その日、とてもとても暑い夏だった。外に出れば道路はゆらゆらと陽炎が揺れ、じわりと汗がにじむ。外に出るのも億劫になる暑く長い中学最後の夏休み。私は部屋で一人、読書にいそしんでいた。時計を見ると午後1時を回ったくらいだった。そういえば、国見君宿題見に来るなんて言ってたなぁ…自分でやらないと夏休み明けのテスト酷い目見るのに。ギィ、と椅子の向きを変える。本棚には、フォトフレームに入った私と国見君の写真。…はやく、国見君こないかなぁ。とゆらゆらと身体を揺らした。

そうだ、国見君が来たら昨日お母さんと買いに行ったクッキーを出そう。お茶もね、おいしそうな紅茶の茶葉も買ったの。顎をつき、思い耽る。はやく、国見君来ないかなぁ…。



このときまで、私は確かに「普通」だった。


「はーやく、国見くん来、……っ」

目の前が、ゆがんだ。
予兆も無くただ突然に息が苦しくなってごほごほと咳が出る。咳をするごとに空気を肺に取り込むことが出来ず喉が熱くなる。ぐらり、身体が傾き床に叩きつけられた。カーペットを掴む。ひゅーひゅーと喉から息が漏れる。
今まで体感したことのない身体の異常。
危険信号。

ああ、これはしんじゃうのかな

苦しくてたまらないのに、頭は酷く冷静だった。お父さんもお母さんも仕事で家にはいない。国見君だっていつ来るかもわからない。このままだと、もしかしたら本当に死んでしまうかもしれない。床に縫い付けられるように動かない身体。
視界の隅に、白いものが映る。

あれは、なに?

私はそれに手を伸ばし、指先に微かに触れ――意識が暗転した。





▽△▽


「…さくら!」
「……う、ん?」

目を開くと、視界いっぱいに焦った表情の国見君の顔。一体どうしたんだろうと首を傾げると「こんの馬鹿!」と怒られてしまった。私はただただ目を丸くする。

「呼び鈴鳴らしても出てこないし、玄関のドア引いてみたら鍵掛かってなくて普通に開くし、さくらは何故か床で倒れ込んでるし」
「ご、ごめんね」
「びっくりして寿命が縮んだよ…で、なんで床で寝てるの。あとこの大量の花なに?」

えっ、と自分の周りを見ると確かに私の周りには大量の白い花冠が散らばっていた。こんな花、部屋には無かったはずだと首を傾げた。

「ほら、頭にも花乗っかってるし」
「うーん?」

ぱたぱたと頭の上に乗っかっているらしい花を叩き落とす国見君。そういえばなんで私床で寝ていたんだっけ…?
そうだ、本を読んでいて、つまらなくて国見君早く来ないかなって思ってそしたら…息が、苦しくなって。それ、で

「って、ここで叩き落としちゃ駄目か。外行って落としてきなよ。部屋の花は…捨てても良い?」
「うん…大丈夫」
「ゴミ袋ちょうだい。箒と塵取り勝手に借りるから」
「持ってくるね」
「頭の花、落としてからでいいからね」
「うん」

私は部屋を出て庭へと向かった。ガーデニング好きの母が丹精込めて育てた花々が咲き誇る。ふわりと私の頭から落ちた小さな白い花は、庭には咲いていなかった。顔に近づけてよく見ていると、嫌に甘ったるい香りが鼻を刺激した。目頭が熱くなり、喉も痛みはじめる。けほっ、と思わず噎せ返る。と、だ。


「う……ぇ?」

口から赤い花が溢れた。…と、え?え、なにこれ。
一度咳き込んでしまうと最早止まらない。げほげほと咳をするごとにぼろぼろと口から血のように赤い花が零れ堕ちる。口を手で押さえても、指の間からぽろぽろ花が堕ちる。嘔吐感はまるでないのに、小さな真っ赤な赤が大量に吐き出される。
一度落ち着かせるように息を吸って吐くと、少し楽になり徐々に咳も止まる。はぁ、と蹲ると今度は頭の上からぽろぽろ花が堕ちてきた。

「なに、これ」

いつの間にか、庭が一面花の山になってしまった。取りあえず、大量の花を庭の隅に追いやる。ちゃんと頭の花も叩き落として。しかしこれは、一体どういうことだろうか。口から花を吐きだすだなんて、気味が悪い。普通に考えて、あり得ない話だ。
呆然と玄関に座っていると、頭を叩かれた。

「ちょっと、俺にだけ部屋の掃除させないでよ」
「…うん、ごめん」
「どうしたの、なんかあった?」
「な、んでもない。なんでもないよ。ごめんね。ゴミ袋持って」
「あ、キッチンから勝手に貰った」
「そっか」
「はい、花。勉強しに来たのになんで掃除してるんだ俺」
「…勉強って、宿題打ちしに来ただけじゃ…」
「十分でしょ」
「えぇー…」
「ほら、早く部屋行くよ。今日中に写し終わらなくなるじゃん」
「そこは自力で」
「きこえない。ほら」

手を引かれる。「なんかさくら、花の匂いすごいね。花の中で寝てたせい?」なんて聞かれてドキッとした。気味の悪いこれを、国見君に言えるわけがない。「気持ち悪い」だなんて国見君に言われたら、とてもつらいもの。唇を噛む。お願いだから、国見君が居る間は花、溢れ出ないでね。そう自分に言い聞かせた。





▽△▽


「普通の花だね」
「普通の花、ですか?」
「人間の医者だから、花のことはよくわからないけど、多分普通の花だね。花屋さん連れてくるかい?」
「え、えっと…あとで花屋さんに行ってみます」

小さいころから何かとお世話になっている病院で診察を受ける。少し喉が傷ついていて、肺炎もどきになっているが薬でなんとかなるレベルだそうだ。問題は、

「花を吐く病気ねぇ…うーん…ファンタジーみたいだね」
「あと、頭にも咲くみたいなんです…」
「え?脳内お花畑?」
「ち、ちがいます!よく言われるけど違います!」
「よく言われるんだ…」
「で、先生。どうしましょう…」
「うーん…そんな病気今まで見た事も聞いたこともないからなぁ…」

ちょっと、まって検索してみる。とパソコンに向かう先生。画面に向かいながら「とりあえず、ご両親には伝えておきなさい。そもそも、そんな不思議病気抱えて一人で病院に来るもんじゃないよ」と言う。

「だって、気味が悪いじゃないですか。お父さんとお母さんに「気持ち悪い」なんて言われたらどうしようって」
「さくらちゃんのご両親、揃って脳内花畑さんだから、まったくそんな心配いらないと思うけどね…あの人たちの図太さ半端ないよ」

人の両親に対してえらく失礼な気がするけど、そういえば先生って、お父さんとお母さんと同級生だったんだっけな、と思いだした。「うーん…やっぱりそういう病気はないねぇ…」という先生の言葉に落胆した。

「とりあえず、一度家に帰ってご両親を連れてきなさい。話はそれからだよ」
「…う、」
「病気のことは話さなくていい。僕が呼んでるって言えばいいよ」
「…はい。わかりました」
「幼馴染君には」
「言わないです…絶対っ」
「…まぁ、そこらへんは強要しないけど。じゃあ6時にまたおいで。ちゃんとご両親連れてくるんだよ」
「…わかり、ました。先生、ありがとうございます」
「むしろ、力不足で申し訳ないよ。こっちも色々調べてみるよ」







帰り道、ちいさな花屋さんに立ち寄る。「いらっしゃいませ」と優しそうな女性が顔を出した。

「あの、すいません。この花が何なのか御存じありませんか?」
「これは、えーっと……あ、ヒメウツギね」
「ウツギですか?」
「そうそう、花言葉は…秘密、よ」
「秘密…」
「なにか隠しごとでもあるのかしら」
「……」
「あら、聞いちゃいけないことだったみたいね。ごめんなさい。」
「…いえ」

秘密…うん、そうだね。これは、ぜったいひみつにしなきゃいけない。ぎゅっと、小さなヒメウツギを握りしめた。


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