ハローミスターマイハニー | ナノ
「あ、片付け俺やるよ」「え?いいよ疲れてるでしょ?」「平気平気。いつも任せっぱなしじゃ悪いし」「いやいや全然任せっぱなしじゃないよスガくんは」「でも最近仕事忙しくて全然家のこと手伝えてなかったし」「いいからスガくんは休んでてよ」「いや俺は」というやり取りのあとで、結局間を取って二人で夕飯のお皿洗いをすることになった。二人で立つにはこのアパートのキッチンは少し狭いのだけれど、それにはお互い気が付かない振りをしている。


「はい、じゃあなまえは拭く係お願いね」

スガくんから手渡される食器をきゅっきゅと布巾で拭いていく。ただそれだけの作業なのに何となく幸せだなぁとか感じちゃうのは、何でなんだろ。ほんとはその理由、ちゃんと知っているのだけれど。

二人の間にいつも言葉がある訳じゃない。別にスガくんもわたしも無口なんてことはないから、基本的にお話をしていることが多いけれど。こうやって二人で何かしているときに何となく訪れる沈黙だってそれなりにある、もうしばらく二人で暮らしているのだ。
ざー、と水が流れていく音と、時々聞こえる食器と食器がぶつかる音。それは別に気まずいものなんかじゃなくて、むしろ好ましいくらいだった。


「ん、高いとこは俺やるよ」

「ありがとう」


食器を洗い終わって拭き終わって(もともと大した量はないので、あっという間に終わってしまった)、食器棚にしまう段階になってようやくふっと会話が生まれた。スガくんはいつでも気遣いを忘れない人である。そもそも食器の位置を完全に把握している彼氏なんて珍しいよ、と以前友達に聞いたことがあったのを思い出した。確かにそうだろうなぁ、とも。スガくんは、どこにどのお皿が入っているのかを完璧に理解しているし、下手するとわたしよりもちゃんと覚えている。こないだスガくんが高価な紅茶をもらってきたのでたまにはお洒落なティーカップでお茶でも、と思ったときも、結局見つけてくれたのはスガくんだった。

食器をぜんぶしまい終わって、お鍋もしまって、片付けは終わった。ありがとうございます、とスガくんには頭を下げる。別にこれだってなまえの仕事って決まってる訳じゃないんだからね、とスガくんは笑ったけど、わたしはわたしの仕事だと思っている。
ついでだし朝ごはんの仕込みをしちゃおうかなぁとも思ったけれどせっかく久しぶりにスガくんの帰りも早かったので、やめにした。今日は二人でゆっくりしていたい気持ちです。明日は朝お魚焼いて、ごはんは今日のがちょっと残ってるし、ゆでたほうれん草冷凍してあるし、まぁそれで何とかなるかなと頭の中で献立を組み立てた。そうして少しの間キッチンにつったっていたら先にリビングに戻っていたスガくんがわたしの名前を呼んだ。


「ちょっとおいで」

「なぁに?」

「はい、そこ座って。手出して」

「?」


スガくんが左手をてのひらを上にして差し出していたから、不思議に思いながらその上に手を重ねてみた。こうして見るとスガくんの手は大きいなぁと思う。


「ちょっとしみるかもだけど我慢してね」


そうして、スガくんはわたしの手にハンドクリームを塗り始めた。しみる、というのはわたしの手がいわゆるあかぎれになっているからだろう。わたしは手が乾燥しやすくて、冬場はしょっちゅうあかぎれができてしまうのだ。


「ごめんね」

「えっ何が?」

「水仕事してくれてるからでしょ」


ああ、それでだったのかと。

そういえばさっきも最初わたしが洗おうとして手に取った食器を奪うようにして、布巾を渡されたなぁ。そうか、気にしてくれてたのか。

労るようにハンドクリームを塗り込んだあとのわたしの手をするすると撫で続ける。痛かったよね、とわたしの手を見ながら続けるスガくんに、そんなに痛くないから大丈夫だよ、と言うタイミングを逃してしまった。正直に言って、ちょっとだけ泣きそうだった。


「わたし全然、大丈夫なんだよ」

「そうは言っても」

「ね、解る?わたしはね、スガくんが隣にいてくれるから、何でも大丈夫だって思えるんだよ」


そうやって言ったらスガくんはわたしの手を包み込んだまま、ありがとう、と言った。ありがとうはこっちのセリフなのに。何も言えずにただ黙ってスガくんを見つめていたら、それから、ふと、スガくんは何でもないことのように「綺麗な手だね」と言った。

わたしの手は決して綺麗じゃない。料理に入ってしまいそうで怖いからネイルなんかもやっていないし、それこそあかぎれで真っ赤でところどころひびも入ってしまっている。全然綺麗じゃない。でもやっぱり言えなかった。どうしよう。どうしよう、わたし、うれしい。どうしよう。わたし、すごい、すき。スガくんのこと、ほんとに、すき。



ビビデバビデブー

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