降参です。
「ほな、着替えたら正十字南駅集合な。」
「おうっ!」
マッハで着替えてくる!と手を振って走りだした奥村くんの後ろ姿を見送る。
可愛い女の子、綺麗なお姉さん。
どちらにも当てはまらない彼に惹かれていると自覚したのが数週間前。
やっぱり男の子を好き、なんてことは素直に認められず、かと言って興味を無くすこともできず。
対して奥村くんは、誰にでも笑顔で、誰にでも等しく優しい。
そんなところに惹かれたのに、そんなところに苛立ってしまう自分が居る。
奥村くんの中で、きっと俺は『好き』の部類に入るだろうけれど、それは『みんな好き』のうちの一人だ。
この気持ちがいつか、ゆっくり消えてくれればいいと思う。
だって、そうだ。
たとえば俺が、坊や子猫さんに好きと言われるようなもんだ。
嫌悪はしなくても、困惑する。どうしていいかわからないし、気まずくなるだろうから。
そんな思いを、奥村くんにさせたくない。
「ふぅ、」
ゆっくり深呼吸をして鞄を掴んだ。
たまには片思いを、恋を楽しむのもいいかもしれない。こうやって、塾の無い日は街に買い物に出かけたり、一緒にゲームをしたりできるのだから。
得意分野だ。流すのは。自分の気持ちさえ、俺は上手く流すことができるはずだから。
「さ、俺も着替えに戻ろー」
Tシャツにカーディガン、この前買った七分丈の春色パンツを履いて行こう。
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「しま!」
よく通る声が俺を呼ぶ。
夕方になると、この南駅は正十字駅方向のホームは結構な込み具合になる。
改札前でにこにこと俺に手を振る奥村くんに手を上げると、隠している尻尾がパタパタと音を立てているような気がするくらい、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「志摩っ、へへ、おそろいだな!」
カーゴパンツを左右にひっぱりながら奥村くんが笑う。
「ほんまや、おんなし七分丈パンツやなぁ」
「にしてもピンクってよく履けるよな。似合ってるのがスゲーけど!」
『似合ってる』、その言葉だけで心臓は跳ねてしまうのに。
「ほな、行こか。」
「次の電車46分発だって。もうすぐだな!」
「おー奥村くん、時刻表読めんねや。」
「ちょ、馬鹿にしすぎだろ!!」
「ははっ、ごめんて、ごめん」
こんな軽口すら楽しい。
大きな音を立ててホームに入ってきた各駅停車に乗り込む。
学生の下校時刻とサラリーマンの帰宅ラッシュにぶつかって、ぎゅうぎゅう詰めの車内を見る。
最悪や…、そう思いながらも、どうせ次の電車を待ったって同じような状況だ。
諦めて乗り込むと、人波に押されるように入り口とは反対側のドアまで流されていく。
「奥村くん、端っこ来ぃ。楽やから。」
軽く手を引いて、幾分かましなドアの隅へと誘導するも、「大丈夫だ」と奥村くんは笑った。
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ドアに背を預けるようにしている志摩と、向かい合う――どころか、わずか5センチの距離しかない状態で、もうひっついてるって言ってもおかしくない状況。
なんだか耳が熱くなってくる。
たぶん、人ごみのせいじゃなくて。
「こ、混んでるなっ」
「せやな、ほら、そっちしんどいやろ。替わるて。」
女の子にするみたいに、志摩の優しい手が俺の肩に伸びて、促すように引き寄せられる。
「だっ、大丈夫!10分くらいで着くし!」
そんな手で触られたら、心臓が勘違いして跳ねてしまう。
「そっか、」と笑う志摩に笑顔を返した瞬間、人の手が、太股の後ろ側の付け根に触れた。
邪魔だったかな、と思って動けるだけ避けたけれど、まるで体を這うかのように、今度は太股から尻を撫で上げられた。
「――っ…!?」
息が詰まる。
すっと離れて行った手に、なんだったのか理解できないまま後ろを振り返るも、誰一人俺のことなんて気にしていないような感じで、俺はまた志摩の方に向き直る。
「?どうかした?」
「え?ううん、なんでもねー」
やっぱり気のせいか、と思って志摩にそう返す。
「あーせや。飯いらんゆうてくるん忘れたわぁ。坊にメール送っとくわ。」
そう言って携帯を取り出した志摩に笑顔で頷いた。
その、瞬間。
ぶあっと全身に鳥肌が立つ。
見計らったように、今度は両足の間に指を差し込まれて、その手が撫でるように這う。
(なに、これ…っ)
びっくりして、動けない。指の1本すら動かすことができなくて、呼吸すら喉の奥で詰まる。
ぎゅうっと目をキツく瞑った瞬間、ぐいっと左腕を引かれたかと思ったら、後ろで潰れたような悲鳴が上がった。
車内がざわつく。
後ろを見れば、志摩がサラリーマンの腕を後ろで捻りあげていて、志摩は物凄く冷たい目をしてその男を見降ろしてた。
「離せ」「何でこんなことされなきゃいけないんだ」と騒ぐ男に、今度は俺がサッと顔を青くする。
女の子みたいに触られて、おまけに抵抗も出来なかったなんて。
いくら知らない人達でも、知られたくない。
ざわめく車内に、低く響くような志摩の声が通った。
「あ゛?言わんでも分かっとるやろが。」
さらにギリッと捻りあげる腕の力を強めると、男は引き攣れた声で謝る。
「ジブン、次で降りぃや。目障りや。」
スピードを落として停車した電車から、突き飛ばすような勢いで男をドアから押し出す。
降りるはずではなかっただろう駅で、男がバツの悪そうな顔をして去っていくのを俺は志摩の肩ごしに見ていた。
ざわめきが止まらない車内では、事情を知らない周りの人間が、志摩を見ては眉を顰める。
何も知らない人たちにとっては、志摩はただ暴れているだけに見えるのかもしれない。「何あの人、」なんて囁き声が聞こえる。
違うんだ。志摩は、志摩は。
「っちが、「奥村くん、次やで。」
俺の声を遮るように志摩がそう言ったから、俺は何も言えないまま、次の駅で降りた。
*
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