六花の (2/5頁)

布団に寝ころんで、月明かりに自分の手をかざして見る。

あの日、雪男の涙で濡れた手を。

「ゆきお…」

あれから触れられていない。

キスもされていない。


かわりに、雪男はあまり寮にも帰ってこなくなった。


任務がある日は、夜中に帰ってきて飯を食って風呂に入って部屋に戻ってくる。

「おかえり」と言えば「ただいま。起こしちゃってごめんね。」と優しい声が降る。


任務がない日は、よく研究室に泊まり込むようになった。

それでも朝には「おはよう兄さん。そろそろ起きないと遅刻するよ。」なんて電話がかかってくる。


中学の頃に戻ったみたいだった。

あの頃は俺が修道院に帰らなかったから逆だけど。


雪男は「兄弟」に戻ろうとしてくれてる。

俺が迷ったせいで、俺がちゃんと怒ってやらなかったせいで、俺が最初に拒みきれなかったせいで歪んでしまった「兄弟」のカタチを、直そうと頑張ってくれてる。


「ゆきお、ごめんな。…ありがとう。」


ツキン、と心臓に棘が刺さったみたいに痛んだ。


『 燐 』
雪男の声が、無音の中に響いた気がした。

なぜか ふるりと背筋が震えて、俺は布団に潜り込んだ。













「兄さん、起きて。もう最後のアラーム鳴っちゃったよ」

「…ん、――う、…?」

朝日のあまりの眩しさに目を細めたまま時計を見れば、今起きなければ完全に遅刻、というギリギリの時間だった。

「うお!!やべっ、雪男さんきゅ!あ、おはよ!」

「おはよう兄さん。まだ時間あるから、ちゃんと朝ご飯は食べてね?」

しょうがないなぁって顔で、雪男が笑う。

――あぁ、雪男だ。

なんて。ふいに当たり前のことを思った。


「それじゃあ、僕は先に学校行くから。」

「ゆきお、お前も――」


肩に手をかけた瞬間、びくりと大げさなほどに雪男の体が跳ねる。

つられるように思わず言葉が止まってしまった。


「あ…ごめん、びっくりして。…どうしたの?」

「いや、…お前も朝飯食ったのか?顔色わりーぞ。」


やんわりと俺の手を外すように体をずらされて、雪男が視線を外して笑う。

「食べたよ、ちゃんと。」

「でも!最近任務とか研究とか、ちょっと詰めすぎじゃ…」

踵を返してドアの方へと歩き出した雪男の腕を掴んで呼びとめた瞬間、パシンと乾いた音が鳴った。


ジン、と払い落された手が痺れる。

「…っ、ごめん…。でも、触らないで。触れられたら、我慢してるのが苦しくなるから。」

目を合わせることなく、雪男は小さく呟いて出て行った。

閉まる扉が、バタンと、いつもより何倍も大きくて重い音をしている気がした。








雪男が出て行った扉を茫然と眺める。


馬鹿だ、俺。


雪男はずっと祓魔師の勉強や訓練をしていたことを俺に隠し通していたくらい、優しい嘘が得意なのに。

俺はまた、解っているふりをして、雪男を傷付けた。

雪男がどれだけ俺のために頑張ってくれているかなんて、どれだけ考えたって理解できるほど小さなものではないのに。


「ゆき…っ」


ツン、と目頭が熱くなって、その場にうずくまる。


泣くなんて最低だ。

哀しいだなんて、辛いだなんて、苦しいだなんて。

たった一人の家族を、兄弟を、苦しめているのは俺なのに。


「ごめ…っ、ゆき、ゆきお…」





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