む心臓 (4/4頁)

雪男にキス、された、よな?


元々聞く気のない授業だが、教師の声まで耳につくようになったので、ガタンと椅子を鳴らして「気分悪いので保健室行ってきます」と棒読みしながら教室を出た。

中学の授業もまともに受けていない自分にとっては、高校数学なんてものは全く理解できる気がしない。

理事長 特別待遇の生徒、というのはこの正十字学園でも通っているようで、ほとんどの教師が関わってこようとしない。

どうやら俺は出席日数と提出物だけでなんとかしてもらえるらしく、日々睡眠時間を稼ぐか、ボーっと授業を流し聞きする毎日だ。

(別に、祓魔師になんのに数学いらねぇしな。)

足は1階の保健室とは逆の屋上へ向かっている。



キィ、と少し錆びた音を立てる扉を開けると、心地よさそうな、暖かな春の日差しが降り注いでいた。

貯水タンクを背に、日向に座り込んで空を見上げる。


『にいさん!』

今日みたいな澄んだ空を大きな目に映して、自分を見上げていた弟を思い出す。

今や身長も学力も追い抜かれ、さらに祓魔塾では教師と生徒という立場。

(何も、知らなかったんだな、俺。)

改めて思う。

雪男が祓魔師を目指した時、まだ自分の後ろを走ってついてきていたはずだ。

それが、こうやって聞かされるまで、何も気づかなかった。

一番大切な、唯一の家族なのに。

(怒ってんのかな…雪男。)

だから、…だから。



中学に入ってすぐの頃、夜中に、すう、と風の流れを感じて目を覚ました。目を覚ましたと言っても、まだ瞼は閉じたままで、少しの寒さと眠気とどちらを優先するか夢うつつで迷っている状態で。

ドアきっちり閉めんの忘れたか、そんなことを思いながら目を開こうとした瞬間、「にいさん」と、小さく雪男の声が聞こえた。

そしてその直後、口に生温かい何かが触れた。

息が、詰まった。

いくら子供でも分かる、それ。

目を開けてはいけない気がして、ぎゅ、と目を閉じた。

眠ろう。寝なければ。

「にいさん、おやすみ」

また小さな声が聞こえて、ぬくもりは去った。

心臓はギシギシとよくわからない音を立てていた。



そんなことが、何度かあった。



最初はキスをしてみたかったのかとか、好きな子が出来てその子とキスをするための練習なのかとか、色々考えたけれどもどれも違う気がして。

「にいさん」と呼ぶ声は気づくごとに大人びて。

昨日はついに、目を開けた俺に驚くでもなく、薄く笑っていた。

純粋に恐くなった。

雪男の全てがわからくなった気がした。




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