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※未来設定


壁にかかったシンプルなアナログ時計とにらめっこを続けている。ちく、たく、と動き続ける針を見ているのは普段なら嫌いじゃないけれど。今日に限っては、少しだけもどかしさを覚えながらそれを見つめていた。
長針は11を回って少しした頃だった。まだ帰ってこないこの家の住人のことを思い浮かべながら、わたしはひっそりとソファーでうずくまっている。明日の準備なら、完璧だった。何を隠そう今日は金曜日の夜で、明日は土曜日なのだ。そして、とっても大事な日。今日できることは今日のうちに済ませておいたつもりだった。

まだだろうなぁ。

連絡の一つも入ってないところを見ると、きっと飲み会で大盛り上がりを見せているんだろう。高校を卒業してからも当時のバレー部とはよく集まっていて、今でも深い交流があるらしかった。彼らとの飲み会でスガくんが日付の変わる前に帰ってくることはあまりない。終電ギリギリになることだって珍しくない。いつも仲良しで微笑ましくて、そんなスガくんの邪魔だけは絶対にしたくなかったから、今日は飲み会があるんだってスガくんが少しだけ申し訳なさそうに切り出したときも快く送り出すことは決まっていた。申し訳なさそうにする必要なんて一つもないのになぁ、とわたしは思う。スガくんにはスガくんの世界があって、それは当たり前のことで、恋人だからといってそれを狭める権利はわたしにはないと思う。というか、スガくんの世界は広がった方がいいに決まっているのだ。誰にでも優しくて、朗らかで、誰からも愛されるような人だから。誰かと一緒にいるときが一番輝いているような人だから。大勢の人に囲まれて、穏やかに笑っているようなスガくんを見ているのが、わたしは好きだ。
だから今日だって。
スガくんがたくさんの友達たちと一緒にその瞬間を迎えるのであれば、それがいいと思った。なんせ明日は土曜日だ。スガくんを、ひとりじめする約束をしてもらっていた。これ以上なんて、望んだらバチが当たってしまう。

ケーキも用意したし、プレゼントだって。お風呂も沸かしてあるから、もしスガくんが遅くに帰ってきても入れるようにしておこう。ああでも飲んでるんなら、今日はお風呂はやめて明日の朝シャワーにした方がいいかも。

そこまで考えたところで、玄関の方からガチャリ、と音がした。思わず壁時計を見る。12時にはあと15分だった。うそだ、だって、そんな、まだ日付、越えてない。

だけどそっと飛び出した廊下から見えた玄関。間違えるわけもない。いとしい癖毛。眩しいくらいの、綺麗な灰色。

「ただいま」

そこには、スガくんが立っていた。わたしを見て、少しだけ嬉しそうに、笑う。穏やかな空気だけはいつ見ても変わらない。このひとのまとう柔らかな空気感が、いつだって大好きだ。

「スガ、くん」
「はい」
「な、なんで…」
「あれ?帰ってくるのに理由が必要?」

おどけた調子で苦笑してみせるスガくんの顔はほんのりと赤いので、きっとお酒を飲んできているのだろう。スガくんはけっこうお酒に強い。飲み会に行ってもいつも介抱に回る側の人だし、変に酔っ払って醜態をさらすこともない。いつもしゃんと立って、いつも通りみたいな顔をして飲み会から帰ってくる。

「………おかえり、なさい」
「はい、ただいま」

伸ばされた両手がわたしを抱え込む。ぎゅう、と玄関で立ったまま抱き締められて、少しだけ息が苦しい。だけど。だけど今は、そんなこと。

「もっとお友達と飲んできてよかったのに」
「んー、でもみんながなまえんとこ早く帰れって言ってくれたからさ」

気ぃなんか遣うようになっちゃって、あの日向たちが。

思い出すようにふふふと苦笑する声が頭上から聞こえてくる。日向、さん。わたしの知らないスガくんの世界。だけどそれから、スガくんはわたしを抱き締める腕に力を込めた。

「それに、なんか、会いたくなった」
「え」
「なまえに、はやく会いたくなっちゃったとか、言ったら笑う?」

スガくん。笑えるわけ、ない。今朝会社に出るスガくんを見送ったばかりで、もう会いたいなんて、付き合いたてってわけでもないのにそんなの、確かに馬鹿みたいかもしれないけど。だけど。笑えるわけ、ない。だって。だってそんなの。わたしだってずっと、会いたかったよ。スガくん。会ったばかりとかそんなの関係ない、わたしは、いつだってスガくんに会っていたい。いつも会いたい。ずっと、一緒にいたいんだよ。

「スガくん」
「ん?」

彼の背中越しにこっそり覗き見た腕時計。時を刻み続ける秒針。明日がすぐそこまで迫っている。………3、2、1、

「お誕生日、おめでとう」

ぎゅう、と抱き付いたまま言ってみた。スガくんは一瞬息を呑んで、だけどすぐに吐き出した。ふっと、空気の揺れる音がする。スガくんはいつだって笑い方までやわらかい。

「なに、時間、はかってくれてたの」
「…ん」
「かわいいんだけど」
「何言って、」
「ありがと」

ありがとう、ともう一度、わたしの肩に頭をすり寄せてスガくんが微笑む。ほんとに、うれしい。呟くように落とされる言葉のひとつひとつを大切にしなくちゃいけないな、と思う。ありがとう、すきだよ。スガくんの熱が肩から、腕から、身体中から伝わってくる。やっぱり酔ってるのかもしれないな。スガくんの口からはほんとにすき、ありがとう、なまえ、そんな言葉ばかりがぽろぽろ零れ続けている。スガくんは基本的にお酒には強いけれど、お酒の入ったスガくんは考えていることがそのまま口に出てしまう癖があるって、前に自分で言っていた。なまえ、もう何度目かわからなくなるくらいに、スガくんの耳に優しい声が聴こえる。スガくん。応えるように、そっと名前を呼び返す。

「スガくん、生まれてきてくれて、ありがとう」
「……うん」
「出会ってくれてありがとう」
「…今日、そういう感じなの」
「なにが?」
「ちょっと、照れる」

こういうとき酔っ払いはずるいなぁ、と赤い顔のスガくんを見ながら思う。顔が赤いのもお酒のせいにできてしまう。わたしの前で照れるスガくんというのは案外レアだ、いつも余裕のある顔をしてわたしを翻弄するのがスガくんだから。

「今まで生きていてくれてありがとう」
「……ちょっと」
「好きになってくれて、ありがとう」
「なまえ、」
「スガくんがスガくんでいてくれてよかった。ほんとうにずっとありがと、」
「そろそろ黙って」

珍しく照れてるスガくんがおかしくて、いい機会だと思いながらスガくんへの想いの丈をぶつけていたら低く呟いてスガくんがわたしの口をふさいできた。彼の唇で。やわらかい唇と唇がぶつかる。スガくんは少しお酒くさくて、熱くて、あつくて、二人が触れ合ったこの境界線から溶けてしまうんじゃないかと思った。

「す、スガくん」
「…なに」

キスの合間に必死で名前を呼ぶと、唇を重ね合わせたまんまでスガくんがそっと呟いた。もう、やめてあげられそうにないんだけど。スガくんの瞳が男のひとのものに変わっているのに気が付いてしまう。最後にもう一度だけ、きちんと言わせてほしい。

「すきだよ。お誕生日おめでとう」

目と目を合わせてそう言えば、スガくんは目を丸くしてからガシガシと自分の頭をかいた。

「あー、くっそ」

何でそんなに可愛いの。

ばか、と零れた言葉を聞き逃しているはずもない。ぎゅう、と苦しくなるくらいスガくんがわたしを抱き締めた。あったかいな。離したくないな。離せる気が、しないなぁ。ずっと隣にいてね。スガくん。そりゃあもう、おばあちゃんになったって。あなたのこと、もう手放せる気がしない。背中に回した手に力を込めたら、スガくんも抱き締める力を一瞬強めた。ぎゅっ。ぎゅっ。この気持ちをどうやったら伝えられるんだろう。ちゃんと伝わっているのかな。すき。すきだよスガくん。

しあわせだなぁ、って思わず呟いたら、こっちのセリフなんだけど、とスガくんが少し笑った。離したくねぇなぁ、ってスガくんが言うからわたしも少し笑った。以心伝心だね。ずっと一緒にいようね。一緒に、しあわせになろうね。お誕生日おめでとう。ずっとずっと、離さないから、離さないでね。




Happy birthday to you !

2015.06.13


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