六花の (3/5頁)

ぽつん。


そんな音が鳴りそうな部屋だった。

雪男が出ていった部屋で、ひとり。

心の芯がどんどん冷えていくような感覚に襲われる。

これでいいはずなのに。

俺達は戻らなきゃいけないのに。

ぎゅうと心臓の辺りを押さえても、そこにぽっかり穴が空いている感じがして冷たくて寒くて堪らなかった。


「っ…、ぅ、」

視界を揺らした水膜が、頬を伝って落ちていく。


拒絶したくせに。

もう終わらせるのだと、拒絶したのは自分のくせに。


本当にこれでよかったのか、わからなくなってくる。

だってもう、全て無かったことになんて、お互いできるわけもない。


たった一人の「弟」を、「家族」を、その形を繋ぎとめておきたくて空けた距離。

なのに、どうして。


空虚のままふらりと足が向いた先は、雪男のベッド。

ここで眠る弟の姿は、暫く見ていない。

涙を拭うように布団に顔を埋めれば、微かに雪男の匂いがした。


「…、ゆき、」


応える声も温もりもないそこは、余計に寒く感じるのに、どうしてか離れられずにしがみ付く。

「ゆき…っゆきお、」

なぜだかもう雪男が帰ってこない気がして。





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「奥村…雪男君?」

「…はい…?」

昼休みの終わり、教室へと戻る途中 聞きなれない声に振り向けば、「あぁ、よかった」と小さな呟きが聞こえた。

「奥村燐君の担任です。今日はお兄さん来てないみたいだけど…風邪か何か?今まで無断欠席はなかったから…その、」

「…来て、ないんですか?」

兄さんはサボることは多々あっても、高校に入ってから学校を休んだことなんてなかった。
そして朝のやりとりを思い出す。

「いや、知らないならいいんだ。後で携帯に、」

「いえ…朝から体調が悪そうだったので休むよう言ったんですが…少し遅れて行くと言ってましたので。来てないのなら心配なので、僕も早退して様子を見に帰ってもいいでしょうか?」

呆れるほどすらすらと口から出る嘘に、自分で嫌になりながらも早退届けを出して、鍵を使わずに学校を出た。



ゆっくりと歩きながら、自分の掌を眺める。

朝、兄さんの手を叩き落した掌を。


だって、そうでもしないと決壊してしまいそうだった。

じわりと、服の上から感じた兄さんの体温にすら理性を崩されそうだった。


ごめんね、

兄弟に戻れなくてごめんね。

兄さんが望む僕になれなくてごめん。


もう僕にできることは、離れることくらいだった。

離れて忘れられるわけもないことだって、解っていたけれど。


今朝 僅かに暴走しそうになった僕を、傷ついたような怯えた瞳で見上げてきた兄さんを思い出す。

ちゃんと、言わなければ。

今度は僕から。

時間がかかったとしても。昔のようには戻れないとしても。

つん、と目頭が熱くなったのに気付かないフリをして、奥歯を噛みしめた。





旧寮の玄関前にたどり着いた僕は、上を見上げる。

兄さんはまだ部屋に居るだろうか。

僕のことで、少しだけ悩んで欲しい。そして、答えなんて出ないまま、疲れて眠ってしまってていて欲しい。

「答えなんて、僕が出してあげる」

まるで死刑台に登るように、ゆっくりと階段を上がりながら小さく呟く。

ちゃんと言えるといい。

初めのさよならを。



『兄弟に戻ろう』



そして、僕は静かに扉を開けた。


「――にい、さん」


驚いたように顔を上げた兄さんの眼から、綺麗な涙がぽろぽろと零れ落ちた。


「…ゆきお、」





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