鎖 (1/3頁)
ズキン、ズキン、と酷く痛む頭を押さえようとして、手足首が異常に重いことに気付いた。
じゃらり、と重厚な金属音を立てて視界の端で黒い鎖が揺れる。
「…ここ、は…?」
鈍い痛みを訴え続ける頭を微かに左右に動かして辺りを見る。
その景色には見覚えがなかったが、建物の雰囲気には見覚えがあった。
ちょうど一週間前、学園森林区域で行われた訓練の途中、アマイモンが現れて俺は暴走してしまった。
その後に行われた、メフィストの懲戒尋問に「証拠物件」として連れて行かれたあの場所。
――オペラ座法廷。
煌びやかな柱と、少しの汚れもない階段。あの場所に、ここは似ていた。
そして手を広げて2周は回るであろうほどの太い柱に、自分の手足から伸びた鎖が一纏めにして繋がれていた。
足枷と自分の足首の隙間に指を入れて力任せに外そうともがくも、全くびくともしない。
「〜〜っ!くそ、はずれねぇ…」
(つか、なんで俺こんなとこに…あれ、さっき何してたんだっけ、どこ居てたんだっけ、)
「っと…蝋燭の修行してて…」
目覚める前のことを思い出そうとしても、ズキンズキンと痛みが邪魔して上手く記憶を辿ることができない。
キイ、と扉が軋むような音がして、階段の上に幾人かの気配が降り立った。
「…誰だ!」
「…ふはっ、誰だ、だってよ」
「どーでもいいんだよそんな事」
「魔神の仔に教える名なんぞ無いわ」
うわんうわんと声が響くように広間にこだまする。
それは同時に、この空間に全く音が逃げる場所が無いことを示していた。
ぞく、と背中に冷たいものが走る。
下卑た声がいくつも重なる奥から、コツ、コツ、と静かな音が鳴った。
「下がれ」
凛、と刃のような声が通る。
この声を、俺は、知っている。
「っあ…」
ずきん、と痛くないはずの足首が疼く。
「…アー…サー、」
バシンッと音がして、遅れてじんっと左頬に痺れるような痛みが走った。
「悪魔ごときが、俺の聖なる名を口にするなど汚らわしい。」
『悪魔ごときが、アーサーの名を口にするなんて!』
まるで九官鳥のように、甲高い女の声が、アーサーの声をなぞるように繰り返した。
「カリバーン、嫉妬は醜いぞ」
ちゅ、と大きな剣の鍔に口づけを落とすと、また女の声が「剣」から響いた。
(なんだ…あれ、魔剣か…?)
じっとその剣を見ていたと、思っていた。
目の前に金糸が広がったのと、ザンッという音が鳴ったのと。
そして少し遅れて、全身を激痛が襲った。
「う、ああ゛あぁあああ!!」
左の腰から右肩にかけて走る鋭い焼けるような痛みと吹き出す血で、ようやく自分が斬られたことに気付いたけれど、痛みは全身を駆けまわり、床に転がれば鎖が絡まりじゅうじゅうと音を立てて回復する体を抱きしめることしかできない。
「ああ゛、あ、あぐ…っ」
げほ、と咳をすれば、ぼたぼたと鮮血が口から零れ落ち、手をついた床は真っ赤な水たまりが出来ていた。
「あぁ、酷い傷だ。」
その深さにすぐには回復できないでいると、きゅぽ、と瓶のようなものの蓋を抜く音がした。
「…消毒してやろう。」
ぞっとするような優しい声が落とされる。
「ひ、あぁああ゛あ――!」
じゅああ!と焼けるような音と匂い、激痛が同時に体中を襲った。
「ふははっ…まるで獣の鳴き声だな。」
「あぐっ、あ゛あ…あ…」
何が起こったのか理解できなかった。
ただ、足先から頭のてっぺんまで、激痛で意識が朦朧とした。
「トリプルC濃度の聖水の味はどうだ。」
聖水――
まともに思考すらできない頭で、その単語だけを理解する。
ぼたぼた、と熱い液体が頬を伝った。
「ほう。魔神の仔にも涙という物があるのか。」
(――なみだ?)
焼けた肌を伝うそれが床に落ちて、赤い水たまりを少し薄める。
ぐい、と顎を掴まれて、上を向かされる。
ただ、恐ろしかった。けれど屈服などしたくなかった。
本能から勝手に体が震え、できる抵抗はただただ睨み返すことだけだった。
「ふん。悪魔の涙とは…美しいものだな。」
「っぐ、あ、」
ぎりぎりと首を絞め上げられて、苦しさにぶわりと蒼い炎が浮かび、俺を包んだ。
「っげほ、げほッ」
少し離れた場所に移動したアーサーを滲む視界で見上げれば、自分の掌を見て舌打ちをしている。
「…立場が分かっていないようだな。」ようやく聖水をかけられた火傷の部分が回復し、じわじわと斬られた所もゆっくりと修復されていく。
「殺すか?人間を。そうすればお前の未来は処刑しかない。」
アーサーがこちらに向けた指先は、俺から放たれた炎で火傷を負っていた。
「…っあ…」
「お前の弟 共々、な。」
冷たい眼は、本気だった。
ぞっとする。きっと、こいつは、弟も――雪男もなんの躊躇いもなく処刑するだろう。
「や…め…っ、雪男には…手、出すな…っ」
「それはお前次第だ。魔神の仔よ。」
痛みはもうなくなっていた。なのに、また透明な水滴がぽたぽたと、紅い水たまりに数滴落ちた。
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