ff | ナノ
「遅いっすねぇ、」

そわそわ。その表現が正しく似合う、坊主頭の後輩は携帯を何度も見たりしまったりしている。キョロキョロと辺りを見渡す姿は俺達にとっては微笑ましいとすら言える光景だが、一般の人にとってはどうやらそうではないらしい。びくり、と田中を見ては周囲の人々が遠ざかっているのに気付いて、苦笑せざるを得ない。田中自身に悪気がない分、注意したりもできはしない。こればっかりはどうしようもない。



思ったより人が多いな、というのが最初の感想だった。
正直に言って、所詮地域の祭りだからと舐めていた。ここまで人が集まってくるものなのか。

言い出しっぺであるみょうじが昨日から「楽しみですねぇ」ばかり繰り返していたのも頷ける。祭り好きの固まりのような奴だ、それも仕方ないことなのだろう。去年の夏もみょうじ発案で花火大会に行ったと苦々しく思い出す。
花火大会が終わったあとも二次会と称して近くの公園で手持ち花火をやり始めた面々に、危なっかしくて仕方ないと俺は胃が痛かった。みょうじ達二年生が最終的に打ち上げ花火を手で持って(!)さらにはお互いに向け始めたときには心臓が飛び出してしまうんじゃないかと思った。その後はもちろんあれだ、3時間膝詰めでの説教コース。



そんなみょうじは今現在この場にはいなかった。今日の部活が終わってすぐに、「女の子にはいろいろ準備があるんです」とか何とか言って清水と連れ立って去った。一度家に帰ったらしい。田中や西谷に「お前のどこが女の子なんだ」と笑われて「何だとこら!」と飛びかかっていたのはまた、別の話だ。あいつらのそれは仲の良いがゆえのことなので、滅多なことにならない限りあまり止めることはない。

取り残された俺達はもたもた歩いて時間を潰しつつ、みょうじが言い残した待ち合わせ場所へ向かった。そこで待つこと数十分。待ち合わせの時間は10分前に過ぎていた。

「ていうか清水も家帰ってるの?」

ちょっと目を離した隙になぜか喧嘩を始めている一年生達を諌めながらスガが聞いてくる。

「いや、一緒にみょうじんちに行ったみたいだぞ。みょうじの家この近くなんだろ?」
「ああはい、あいつん家、めちゃめちゃ学校から近いっすよ」
「ふぅん」

それはそうと確かに遅いな、と今日何度目かの腕時計を見る。何かあったんだろうか、と思ったところで「ごめんなさい!」と聞き慣れた声がした。よく響く、澄んだソプラノ。 やっと来たか、と思って顔を上げる。思わず息を飲んだ。

「着るのに思ったより時間かかっちゃって…」
「う、うおおお…!」
「美しいっす!!!」

そこには清水とみょうじが、浴衣姿で立っていた。夕闇の中で踊る黒と白。対照的なまでのその色彩に、目を細める。

清水は髪をまとめていて、黒の浴衣に赤の細やかな花柄がよく映えていた。田中や西谷が涙を流してまで興奮しているのもわからないではない。その浴衣が派手になりすぎず、清水によく似合っている。

しかし、だ。

目を見張ったのはみょうじの方だった。白地に金魚が浮かんだ、シンプルな浴衣。大して派手でもないし、印象もない、ただの浴衣だ。なのに夜が、雰囲気が、浴衣が、みょうじを一人の女にして。普段の言動からかまだ幼いイメージが強かっただけに、衝撃的でさえあった。大人びた横顔。すっと伸びた背筋。まるで別人だった。綺麗だと、思った。

「潔子さんこんなに綺麗なのに、浴衣着るの嫌がるから」

大変だったんですよと笑う表情は確かにいつものみょうじで。なるほど化けるものだなと、思う。

「なまえ…!」

ガシリと田中と西谷、みょうじの間で交わされる握手。もう言葉などいらないとばかりに田中と西谷は涙を流したまま。

清水が「私のことはいいから」と遮るように言った。心なしか照れくさそうなその様子は、案外、レアだ。

「私はいいから、それより、なまえはどうなの」
「えっ、わ、わたしですか、何がですか」
「なまえ、お前の浴衣姿も決して悪くはないぞ」
「悪くはない。悪くはないが、やっぱ潔子さんと並ぶとな」
「寸胴は浴衣が似合うっていうけどな」
「泣いていいかな」

正直は罪だ、というのがみょうじの最後の言葉であった。可哀想にな、とも思うが。だけどなぁ、気付かないもんかな。何というか、あれだろ。照れ隠し。素直に言えないんだろ、いつもどつき合ってる分。
まぁ文句のつけようがないくらいには似合っているとは思ってるんだろうから、正直に言ってやればいいのにな、あいつらも。

「え、いや、でもすごく似合ってるよ。見違えた」
「旭さんは優しいですね…。おまえらも旭さんくらい気をつかえ!」
「いや、優しいとかじゃなくて…ほんとに似合ってるって。大地もそう思うよな?」
「ああ、似合うよ、二人とも。なぁ、スガ、」

まぁフォローは三年の仕事だろうとも思って、スガを振り返った。スガなら俺らよりもうまくみょうじを慰めてやれるだろうと思ったし、「綺麗だよ」くらいはさらっと言えそうだったから。

けれど振り向いた先のスガは、思っていた様子とは違っていて。なぜか複雑そうな表情で口を噤んでいた。珍しく眉をしかめて、むすっとした表情で。どうかしたのか、と思いながらもう一度、スガ、と呼びかける。

「えっ、ああ、うん」
「…スガさん、無理しなくていいです。スガさんのお気持ちはよく解りました」
「いやごめん!似合ってるって、ほんと」
「あはは、お気遣いありがとうございます。この話はもう終わりにしましょう!さて何からいきますか、まずは腹ごしらえですか」

くるりと身を翻したかと思えば「あっお面売ってる!」と嬉しそうな声をあげながら走って近くの出店へ向かっていく。あーあー、せっかくの浴衣で、ダッシュって。転ぶなよ、頼むから。いくら綺麗な格好をしていても、中身はまったくの子供だ。「あっこらてめぇ遅れてきたくせに抜け駆けか!」とか何とか騒ぎながら(これまたダッシュで)追いかけていくあいつらも、また相当にガキだけれど。

どうやら三人仲良く種類違いのお面を買うことにしたらしい後輩たちの背中を見ながら、思わず溜め息。変わらないなぁ、あいつら。

そういえば、と思い出してスガの肩を軽く叩く。

「スガ、さっきはどうした?」
「あー、うん、失敗したよなぁ」
「まぁ、スガにしては珍しかったよな」
「なんか、まぁ、少しもやもやしてたっていうか」

それきり口を閉じてしまったスガの言葉をぼんやり考える。もやもやしてた?何にだ?あの時、そんなようなことがあっただろうか。特に変わったことはなかったような気がするけれど。田中たちが素直になれずにいて、それから旭がみょうじを褒めて、俺も褒めて、

そこまで思い返して、ハッとした。旭と俺が、みょうじを、褒めた?まさか。まさか、スガ、おまえ。


思い出すのはいつかの部活だ。みょうじの口癖。「眩しい」。みょうじはことあるごとに俺たちを「眩しい」と形容する。「みんながバレーボールやってる姿はいつも、眩しいです」。そこに込められたのは俺たちやバレーボールそのものへの愛情と、それから、羨望なのだと。俺は知っている。みょうじは俺たちが、「うらやましい」のだ。それを知っているから、いつも俺は何も言えなくなってしまう。その日もそうで、「そうか」とだけ返した。ふと横を見れば、清水も優しくて悲しげに細めた瞳でみょうじを見ていた。

「あっ、わたしネット片してきますね!先輩方はダウンしていてください」
「手伝う」
「ありがとうございます」

そうして清水と二人で俺たちの前から立ち去っていく背中。一緒に話を聞いていたスガが、その背中をまっすぐに見つめたままでぽつりと呟いた言葉。俺は、鮮明に覚えている。

「……自分の方が、眩しいのにな」

俺はその時、自分がどんな顔をしていたのかどうしても思い出せない。びっくりした。だってそれは。みょうじに対するスガのその言葉は、羨望なんかじゃ有り得なかった。




「君たち、金魚すくいは得意かい?」
「え、まぁ、フツウです」
「影山くんは何か得意そうだね」
「はい!おれ!おれ、得意です!」
「じゃあ競争しようよ、競争。多くとれた人にかき氷おごりね!」
「おいなまえ、後輩にたかんなよ」
「わかった龍は不参加ね。まぁ龍は金魚すくい苦手だもんな」
「は?舐めたこと言ってんじゃねぇぞコラ!やってやろうじゃねぇか、おっちゃん!一回頼む!」
「まいど!」

焼きそばにリンゴ飴にたこ焼きにいか焼き。ぞろぞろと出店の間を歩き回りながら、あちこち顔を出しては十分すぎるくらいに腹ごしらえをしていく一行は、端から見れば迷惑な客だったのかもしれない。これまでの間に旭は5回他の客を怯えさせ、並んでいた出店で順番を譲られたし(旭は泣きそうだったがみょうじや西谷は旭さんのおかげで買い物がしやすいです!ありがとうございます!と笑っていた)、月島は「もう帰っていいですか」と3回言った。その度に「何言ってんのツッキー」とみょうじが笑って、あの月島もどうやらみょうじの笑顔に勝てないらしい、ということはわかった。

スガは相変わらず射的がうまくて、なぜか影山がそれに張り合って、そうすればもちろん日向も影山に張り合った。最終的になぜかスガによる射的講座が行われていたのだから、不思議だ。
少し意外だったのは清水が楽しそうなことだった。こういううるさい空間は苦手なんじゃないかと勝手に思っていたが、そんなこともないらしい。

「楽しいな」

旭が眉を下げて笑っている。「来れてよかったな」と言われて、「そうだな」と答えるしかない。楽しい。そうだな。みょうじには、感謝するべきなのかもしれなかった。

「……ねぇ」
「ん?どうした清水」
「なまえは?」

ちょいちょいと袖を掴まれて振り向けば清水が首を傾げた。「みょうじならその辺にいただ、ろ、」そっちを見やったけれど、そこにみょうじはいなかった。嘘だろ。部員全員が固まる。キョロキョロと辺りを軽く見回してみたけれど、人混みの中、そのどこにもみょうじは見当たらなかった。

「…何やってんだあのバカは」

田中が溜め息を吐いて、その坊主頭をガシガシと掻く。西谷と目配せしてから、こっちを見た。「じゃあスミマセン、俺ら行ってきます」とでも今にも言い出しそうだった、その時。


「俺、探してくる」


え、。

多分誰もが少なからず驚いたはずだ。だってこういうとき迎えに行くのは大概田中と西谷の二人だった。
だけど今日、たった今、それだけ残して走り出したのは、間違いなくスガで。

止める暇もなく飛び出していったその背中。スガ。おまえ、やっぱり。



眩しくないんだ、と、思う。眩しくは、ない。いつも騒がしくて一生懸命なあの後輩が、可愛くない訳はないけれど。だけど。俺の目から見たみょうじは眩しくなんか、ないんだ。

スガ。おまえは解っていたんだろうか。「眩しい」の訳。飛び出していった理由。それから、今自分がどんな顔、してたかとか。





はしる、背中、のもの

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