「立ち入り禁止」 いつものように部室へ向かったら、入り口のところにただ一言だけ殴り書きされた白い紙が貼ってあった。何だろう、床にワックスかけたとか?でもそんなこと清水言ってたっけ。だいたいこんな時期にあえてワックスかけたりする意味があるんだろうか。不審すぎるその貼り紙をしばらく眺めてはみたけど、どう考えてもやっぱりおかしい。 うーん、と唸ってみた。ていうか他の部員はどうしてるんだろう。大地は俺よりも早く部活に向かっていたはずだ。俺は今日、掃除当番だったから。こんなことなら教室で練習着に着替えてくればよかったか、と少し、後悔。 「あっスガさん、こんなとこに!探しましたよ!」 「こんなとこっていうか普通に部室の前だけど」 扉の前で迷っていると後ろから声をかけられて、振り向いたらみょうじが立っていた。みょうじは一つ年下で、マネージャーで、だけどだからといって俺たちに物怖じしたりもしない、男前な性格をしている。のだけれど。今だけはなぜか少し焦った様子で俺を見た。 「ぶ、部室、入っちゃいました?」 「ううん。立ち入り禁止って書いてあるから」 「そうなんですよ、実は今バルサン焚いてて」 「バルサン?」 「近付かない方がいいです!ちょっとあっちの方行きましょう」 さっさかと部室から離れていくみょうじの背中を追う。「他の奴らはどうしてんの」とか、「ていうかどこ行くの」とか、いろいろ聞きたいことがあったのだけれどとりあえずついていくことにする。 「何で急にバルサン?」 「今日の昼休み、部室に行った龍がですね!…そこであの茶色い生き物を発見したんですよ…」 「うわぁ…」 それはヒサンだ。想像しただけで震える。あの虫が平気なやつとかいるのだろうか? 「ところで俺、着替えてないから着替えたいんだけど」 「あー、ちょっと待っててください。それよりスガさんに聞きたいことがいくつかあるんですけど」 「何?」 「今お腹空いてますか?」 「え?いや、うん、別に普通…」 「じゃあ質問そのに。スガさん、甘いものは好きですか?」 「別に嫌いじゃないけど…何その質問?」 「スガさんって、すごい辛党じゃありませんでした?甘いものお好きなんですか!」 「辛いのもすきだけど甘いものが食べられない訳じゃないし…、って、だから何?」 「それはよかったです!ありがとうございます!」 「いや、ありがとうじゃなくてさ、」 「うーん、ちょっとした時間稼ぎ?みたいな感じです」 「ええ?」 何度聞いてみても要領を得ないみょうじに、首を傾げる。というか、いまいち会話が成り立っていない。今日のみょうじは何だか変だ。いや、普段から割りと変わってるけど、そういうことじゃなく。 不審に思いながら見つめていたら、「あ」とみょうじが急に声を上げた。ちらりと携帯を見やる仕草。 「バルサン終わったみたいです」 「え?」 「戻りましょう!」 にっこりと。それはもういい笑顔で告げられた言葉に、もう意味が解らない。それを言った本人はもう言うが早いかくるりと身を翻して、今来た道をそのまま戻ろうとする。その表情はなぜだかやたらめったら楽しそうだ。 「えっ、ちょっ、みょうじ?」 「何ですかー?」 「バルサン終わったって、ええ?あれってそんなすぐ終わるもんだっけ?」 「大丈夫です、死にやしませんって!」 「さっきと言ってること違うんだけど!」 離れた方がいいとか言ってなかったっけ!みょうじに言われるがまま動く俺は、結局のところ無意味に校庭と部室とを往復して終わりそうで。そろそろ意味も解らず振り回されるのは嫌なんだけど、とか、何とか。考えているうちに気付いたらまた元の部室に逆戻り。 俺の前を歩いていたみょうじは扉の前で立ち止まって、やっぱりにっこり俺を見た。「立ち入り禁止」の貼り紙はもうなくなっている。 「ほら、スガさん」 「ほら、って、何が」 「入ってください!」 「…何企んでるの?」 「やだなぁ、企んでなんかないですって」 「俺、バルサンが残ってるかどうかの実験台にされるのとか、やだよ」 「大丈夫です、死にやしません」 「………」 何故かわくわくした顔で俺を見つめてくるみょうじを前に、結局のところ断ることなどできやしないのだ。そうだ、いつだって、俺はこの後輩には弱いんだ。 ごくりと息を飲み込んで、覚悟を決めて、戸惑いながらゆっくりと部室の扉を開けて、瞬間。 パァン! 豪快に響く爆発音と、目の前に広がる色、色、色。紙テープ? 何だこれ、クラッカー?驚きのあまり声の出ない俺の前に立っているのは我らがキャプテンから後輩たちまで、勢揃いで。みんながみんな楽しそうに笑って、俺を見ていた。 「はっぴーばーすでーい!!」 その瞬間、後ろから聞きなれた声がしたと思ったらまた爆発音。思わず振り返るとみょうじが役目を終えたクラッカー持ちながら、それはもう嬉しそうに笑っているもんだから。 「誕生日おめでとう、スガ」 「おめでとうございます!!」 「スガさんも今日から18禁デビューじゃないすか!」 「おまえの頭の中それしかねぇのかよー!」 ギャハハと笑いながら、騒ぎながら、向けられているのは確かに俺への祝福で。混乱する頭が弾き出すのは、あれもしかして今日って6月13日なのか、とそんな間抜けな疑問だけ。 「え、ば、バルサンは?」 「嘘でした、ごめんなさい!」 「うそ?」 「ほんとにゴキブリ出てたらもう少し大騒ぎしてます」 だから言ったじゃないですか、時間稼ぎだって。いろいろ準備する時間が間に合わなかったんです、とみょうじは屈託のない笑顔で言い放つ。俺はもう、驚きやら何やらで何か言い返すような気力も起きない。 「ついでにこんなのも用意してみましたー!カモン、日向くん!」 ぱちりとみょうじが指を鳴らすと、今までどこにいたのか、日向が部室の外から大きな皿を運んでやってきた。 その上にはご丁寧にろうそくまで立てられたホールケーキ。「す、菅原さん、おめでとーござい、ますっ」とよたよた歩いてくるから大丈夫かと何だか子供を見守る親のような気持ちにさえなる。大きなケーキを見ながら、ああそれでさっきの質問か、と頭では理解できるもののついてはいかない。何だ、何なんだ、これ。 「スガさん、スガさん」 「…うん」 「びっくりしました?」 「…すごいびっくりしたよ、もう……」 じゃあ大成功です、と嬉しそうに笑う顔を見てたら、何か俺も、笑うしかねぇよなぁって。 ちらりちらりとケーキを見ている月島とか。「ツッキー、ショートケーキだね!よかったね!」と嬉しそうな山口とか(そういえば月島はショートケーキがすきとか言ってたっけ)。「うまそう!」「だな!」って言い合ってる二年たちも、ケーキに目を奪われながらもおめでとうとか言ってくれる清水も、「俺たちの中で一番スガが年上なんだな」とか言ってる旭も、こんなに部活前に食べて大丈夫かよと心配してる大地も、そして今、ろうそくに火を灯し始めるみょうじも、ぜんぶ、ぜんぶ、 「…ありがとう」 考えるよりも先に口をついて出た言葉に、みょうじはチャッカマンを握る手を止めて、こっちを見て、それから、ゆっくりと笑う。 「こちらこそ」 生まれてきてくれて、ありがとうございます。 そう言って君がやっぱりわらうから、くすぐったくて、眩しくて、俺は何だか泣いてしまいそうにさえなるんだよ。 「おっ、スガ、泣くか?」 「泣かねーべー」 「えっスガさん泣いてんすか」 「泣いてないって!」 「スガさん、ほら、ろうそく消してください!」 ぎゃあぎゃあと騒ぐ声を聞きながら、後から後から笑いがこぼれてきて仕方がなくて。俺はほんとにいい仲間をもったなぁって、とにかく、それだけ。 早くろうそくを消せよとみんなが期待に満ちた視線で俺を急かす。ゆっくりと俺は息を吸い込む。ああ、生まれてこれてよかったなぁなんて、馬鹿みたいにそんなこと考えてしまうよ。おまえらの、おかげだよ。ほんと、ありがとう。 2013.6.13 ×
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