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思わず飛び出してしまった。いても経ってもいられなかった、が正しいのかもしれない。みょうじが一人で迷子になっている、と考えたらだめだった。考えるより先に体が動いてしまって、気が付けば走っていた。もっと考えてから動けばよかった、これでは俺も迷子になりかねない、と気付いたのももう後の祭り。


綺麗だと思った。

いつもジャージ姿か制服のところしか見ていないので新鮮だったのもある、だけど、それだけじゃ、なくて。あの浴衣姿を見たら、紛れもなくみょうじも一人の女の子なのだと、気付いてしまった。
綺麗だった。
意外と長い睫毛とか、形の良い唇とか、華奢な手足とか、そういうの。浴衣から伸びるみょうじの真っ白な手足がぼんやり闇の中に浮かび上がったときのあの感情を、どう表せばいいのか俺は言葉を知らない。

西谷や田中は素直じゃないからあんな風に言っていたけど、何なら清水にだって劣っていないと思った。確かに清水は美人で、だけれど今日のみょうじだって、同じくらい綺麗だ。
だから言ってやろうと思ったのに、旭が似たような台詞を並べたのを聞いたら何だか「似合うよ」とか言えなくなってしまって、何でだろうな。こんなんじゃ田中や西谷のこと笑えないよな、と自分自身に少し苦笑。



みょうじは無事だろうかと、不安がよぎる。大丈夫だろうとは、思う。彼女は強いし、ナンパくらいなら撃退できそうだから。だけれど、誰にも何にも言わずにいなくなるなんてみょうじらしくないような気がした。もしそうせざるを得ない状況だったとしたら。もし何か事件とか事故だったら。怪我とか、してたら。

想像するだけで気が焦る。はやる気持ちが俺の意識とは別のところで足を前へ前へと動かす。頼むから。頼むから、無事でいてくれよ。

「みょうじー!」

走ることすらままならない混雑の中で、このまま回っていてもどうにもならないと理解して、大声で彼女の名前を呼ぶことにした。周りの人から迷惑そうな目で見られたけれど、どうしようもない。聞こえる場所にいてくれたら。みょうじもきっと全力で叫び返してくるハズだ、そういう奴なんだ。

「みょうじ!」

どうか、無事で。
ごめんなさい迷子になっちゃいましたと、いつもみたいに笑ってくれ。

「みょうじ、」
「…スガさん?」

人混みを掻き分けて、立ち並ぶ屋台の列を少し外れたところ。もう一度叫ぼうとしたところで、聞き慣れた声が後ろから俺の名前を呼んだ。もどかしいくらいに振り向く。

「あっよかった、やっぱりスガさんだ。ごめんなさい、わたしはぐれちゃって」
「…みょうじ」

振り向いたら、そこには。ずっと探していたみょうじが立っていた。安堵と喜びでいっぱいになって、頭の中がごちゃまぜだ。みょうじ。「あの、連絡取ろうとしたんですけど、今なんか電波通じないみたいで。ごめんなさい、わざわざ探して下さったんですか」頭を掻く仕草はみょうじの癖。困ったように続ける彼女に、とりあえずは元気そうだ、とホッとするのもつかの間、その足を見てぎょっとする。

「…どした、それ」
「え、ああ、下駄の鼻緒切れちゃったんです」

裸足。みょうじは両手に夕方には履いていた下駄を持って、ぺたぺたと裸足で歩いていた。浴衣から伸びる白い足がそのまま地面を踏む。その光景は何だかどこか幻想的な気さえして、だけど。だけれど。

「…だからって」
「?」
「こんな暗い中裸足で外歩くなんて何考えてんだ馬鹿!」

思わず怒鳴るとみょうじはびっくりしたみたいに目を丸くした。俺がそんな風には怒るなんて思ってなかったんだろう。あの、とか、えと、とか困ったように小さく呟いていたけれど無視してみょうじを睨む。

「ガラスとか落ちてたらどうすんの」
「え、あ、でも」
「…怪我したら、どうすんの」

頼むから。もう少し自分を大切にしてくれ。思わず引き寄せた肩は、完全に無意識だった。

「……無事でよかった」

ぽつりと零れた言葉は、自分で思っていたよりもずっと余裕のない声に乗っていて焦る。ああそうか、俺はここまで動揺していたっていうのか。この、後輩の女の子がはぐれたっていうそれだけのことに。

「………スガさん」
「うん」
「ええと、その、わたし、怪我ないです」
「うん」
「大丈夫です」
「うん」
「…ご心配、おかけして、ごめんなさい」
「……うん」

抱き寄せた肩はやっぱり華奢で、どうしようもなく女の子だなぁとふと気付く。耳元でぽつぽつと響く声は凛としているものの、いつもより少しだけ湿った色をしていた。控えめに伸ばされた手が、俺の服の裾をきゅうっと掴む。

「あの、不謹慎なこと言ってもいいですか」
「なに?」
「ほんと、ご迷惑おかけしたの、分かってるんですけど、今ちょっと…嬉しいです」
「?何それ…」
「スガさんがわたしのこと心配して下さったのが、うれしいです」

そうして少しだけいたずらっぽく、みょうじは笑った。軽やかに、ふわり、笑った。

浴衣姿。いつもより幼さを隠した、大人びたその姿はいつものように無邪気に笑うその表情とはアンバランスで、なぜだか少し動揺してしまう。白い色。何で。なにが。どうして。

それでもみょうじは何がそんなに嬉しいのかまっすぐに笑っているから、そのおでこに軽くでこぴんしてやった。

「いたっ!な、何するんですかスガさぁん」
「生意気」

笑ってやるとみょうじはすみません、と言って、そうして。ああ、何だよ、何だってそんな、そんな。

真っ暗な中、屋台の明かりだけが遠くから彼女を照らす。右手には下駄、左手にはヨーヨーわたあめスーパーボール。この女の子はひたすらに遊び尽くしていたから、手首にたくさんの戦利品をぶらさげて。ヨーヨーもスーパーボールもすごく上手かったな、と数十分前屋台の店先で小学生たちのヒーローと化していた彼女の姿を思い出す。ほんと、どこ行っても人に囲まれる子だよなぁ。ああでもそういや型抜きだけは絶望的に下手だったっけ。

頭にはお面。こどもみたいだ。ほんとに。例の二人の後輩といつも三人でつるんでは騒いでいて、俺が何度あいつらの保護者のような気持ちになったことか。ほんとこどもみたいなんだ、なのに、何だよ、何だって、こんなときだけ。


そんな、綺麗な顔で、笑うんだ。


「…浴衣」
「え?」
「似合ってる」

さっきは言えなかった言葉。
それが自然に零れて、みょうじはきょとんとして俺を見た。

大きな目が丸みを帯びる。そうしてふ、と空気が揺れる。ゆるり、目を細める仕草はいつのまにか見慣れたものになっていたけれど。
女の子だった。頼りになるマネージャーでも、手のかかる幼い後輩でもない、ただの、一人の、女の子だった。多分ずっと、はじめから、ずっと。

そうして、彼女は笑った。やっぱり笑った。もうどうしようもない、ごまかしようもない、みょうじは綺麗だと、思った。



「ありがとうございます」




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