「うるせぇぞ女子高生」

その人はわたしのことを女子高生、と呼んだ。何度みょうじですってば!と言ってもお構い無しで、いつだって不特定多数を示すその言葉でわたしを呼んだ。昼休みが来る度に通い詰めて通い詰めて、ようやく少し言葉を交わせるようになった頃、名前を教えて下さい!と言ったわたしに彼はナンパすんには十年早えよ、と少しだけ笑った。

「…じゃあいいです当ててみせますから」
「懲りねぇヤツだな」
「名字は解ってますよ坂ノ下でしょ」
「どうだろうな」

結論としては、坂ノ下じゃあなかった訳だけれど。彼の名前は烏養繋心というのだと、隣の席の澤村くんがある日こっそり教えてくれた。ズルをしたみたいで少し心苦しかったけど、「繋心さん」と初めて呼びかけたときの繋心さんの表情は本当に傑作だったからまぁいいかなと思っている。「な、おま、誰から聞いたんだソレ」狼狽をそのまま体現したような繋心さんは、正直に言ってかなり笑えた。

「繋心さん何でガッコ来てること教えてくれなかったんですかー」
「何でお前に言わなきゃいけねぇんだよ」
「やだなぁわたしと繋心さんの仲じゃないですか!」
「あー」
「今の突っ込むとこですよ」

繋心さんがバレー部のコーチになった頃から、わたしは昼休みをぜんぶ坂ノ下で過ごすことにあてていた。繋心さんは始めの方こそ「さっさと学校戻れ!」と追い払うような仕草を見せていたけれど、今ではもうわたしがここにいることに何も言わなくなって、時々肉まんをくれたりすることすらあった。今までは放課後行けば会えた繋心さんに会えなくなる、ということを理解してから、ならば昼休みを一緒に過ごせば良いという結論に達したわたしは本当に冴えていたと思う。友人たちは始めの方こそ物好きだなぁ、という目で見てきたけれど、いつからか「今日も頑張ってね」と送り出されるようになった。昼休み中の三十分だけではあるけれど、わたしと繋心さんは毎日を一緒に過ごした。それでも、繋心さんがわたしを「女子高生」ではなく名前で呼ぶことは一度もなかった。




「繋心さーん、こんにちはー」
「…あ? うわっ、おま、女子高生!」
「やだ繋心さんたら、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか!まるでお化けでも見たような顔しちゃってー!」
「いや、つーか、……久しぶりじゃねぇか」

わたしの顔を見て立ち上がった繋心さんは吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。そういえば繋心さんが煙草を吸うところを見なくなったのはいつからだったろう。繋心さんがどうやらわたしの前で煙草を吸うのをやめたらしい、と、そう気付いたのはそれなりの時間が立ってからだったけれど。別にいいのに。わたしは繋心さんの煙草の匂い、別に嫌いじゃなかったのに。多分それを言えば繋心さんは「未成年が煙草の煙なんか吸うんじゃねー」とか何とか言うんだろう。やめてほしい。本当に、これ以上好きになってしまったらどうしてくれるんだ。

「何かあったんか。…俺はもうお前は来ないもんだと思ったぞ」
「え、心配してくれたんですか?きゃっ嬉しい」
「アホか」

繋心さんの声色が真面目さを帯びていたものだから、思わず茶化してしまう。だって。期待してしまう。そんなことを、そんな風に言われたら。

「受験シーズンだったんですよ」
「…ああ、お前進学だったのか」
「はい。今日、久しぶりの登校日で」
「そうか」

少しは気にしてくれてたのかな、とか。自惚れてもいいんだろうか。最近来ないなとか、そんなことを一瞬でも繋心さんが考えてくれたのかもしれないって。繋心さんの中に、少しでもわたしの居場所はあったんだろうか。そうだとするなら、こんなに嬉しいことはない。

「あー…、終わったのか?受験は」
「あっ受かりました。聞いて下さいよ、春から花の女子大生ですよ!ときめいちゃいます?」
「おめでとう」
「……え?」
「え?って、いや、だからお前受かったんだろ? よく頑張ったな、おめでとう」

そうして繋心さんが顔に似合わない優しい声なんか出すから、わたしの目からはなぜだか涙がぽろりと零れ落ちてしまった。繋心さんの「おめでとう」を聞いた瞬間、だめだったのだ。坂ノ下に通い続けた三年間や、冬の日に繋心さんがくれた肉まんの温もりとか、そういうものがばぁっとまるで走馬灯のようにわたしの中を駆け巡っては消えていった。名前をつけるなら、これはきっと、「寂しい」だ。繋心さんはわたしの涙を見てぎょっとしたような顔でオイ、と声をかけてきた。

「な、何泣いてんだ、お前」
「何、でも、ない、です」
「何でもないってことはねぇだろ、あーもうちょっと待ってろ」

店の奥に一度引っ込んだ繋心さんは手にタオルを持って戻ってきた。タオルをそのままわたしの顔に押し付ける。ぐりぐりと拭われて少し痛いくらいだ。

「なに泣いてんのか知らんが泣き止め」
「……ずみばぜ、」
「あー違えな、別に泣いてもいい。泣きたいだけ泣け。でも泣き顔のまま帰ろうとすんな」

不器用な優しさは出会ったときからなぁんにも変わらない。繋心さんは顔が怖いし、無愛想だし、髪の毛も派手だし、だけどいつも、こんなに優しいのだ。前もこういうことがあった。部活のことで落ち込んでいたわたしを、繋心さんはぶっきらぼうな言葉で、それでもわたしに届く言葉で、真っ直ぐに励ましてくれたのだ。

「言えよ」
「……」
「俺には言えねぇっつーことなら別に黙ったままでもいいけどな、多分俺に関係あることなんだろ?俺なんかしたか?言えよ。聞くから」

繋心さんはいつも、わたしの心を溶かしていってしまう術を知っている。わたしはいつも、溶かされてしまう。大人と子どもなんだって、思い知らされるみたいでわたしは絶対こんなの嫌だと思ってるのに。涙は止まらないし、弱音も吐きたくないのに言ってしまう。受け止めて欲しいだとか、そんなわがままを思ってしまう。

「さ、さびしい…です」
「……」
「わ、わたし、もう卒業、だし、繋心さんと会えなくなるなぁ、って思った、ら、すごい、さびしい…っ」
「………」
「だけ、ど、い、今まで、わたしの、わがまま付き合ってくれ、て、ありがとうござ、いました」

わたしの頭の中ぜんぶ伝えきったのに、繋心さんは黙ったままでいるから不安になって小さな声で終わりです、と付け加えた。繋心さんの顔は怖くて見られない。柔軟剤の匂いのするタオルに顔をうずめたまんま。

「…お前はアホか?」
「え、な、」
「何でもう会えなくなるとか決めつけてんだ」
「……? だって、わたし、卒業、」
「県外の大学にでも行くのかお前は」
「行かない、です、けど」
「だったら」

会いに来いよ、と聞こえたのは、わたしの都合のいい幻聴だろうか。だけど確かに。繋心さんの声だった、と、思う。「高校なんか行ってなくてもいくらでも会えるだろうが」。これも、やっぱり、幻聴なのかな。でもその割りにずいぶん近くで聞こえるような、気がするような。ひょっとして、ひょっとしなくても、これは。

「あんな狭い場所がすべてだなんてまだそんなこと考えてんのかよ」

繋心さんに、抱き寄せられている、?
目元にはタオル越しに体温を感じるし、後頭部には多分繋心さんの大きな手が添えられていた。あんまりにもびっくりしてぱちぱちとまばたきをしてしまうけれど、ほとんど意味はない。だけどこの熱が、頭に響く繋心さんの声が、どうしようもなくこれは現実なのだと伝えてくるのだ。

「まだまだガキだな、女子高生」
「……も、もうすぐ、女子高生じゃ、ないです」
「あ? ああ、そうか」
「みょうじだって何回言えば、」
「悪かったな、なまえ」
「………え?」

わたしは思わず息を吸い込んだ。ひゅう、という音がする。だって。何で。わたしは、繋心さんに、一度も下の名前を教えたことがなかった。だけど確かに今、呼ばれたのは。
わたしの顔は今きっとすごく不細工なんだろうけど、構ってなんかいられなかった。タオルから目を離して見上げれば、わたしを片手で抱き寄せたまんまの繋心さんがニヤリと笑った。

「澤村と仲が良いのは自分だけだとでも思ったか」




∴ つまり始めから全部がぜんぶ君のためだったよ

140305

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