生誕祭2013 | ナノ
菅原先輩には彼女がいるらしい。


とある放課後に、田中先輩が教えてくれた。曰く、とっても可愛い子なんだそうだ。菅原先輩本人が「笑顔が可愛い」と公言していたのを田中先輩は偶然聞いたのだという。


「いやー、さすがスガさんだよな。まぁな、スガさんに彼女がいない訳ないよな」

「そう、ですね」

「?どうしたみょうじ、元気ねぇな!」

「えっ、いえ、そんなことないです、元気です!」


正直に言えばあまり元気はなかったけれど。だけどそれは、田中先輩に心配をかけるようなことではない。こっそり抱いていた恋が、口に出す暇もなく終わった、それだけのこと。誰にも言ったことはなかったけれど、わたしはひっそりといつも優しくて朗らかな菅原先輩に、恋心に似た感情を抱いていたから。

菅原先輩に恋人がいる、というのはそれなりにショックな出来事で、だけどその一方で「やっぱりな」と思った。田中先輩の言う通りだ。あんな素敵な人に彼女がいない訳がない。

部活で毎日の放課後を一緒に過ごしているからといって、少し調子に乗っていたかもしれない。潔子先輩の次くらいには、菅原先輩の一番側にいる女の子なんじゃないかしら、なんて。何て馬鹿らしくて恥ずかしい勘違いだったんだろう。
菅原先輩は優しいから、わたしにもよく声をかけてくれたし、わたしもそれにいちいち舞い上がっていたのだけれど。よく考えたら許されないことのように思えてきた、だって彼女さんからしたら、こんな一年生がバレー部のマネージャーってだけで菅原先輩とよく話すなんて、いやな気持ちになってしまうに違いない。


「みょうじ、なんかへこんでんのか」

「えっそう見える?」

「おう」

「大丈夫だよ、ありがとう影山くん」


そんなに目に見えてへこんでいるだろうか。いろんな人から声をかけられてしまって、こんなことではいけないと思う。部のみんなは優しすぎるから。マネージャーのわたしがみんなに心配かけて、足を引っ張ったりするなんて、そんなこと、あっちゃいけないもの。


「ぐんぐんヨーグルでも飲むか」

「ありがとう。気持ちだけ受けとっとく」

「え、みょうじ、元気ないの?」

「え」


後ろから柔らかい声がして、誰の声かってそんなの。振り向かなくてもわかる、だってずっと。憧れで。優しくて、いつだって。


「だ、大丈夫です」

「でも顔色悪い…」

「ほんとに!大丈夫ですから!」


心配して、くれているのに。わたしの顔を覗き込んで心配そうにこちらを窺っている菅原先輩から、ぐいっと無理やり視線を外した。顔を背けて、うつむき加減で、すごく感じが悪かったと、思う。「ごめんな」と困ったように笑う気配がした。ごめんなさいは、わたしの方なのに。申し訳なくて、菅原先輩の顔を見られなかった。




それからは出来る限り菅原先輩とは二人にならない、というのがわたしの目標になった。気にしすぎだと言われるかもしれないけれど、わたしが、駄目だった。ただのマネージャーと選手が二人きりになるくらいなら許されるかもしれないけれど、だってわたしには下心があるから。
わたしは菅原先輩が好きだ。その気持ちをもって先輩と二人になったりするのは駄目だと思った。

出来る限り早く体育館へ向かうわたしと、いつも部活に来るのが早い菅原先輩と、二人でネット張ったりすることもよくあったけれどあの日以来急いで部活に行くのをやめた。職員室で武ちゃん先生関連の用事を済ませてから体育館へ向かうように心掛ける。潔子先輩にも「どうしたの?」と聞かれたけれど、笑ってごまかした。


そんな風に過ごして二週間。出来うる限り菅原先輩を避けていたけれど、菅原先輩から話しかけられてしまうのだけは避けられない。狭い部室の中で一人、救急箱へ湿布の補充などをしていたら菅原先輩が入ってきて、「あれ、みょうじ」なんて言う。しまった、と思う。こんな密室に二人きり、だ。


「ちょうどよかった。ちょっと聞きたいことあってさ、来週の練習試合のことなんだけどこれって」

「すみません、わたしじゃちょっと解らないので潔子先輩に聞いてみてください」


にこりとそれだけ告げて、自分の作業に戻る。完璧だ。よくやった。裏腹に菅原先輩と二週間ぶりにまともに話せて少しだけ嬉しくなってしまう自分もいて、じくじくと胸が痛む。ごめんなさい。ごめんなさい。

だけど菅原先輩は、わたしの言葉を聞いても動かない。わたしをじっと見つめて、真剣な顔をするから、わたしは思わず息を呑んで、なぜだか動けなくなってしまった。


「…みょうじさ、最近俺のこと避けてるよな」

「え、さ、避けてなんか」

「俺何かしたっけ?」

「す、菅原先輩の思い違いです!あっ、わたし、武ちゃん先生のとこ行かなきゃ、」

「こら」


慌てて部室を出て行こうとしたけれど、菅原先輩の腕が伸びてきて、わたしの行く道を塞いでしまった。先輩が左手を壁について、だからわたしは逃げ場を失う。菅原先輩と壁の間に挟まれたわたし。


「逃げるなよ」


右手まで壁についたから、先輩の腕と腕の間に完全に閉じ込められてしまうわたしには、菅原先輩の低い声が思ったよりも近くで響いて、ぎゅっと目をつむった。菅原先輩をこわいと思ったのは初めてだ。だっていつも優しくて、本当に。


「なんで、避けるの」


だけどそうして告げられた言葉は切羽詰まっているみたいに聞こえて、恐る恐る菅原先輩を見上げる。後輩の背が高くて困るよと、以前冗談めかしてそう言っていた菅原先輩だって、わたしからすれば十分に背が高い。先輩を見上げると首が痛くなってしまいそうなくらいです。先輩。先輩、。
見上げた菅原先輩はなぜだかとても悲しそうな顔をしていて、わたしはもうどうしたらいいのか解らないのだ。


「だ、だめなんです、先輩、こういうのは」

「…なんで、」

「か、彼女さんが誤解してしまいます!」

「……は?」

「え?」


菅原先輩が意味が解らないとでも言うように怪訝な顔をして、わたしは変なことでも言ったかなと不安な気持ちになる。でもこんな状況、もし見てしまったら彼女さんが誤解してしまうのは確かだ。何とかして放してもらえないかと期待したけれど、それより早く菅原先輩が大きく溜め息を吐く。わたしを腕の間に閉じ込めたままで、うなだれてみせるので先輩との距離がもっと縮まって、心臓がもう止まってしまいそうだ。ごめんなさい。


「…何それ」

「え?」

「誰に聞いたの、そんなの」

「え、えっと、田中先輩が」

「はぁ?」


うなだれた体制のまま菅原先輩はちらりとこちらを見上げて、上目遣いなんて卑怯です、先輩。今日の菅原先輩は今まで見てきた中で一番態度が悪いのに、もうずっとどきどきが止まらないので困る。


「俺、彼女とか、いないよ」

「……えっ!?だ、だって笑顔の可愛い彼女が、」

「え?…あー、あれ聞かれてたのかー…」


ずきり。やっぱりそういうこと、言ったんじゃないですか。先輩。そういうことなら始めから期待させないでほしい。そっと目をふせるわたしをよそに、菅原先輩はまっすぐにわたしを見た。


「確かにそういう話はしたけどさ。すきな子の話だよ。笑顔の可愛いその子は、まだ彼女じゃない」

「まだ、ですか」

「うん。けっこう脈はあるかなって自信はあったんだけど」

「よかったですね」


失恋決定だ。もうやけである。そもそも何で先輩はこんな話をわたしにするんだろう。あ、ちょっと、泣きそう。なんて。


「だけど何か最近理由もわからず急に避けられるようになって。元気でもないのかと思って心配してもそっけないし」

「………。え?」

「なのに何か影山とかとは普通に仲良く話してるし。俺だけにやたら冷たいし」

「え、えと、あの、」

「…けっこうへこんだんですけど」


そこで思わず先輩を見たわたしと先輩の目と目がばっちり合った。そんなこと、言われたら。勘違いしてしまいそうです。先輩。相変わらずわたしの顔の横に置かれた手は、細身の身体からは想像もできないくらい力強くて、わたしは。精一杯目をまぁるく見開いて、勘違いしてしまいそうな心臓を沈めようと努力する。顔が何だかとてもあつい。


「せんぱい、わたし、…勘違い、してしまいます」


やっとのことで絞り出したわたしの声に、菅原先輩は少しだけ笑って、



「みょうじって、笑ったとこすごい可愛いよ?」


今度こそ完全に勘違いを果たしてしまったわたしの小さな心臓は、もう止まることを知らなくて。ただただ、鳴り響くだけ。




ロマンチックの詰め合わせ





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