「大地、また手紙が届いているぞ」
律が差し出した一通の手紙。
「ああ、ありがとう」
その手紙を受け取って、榊は小さく口元を緩ませた。
「最近よく届いているようだが、一体誰からだ?」
「んー? それは、秘密かな」



Letter game



事の発端は、一月ほど前に遡る。
「大地、お前宛に手紙が届いている」今日のように、律から一通の手紙を渡された。
「手紙?」
それは、星奏学院の吹奏楽部宛に届いたものらしい。宛名には、『榊大地様』と書かれただけで、送り主の名前はないという。榊は、はて、と首を捻った。手紙で受け取るような案件に特に覚えはなく、名前を書き忘れたにしては、随分と綺麗に封を綴じてある。
「後で確認するよ。ちょっと今、手が離せないんだ」
「分かった。では、ここに置いておく」
「ああ、ありがとう」
ヴィオラに付いた松脂を拭き取りながら、榊は机の上に置かれた手紙を一瞥した。
夏が終わって、俺たち三年にとっては、明確な目標となるものがなくなった。あのひと夏は、一生の思い出に残る熱い夏だった。様々な出会いと音色に触れた夏。あの時間は、もう二度と来ないのだと思うと、柄にもなく感傷的になってしまう自分がいる。しかし、いつまでもそうしてはいられないのだ。また来年の為に、部の未来を担う後輩たちへの引継ぎ等、三年としてやらなければならない事は山ほどある。
榊は、手入れを終えたヴィオラをケースに仕舞って、さて、と立ち上がった。
「おっと、手紙が来ていたんだった」
危うく忘れそうになった手紙を拾い上げ、なんとなく裏を返した。しかし、やはり差出人の名前は見当たらず、榊は小さく息をつく。
本当に、心当たりが全くない。封筒はその辺に売っているような安っぽいものではなく、和紙のような質感で、高級感のある代物だ。女の子からのファンレターにしては、やけに趣がある。榊は、読まずに家まで持ち帰るつもりだったが、この不可解な手紙の送り主が気になって、指先は自然と封を切っていた。
中から出てきたのは、二枚の便箋。封筒同様に上質な質感で、そこに書かれている文字も、中々に達筆なものだった。こんな文字を書く相手に、心当たりはない。榊は、不審に思いながらも、とりあえず手紙の内容に目を通した。

『この夏、音楽にかける榊くんの熱い思い、ずっと見てました。何かに真剣に打ち込むその姿勢、ずっと応援しています』

そこまで読んで、へえ、と声が漏れる。やはり、これはファンの子からの手紙らしい。誰からかは知らないが、この控え目な言葉遣いから、大人しいタイプの子だろうと、そんなことまで考えた。そして捲った二枚目を見て、榊は眉根を寄せる。
『なーんて、かわいい女の子からのファンレターやと思た? 残念、全部冗談や』
そんな文面の最後に書かれていた名前を見て、榊は思わず目を見張らせた。
「土岐?!」
そこには、確かに『土岐蓬生』の名前があった。
「大地? 何か声が聞こえたようだが、どうかしたのか」
「え、……いや、何でもないよ」
顔を覗かせた律にそう笑いかけて、榊はぞんざいに手紙を鞄へと仕舞った。

        ◆

しかし、土岐は一体何をしたいんだ。帰り道、榊は土岐の手紙のことで頭が一杯だった。受け取った時点から何かがおかしいとは思っていたのに、便箋と筆跡で気づけなかった自分が悔しい。なにより、土岐の意図が全く分からない。
夏が終わって、神南のメンバーは神戸へと帰った。それから何かと忙しく、特に連絡をし合うことはしていなかった。それがまさか、こんな形で再び土岐の名前を見ることになるなんて。
わざわざ手紙で送りつけてきた所を見ると、相当に暇を持て余しているらしいと、榊は呆れたように息をつく。
こんな事をされて、見て見ぬふりをしているのも癪だ。けれど、わざわざ手紙を返すのも面倒だと、榊は徐に携帯電話を取り出した。

手紙の内容への文句―――とも言える返事を、メールで送ってから二日が過ぎた。しかし、土岐からの返信は来ていない。メールの着信音が鳴る度に、どこか期待してしまっている自分に自嘲する。
必ずしも、返事があるとは限らないじゃないか。ただ、土岐の暇潰しに付き合わされた。
そう思い始めた時、再び律から手紙を渡された。受け取ったその手紙を見て、思わず目を見張らせる。この前と同じ封筒、送り主の書かれていない手紙。土岐からの手紙だとすぐに分かった。急くように封を切って取り出した手紙の内容は、以前とは違って簡素なものだった。
榊が送ったメールに対する誹謗中傷。それだけが書かれた手紙。たったこれだけの為にわざわざ手紙を出したのかと思うと、正直呆れる。同時に、メールを見ておいて尚、手紙で返事を出す辺り、土岐の徹底ぶりに関心さえ覚えた。実に手の込んだ嫌がらせだと、榊は口許に弧を描く。

        ◆

冒頭で、律から受け取った手紙。
手紙とメールでのやり取り――というより、ほぼ皮肉の言い合いだが――を初めて、これで四通目になる。
『ほんま、榊くんは意固地やなあ。そろそろ、手紙で返事くれてもええんとちゃう?』
相変わらず素っ気ない土岐の手紙に、榊もいつもの様に携帯電話を取り出した。
『それはこっちの台詞だよ。これだけの内容に、手紙なんて必要ないだろう? いよいよ律からも、相手は誰だと訊かれたよ』
メールを打ちながら、思いがけずこのやり取りを楽しんでいる自分に気づく。まるでゲームのようなやり取りに、もはや内容よりもどちらが先に体勢を崩すか、という勝負になっている。

最後のメールを送ってから二週間が過ぎた。しかし、まだ土岐からの手紙は来ていない。自然と、眉間に皺が寄る。
これまで、返事がくる期間は土岐の気まぐれでまちまちだったが、こんなに遅いことはなかったのだ。
メールの内容に何か問題があっただろうかと、送信履歴を見返すのもこれで何度目だろう。我ながら、土岐からの返事をこんなにも待ち望んでいることに苦笑した。いつかは、どちらかが終わらせなければならないにしても、元は土岐から始めたゲームだ。このまま一方的に終わられては、あまりに身勝手すぎる。

榊は、ふと立ち寄った雑貨屋で、ひとつのレターセットに目が留まった。土岐の手紙のように高級感のあるものではないが、このゲームを唐突に中断させた相手に、最後に皮肉のひとつでも送ってやろうかと、それを手に取った。
生憎と土岐の住所は知らないので、宛先は神南高校の管弦学部。もちろん、送り主である自分の名前は書かず、土岐と同じ方法で手紙を送る。
これまで頑なに拒んでいた行為をしてまで、榊には確かめたいことがあった。せめて、このやり取りが終わってしまう前に、土岐が手紙を送ってきた理由が知りたい。この一手で土岐がどうでるか。これは、賭けだ。

手紙を送って数日、やけに落ち着かない自分がいる。横浜から神戸まで、遅くても三日あれば届くはずだ。それから返事を投函したとして―――。そこまで考えて、返事がくることを前提に考えている自分に苦笑した。ここ最近、思考は全て土岐絡みだ。本当に、自分でも莫迦らしいと思う。
そんな時、携帯に一通のメールが届いた。見知らぬアドレスから送られてきたそれには、『突然のメール失礼します』という畏まったタイトルと共に、芹沢睦という名が記載されていた。
榊は、思い当たる人物の顔を呼び起こして、しかし神南のピアノの彼とは、そんなに接点はなかったはずだと首を傾げる。これも土岐の企みだろうか。榊は怪訝に思いながらも、そのメールに目を通す。
タイトル同様、きっちりとした文章で書かれた本文には、俺のアドレスをひなちゃんから訊いたという謝罪から始まり、次いで、土岐が体調不良で学校を数日間休んでいる事。そして土岐の指示で、手紙の封を切ってしまった事が書かれていた。
『そのまま渡そうと思ったのですが、副部長が誰からか分からない手紙は受け取らないと言うもので……』
 芹沢の苦労が伝わる一文に思わず笑って、榊はそのメールに返事を打った。

        ◆

「やあ。体調はどうだい」
 横浜と同じ、潮風が香る港町。夏に訪れた時よりも心地よい風が吹いている神戸の港で、榊はそこに佇む人物にそう声をかけた。
「なんで、榊くんがここにおるん……」
 予期せぬ人物の登場に、振り向いた土岐は瞬く間に目を見張らせる。
「芹沢くんだっけ、彼から教えて貰ったよ。休みの日は、よくここに居るってね」
状況が理解しきれていない土岐に満足げに笑いながら、榊はその隣へと足を運んだ。
「手紙を見てしまったお詫びを何かしたいと言ってきたから、その好意を無駄にするのも可哀相だと思ってね。いけなかったかい?」
何食わぬ顔でそう告げれば、土岐が詰めていた息を小さく吐いたのが分かった。
「……榊くんに脅されて、芹沢くんかわいそうやわあ」
「失礼だな。元はと言えば、君の指示なんだろう?」
「まさか、あんたからの手紙やなんて思わんかったんよ」
 知ってたら、芹沢に頼んだりせえへんわ。と、土岐はこちらに嫌な顔を向ける。久しぶりに間近に見た土岐は、体調を崩していたせいもあってか、夏よりも更に白くなったように思えた。
「それより、ようやっと手紙書いてくれたんやね。どういう風の吹き回しなん?」
「それは俺が訊きたいな。何故、急に手紙をくれたのか」
 榊の言葉に、土岐は一瞬言葉に詰まったように息を呑んだ。そして、ばつが悪そうに視線を泳がせる。
「携帯の操作って、目が疲れるし面倒やろ……」
「え、それだけが理由かい? 手紙の方が面倒だろ」
「……まあ、確かに、メールの方が簡単かもしれへん。でも、手紙はメールと違て、筆跡で相手の感情が分かるやろ? 嬉しいんやろなあ、とか、怒っとるんやなあ、とか」
「……さあ、俺にはよく分からないな」
「人のぬくもりを感じられる。そこがええのに、メールでしか返事をくれへんなんて、榊くんは冷たい男やねえ」
 榊を見る土岐の目が、微かに細められた。夏以来となる挑発的なこの表情に、榊も負けじと口角を吊り上げる。
「男相手にぬくもりも何もいらないだろ」
「おとこおんなは関係あらへん。俺は、手紙を書いた人に対する思いやりの欠片もないんやねって言うとうだけや」
「……本当、土岐とは馬が合わないな」
「それは、こっちの台詞」
 何でこうも、土岐とは気が合わないのだろう。それなのに、何故こうも気になってしまうのだろう。
「……まあ、いいさ。君も元気そうだし、わざわざ神戸まで来てやったんだ。今日は、一日俺の相手をしてもらうよ」
 そう言って、土岐の華奢な肩に流れる髪に手を伸ばす。
「勝手に来ておいて、アホなこと言わんとき」
 しかし、その手は直ぐに叩かれた。
「相変わらず、素直じゃないな。本当は、俺に会いたくて手紙をくれたんだろう?」
 再びそっぽを向いた土岐にそう告げれば、確かに息を呑んだのが見て取れた。
「……まさか。自惚れも程々にしいや」
 そう言いながらも、紅潮している頬を見逃さない。榊は、密かに口元を緩ませた。
まあ、そんな俺も、こうやって自ら土岐に会いに来ているのだけれど。素直じゃないのは、お互いにあの夏から変わっていない。
このレターゲームも、今日で終わりかな。榊は、再び土岐の髪に手を伸ばす。今度は拒まれず、ただ視線を逸らした土岐に思わず笑った。
自分だけの為に書かれた手紙もいいけれど、こんな風に顔を見て話す方が、俺は好きだな。









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