちて行く水滴を誤魔化したくて、頭からお湯をかぶる。

ずっと、皆と友達で居たい。ずっと、雪男の兄で居たい。

一緒に居られる唯一の方法は、炎をコントロールすること。

ぐ、と誓うように掌をキツく握りしめた。




+++




布団に突っ伏すようにいつの間にか眠っていた俺を起こしたのは、鳴り響き続ける携帯電話の着信音だった。

部屋は暗く、雪男が帰って来た様子もない。

知らない番号を写しだすディスプレイに冷や汗をかきながら俺は震える指で通話ボタンを押した。

「…はい、「奥村燐さんの携帯ですか?」

言葉を遮る勢いでそう問われ、携帯の向こうの声が少し震えているのに気付く。

「え、あ、はい、奥村燐です。」

「奥村雪男くんが――――」

力の抜けた指から、ゴトリと携帯が床に落ちる。
頭が真っ白になったまま、俺は部屋を飛び出した。


なんで俺は祓魔師じゃないんだろう。

なんで俺は弟を守る力すらないんだろう。

なんで俺じゃないんだ―――俺なら、すぐに治るのに。


塾では講師の立場で、最年少祓魔師で、悪魔薬学の天才で、いつも傷一つどころかコートに汚れ一つ付けずに帰ってくる。
だから忘れそうになっていた。任務が、危険と隣り合わせなことを。


暗闇の中で煌々と明かりが漏れているその大きな建物に駆け込むと、ロビーには何人もの祓魔師のコートを着た人があちらこちらに居た。

「ああ…奥村燐君だね。こちらだ。」

血相を変えて駆け込んできた俺に気付いた、祓魔師のコートを着た背の高い男に案内される。

「今目を覚ました所だから、あまり長くは話し込まないように。」

歩きながらそう忠告され、『奥村雪男様』と壁にネームプレートの挟まれた扉にたどり着くと、男は元来た廊下を引き返して行った。

「…雪男…!!」

扉の向こうには、部屋に溶けそうなほど真っ白な包帯で体中を巻かれた雪男がベッドに横たわっていた。

「ゆきお、ゆき…なんで、こんな…っ」

「ごめんね兄さん、ちょっとヘマしちゃって。でもこの包帯は大げさなんだよ。見た目ほど悪くないよ。元気だよ。」

そう言って笑う雪男の顔色は青白く、右目も、首も、腕も、指先まで包帯が巻かれている。

「ばかっ…げんきとか、言うなっ…痛い時は痛いって、言えよ…っ」

ひっ、ひっとしゃくり上げるように涙が止まらなくなった俺に、雪男が包帯でぐるぐる巻きにされた指で髪を撫でてくる。

「ほんとに、大丈夫だから。痛み止めも効いてるしね。」

雪男はばかだ。昔から全然変わってない。痛ければ痛いほど、辛ければ辛いほど、苦しければ苦しい程に、大丈夫だと笑う自分の癖を雪男は知らない。

「…これ、いつ取れんの」

ガラスに触れるより繊細に、絶対に力加減を間違わないように、そっと俺の髪を撫でている腕に触れる。

「ここは祓魔師専用の病院だからね。対魔障用の治療に特化してるから、すぐ治るよ。」

眼鏡をかけていない分、顔を合わせているのに あまり視線の合わない瞳が悲しかった。

「…そっか、」

「…あーあ。暫く兄さんの料理が食べれないなんて最悪だよ。」

「退院したら、雪男の好きなもんばっか作ってやるから。」

「ふふ、楽しみ。」

それだけ言うと、けほけほと雪男が少し噎せたように咳をする。

「今日はもう寝ろよ。な?明日着替え持ってくる。」

本当は雪男が退院するまでここに居たいけど、雪男は俺の前だと平気なフリをして笑うから。


今度から、任務には絶対ついて行こう。

俺なら、雪男の盾になれるから。


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