いちまん | ナノ

「スガー!」

昼休み、ふと校庭の方へ駆けていく背中が窓から見えて、思わず窓を開けて大きな声で呼びかけていた。わたしの声に気付いたらしい細い体はくるりとこちらを振り返って、「おー!」と笑った。

「何してんのー!」
「今から大地たちとバスケ!どーせ5限体育だべ?」
「えっバスケ!?いいなー」
「みょうじも来れば?」
「いいの!?」
「先行って場所取っとくなー」

ニッ、と笑ってみせた表情に、思わず顔を隠してしまうのは本当に、惚れた弱みというやつだと思う。教室と校庭が遠くてよかった。スガがさっさか校庭に向かってくれてよかった。こんな赤くなった顔を見られる訳にはいかないから。

「なまえ?どした、菅原何か言ってた?」
「…可愛かった」
「そっか、よしよし、会話になってないけどよかったねー」

友達が後ろから声をかけてきたのでほっぺたを両手で包み込みながら振り返る。返しにならない返しをかえしたわたしの頭を、友達がゆっくりと撫でる。「何かわからないけど、よかったね」恋心を知られている友人というやつは、嬉しくもあり、気恥ずかしくもある。すき。そうだ、これは、恋だ。

「バスケ誘われちゃった」
「え!すごいじゃん、じゃあ急がなきゃ」
「一緒行く?」
「何でよ、せっかくのチャンス頑張っておいで」
「…うん!行ってくる!」

教室を飛び出して、羽織っていたジャージを脱いで抱えた。とっくに着替えは済ませていたし、5限は体育だ。このまま昼休みは校庭で過ごしてしまおう。頭の中で組み立てた計画は完璧で、駆けていくスピードを上げる。

うちのクラスは仲が良い。こんな風に男子の遊びの中に女子が混ざって行っても特に何か言われたりすることはない。むしろ混ぜて混ぜてー、とどんどん人が増えていくのだ。だから今日、スガがわたしを誘ってくれたことにも特別な意味がある訳はない。今の男子の体育がバスケで、わたしがバスケ部で、スガが気を使ってくれただけ。ちゃんと解っていて、解っているけど、それでも嬉しいものは嬉しいのだ。

「あ、来た。早かったね」
「走ってきた!」
「なんか他のメンバー集まんのにまだかかりそうだから試合はしばらく始まらないかも」
「あ、そうなの?」
「うん」

しゅるるるとバスケットボールを手の中で滑らせているスガに、こっそり感心してしまう。様になっている。バレー部のはずなのになぁ、と苦笑いをこぼす。これだからイケメンは。何をやらせても似合ってしまう。

ねぇ、と声をかけられて、不意にどきりと心臓が揺れる。「どうせ暇だべ?勝負しようよ」不敵に笑うスガがいて、わたしはまたこれ以上ないくらいに心臓を高鳴らせてしまうのだ。

「勝負?」
「試合始まるまでフリースロー勝負。負けた方が勝った方の言うことひとつ聞くっていうの、どう?」
「いいけど…これでもわたし、一応バスケ部なんですけど。坂ノ下で肉まんおごってもらっちゃうよ?」

フリースローならそれなりに自信があった。バスケ部としての意地もある。勝てる、と思った、取り付けた約束は咄嗟に出た割にはすごく上出来だった。肉まんを口実に一緒に帰れる、一緒に寄り道ができる。絶対勝ってやる、と気合いを入れて腕まくりをする。スガはいつもみたいに笑いながらこっちを見た。

「知ってる。だから俺が勝ったらもっとすごいものちょうだい?」
「え。あ、ええと、あんま高いものは…」
「あー高いっちゃ高いけど、お金はいらないものだから大丈夫」
「?」

俺が先行ね、と呟いてスガがボールをバウンドさせる。一回、二回。やっぱり様になっている。「俺が勝ったらさ」こちらを見ないままでスガが告げた。不思議に思いながら見つめる。フリースローラインに立ったスガがおでこの上にボールを構えて、それから綺麗なフォームでボールを放つ。高く高く放られたボールにわたしは一瞬言葉を失って、


「みょうじ、俺と付き合ってよ」


え 、?

ボールから目を離してしまった。え?言葉を失ったままで彼の方に目を向ければ。スガはいつもみたいに微笑みながら、わたしを見ていた。え、

ボールは今どうなっているんだろう。気になって気になって仕方ないのに、スガの綺麗なブラウンの瞳から目がそらせない。いったい何がどうなって。フリースロー。入らないで。入って。勝ちたい。だって勝たなきゃ、せっかくの寄り道デートが。あれ。でも。入らないで。入らないで。

入って、


振り向けないまま、背後でネットが揺れる音がした、気がする。







卑怯だなぁと、自覚はしていた。

こんなので畳み掛けるみたいに告白なんて、我ながらずるいなと思う。勝ったから付き合ってもらうなんて本当にお互いのためにもならないし、うん、だけど、ごめん、情けない話だけど、怖かったんだ。みょうじはバスケ部で、もちろんフリースローくらい楽勝なんだろう。綺麗なフォームでバスケしてる姿がすきだ。だから。それでも。


祈るような気持ちで放ったボールが放物線を描いてゴールに入ったとき、喜べばいいのか悲しめばいいのか解らなかった。ただ、真っ先に感じた感情は安堵だったものだから、本当にどうしようもないくらい自分は卑怯だと思う。


そうだよ、すきだよ、なりふりなんか構ってられるか。みょうじの気持ちを大事にしたいのは本当だ、無理に付き合ってほしい訳じゃないのも。本当だ、本当なんだ、だけど、無理やりにでも彼女を自分のものにしてしまいたい俺がいるのも、本当で。ごめん、ほんと、こんなで、ごめん。
しばらく二人の間に言葉はなくて、それでも少ししてからみょうじが俺が放ったまま転がっていたボールを拾ってきて、「わたしの番だよね」と確認するように言った。「そうだよ」と答えた声は弱々しくて、何度でも、自己嫌悪。彼女はバスケ部で、多分フリースローなんて楽勝だ。俺はといえば言うほどうまい訳でもなくて、もう一度入るかっていわれると確率は完全に五分五分。多分、俺は、この勝負に負ける。フラれる理由にバスケを使うなんて女々しいなぁ。


ところが、みょうじはいつまで経ってもボールを投げようとはしなかった。不思議に思いながら声をかける。どうしたの。

「…スガ」
「はい」
「わたしが勝ったときの条件、肉まんから変えてもいいかな」
「え、と、いいけど」
「じゃあ、わたしが勝ったら」

うつむいたままで話していたみょうじがボールを構えて、そのままシュートする。余計な力が入っていないことがすぐに解る、見ないでも解る、このシュートは、きっと決まる。ああ、と思う。

でも、みょうじは、笑った。俺を見て笑った。嬉しそうに笑った。


「わたしと付き合ってください」


…ああ、くそ、不意打ちだ。



imaged by あきさん

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