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最後まで、「素直じゃないねぇ」とゆるく笑っていた姿を多分いつまでも僕は忘れることが出来ない。

「あれ、月島くん」
「…コンニチハ」
「待っててくれたの?」
「僕がそんなことすると思います?」
「思う思う」

何だかんだ君は先輩思いの後輩だからなぁ、とみょうじさんは薄っぺらい鞄を背負い直してから言った。その鞄にはいったい何が詰まっているんだろうかと、僕は何度も何度もいろんな想像をした。彼女がいつも大切に抱えていたもの。その一欠片だけでもいいから、みょうじさんが持ち歩くその中に僕の関係する何かがあればいいのに、と思っていたのはいつからだったろう。結局彼女の鞄の中身も、頭の中身も、何一つ僕は知ることを許されないまま。みょうじさんはこの学校を出ていく。

「僕のどこを見れば先輩思いだなんて思えるんですか」
「今月島くんの右手の中にあるもの」
「!」

隠していたはずの、もの。柔らかく弧を描くみょうじさんの唇はいつもみたいに楽しそうだ。当たりでしょ?と満足げに睫毛を揺らして、小さな手のひらをこちらに向けて差し出してきた。

「くれるんでしょ」
「……仕方ないですから」
「うん」

約束、覚えててくれたんだね。

嬉しそうに頬を緩ませた彼女に、あの日のことを思い出す。先輩たちが部活を引退した、あの冬の日。みょうじさんは号泣する東峰さんの肩を叩きながら笑っていた。「泣くなよ、東峰くん」と、自分は涙一つ見せないで。それはひょっとしたら後輩たちや同輩である三年生たちを寂しがらせないような配慮だったのかもしれない。彼女はそういう無駄なところにやたらと気を遣う人間であったから。だけど、その明るそうな笑顔に逆にこちらが少し寂しくなってしまったことなんか、きっとこの人は知らない。

そのあと部のみんなで坂ノ下まで行って、いつもみたいに肉まんを買っていて。そうして、不意に僕の隣に来たみょうじさんが「月島くん、これあげるよ」と半分にした肉まんを差し出してきたのだ。いらないんですけど、だいじょーぶだいじょーぶ遠慮すんなって、いや遠慮とかじゃなくて本気でいらないんですけど。数分間の押し問答を制するのはいつだってみょうじさんの方だ。何だかんだ、僕はこの人に未だに勝てない。それが先輩後輩というやつかもしれない。

「受け取ったね」
「受け取ったというか、押し付けられたんですケド」
「月島くん、その肉まんのお返しとしてお願いしたいことがあるんだけど」
「…は?お返し請求されるんですか押し付けられただけなのに?じゃあ今すぐコレ返します」
「わたしが卒業する時にさぁ、」

人の話なんか聞いちゃいないのだっていつものことで。僕の話すことを大抵笑うだけで流してしまう。いくら生意気なことを言っても、そんなこと気にする暇もないとでも言うように自分の話したいことだけを話し続ける。僕は彼女のそういうところが嫌いだったし、だけど、ひょっとしたら、そういうところが好きだった。みょうじさんはそんなことお構い無しにひっそりと笑った。

「第2ボタン、ちょーだい」
「……え」
「月島くんの第2ボタン。卒業式の日でいいよ」
「いや、そういうのってフツー卒業する側があげるものじゃないんですか。僕、これからも使うんですケド」
「代わりにわたしの第2ボタンをあげるから問題ないよ」
「…何で僕なんですか」
「月島くんのが欲しいと思ったから」

そうして僕を見た強い瞳に言葉が詰まってしまったことは覚えているのだけれど。そのあと、自分が結局どういう返事をしたのか実はあんまり覚えていない。返事なんてしなかったかもしれない。ただ、その約束だけはきちんと僕の中で有効にされていたのだから、やはり僕は、多分この人に弱いのだ。


右手で握りしめていた学ランの第2ボタンを、開かれたみょうじさんの左手の上にころん、と転がした。ありがとう、と温もりを帯びたような声が僕の頬を撫でていく。

「大切にするね」

馬鹿だと、思った。馬鹿じゃないんですか。そんなもの。たかがボタンひとつだ。僕の胸に、たった一年だけ着いていたような。ただのボタンだ。そんなものを宝物のようにそっと握りしめて笑う姿を見たら、頭の中の何かが弾けとんでいくような気がした。馬鹿だ。馬鹿。そんなものを大切になんか、するなよ。

「ごめんね」
「…は?」
「忘れて、いいから」

先輩権限を振りかざして、まだ未来のある君の第2ボタンを奪ってしまったね。こんなの職権乱用だ。ずるいね。これから先、月島くんは月島くんが第2ボタンをあげたいと思うような女の子とも出会うだろうに。ごめんね。その時は、返すから。これ、返すから。連絡してね。

ぽつりぽつりと、人の居なくなった廊下に響いていくのはみょうじさんのそんな言葉で。どうして。どうしてそんなことを言うんだ。許せなかった。し、その心境が理解できなかった。
頭に血が上るとは、なるほど、こういう感覚なのだなと理解は実感に追い付いてくる。力任せにその腕を引いて、抱き締めた。ずいぶん小さな体だと思った。

「…!月島く、」
「僕じゃ、だめなんですか」

僕が先輩思いだなんてことを、この人は本気で考えているんだろうか。「先輩」に言われれば誰にでも第2ボタンをほいほい渡すような、そんな馬鹿だとでも思われているんだろうか。それなら心外だ。腕の中に閉じ込めた体は小さくて、この人のことを「先輩」だなんて思ったコト、数えるくらいしか無かったというのに。

「…みょうじさんだったからだよ」
「え、」
「僕が第2ボタンなんかあげたいと思ったのは、みょうじさんが最初で最後ですよ」

思い出になんかしてくれるなと思う。第2ボタンなんかを大切に抱えて、そうして僕が踏み込むことの許されなかったあの鞄にそれを詰めて。どこかへ行ってしまうんだろう。ここでのことも、僕のことも、全部を綺麗な思い出に変えて。そんなの僕は絶対にごめんだと思った。許さない。許さない、そんなことは。
第2ボタンを持っていくというなら覚悟はできているんでしょうね。知らない訳じゃないだろう。心臓に一番近いから第2ボタン、なのだと。僕の心臓を、持っていくからには。

「月島くん、離して」
「…嫌です」
「月島くん、困るよ」
「………」
「こんなことされたら、わたし、勘違いしちゃう」
「しとけばいいじゃないですか」

忘れてなんか、やるもんか。僕はずっと覚えていてやる。思わせ振りで、ヒトのことを振り回してばっかりの自分勝手なこの人のこと、一つ残らず。忘れてなんか、やるものか。

「…わたし、わたしは、君より年上なんだよ」
「たかが2年デショ」
「同い年の可愛い女の子と、幸せになるべきだよ」
「…怒りますよ」
「だって、後悔、するよ。月島くん」
「ごちゃごちゃうるさいです」

黙って閉じ込められていろ。腕の力を強くすれば、みょうじさんは躊躇うように、それでも恐る恐る、といった体で手を僕の背中に回した。その手が少し震えていることに気が付いて、びっくりした。この人は、ここまでちっぽけな存在だっただろうか。こんなにもか弱くて、庇護欲を掻き立てるような、そんな人だっただろうか。力をどの程度加減してやればいいのか解らない。先輩だって、年上だって言いたいのならそういうことを教えてくれればいいのに、と思う。

みょうじさん。みょうじさん。何だってこんなものを欲しがるんだと思っていたけれど、今ならその理由が僕にも少しだけ解るかもしれない、と思った。確かに、欲しいなと思ったんだ。僕も、この人の第2ボタンが、この人の心臓が、欲しいと。笑えるだろう。

「月島くんは、馬鹿だよ」

心外だ、と思ったけれど、その声が震えていることに気が付いてしまったから、それは言わないでやることにする。みょうじさん。何で泣いてんの。だってあの日ですら僕の前では一切泣かなかったのに。

「解ってるくせに」

うん、解ってる。解ってるけどさ。嬉しいからだよ、って、その一言をみょうじさんの声で聞きたい。ねぇ。言ってよ。そしたらもう、絶対離してなんかやらないよ。




∴ 寂しさなんてただの錯覚なんだってちゃんとあなたも知っていたでしょう


20140303

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