音色のみが知る




必死だった。まだヴァイオリンを習い始めたばかりの頃は、ただ千秋に追いつきたくて、早く一緒に並んで弾きたくて、そんな早まる感情に流されて一日中ヴァイオリンを触っていた気がする。
初めて聴いた音色は、寝込んでいた俺に「元気になる魔法や!」と千秋が聴かせてくれたヴァイオリンの音色だった。華やかで楽しくて、弾けるような音に心を奪われたことをよく覚えている。
それから千秋に誘われるようにヴァイオリンを初めて、ぐんぐん上手くなる千秋に置いて行かれないように必死で弾いた。


「焦ったらあかんで、蓬生」
「せやけど……」
「焦ってもいい音楽は奏でられへん……って、蓬生!お前顔色悪ぅなっとるやないか!今日の練習はおしまいや!!」
「このくらい平気や…。いっぱい練習してはやく千秋に追いつきたい……」
「蓬生……。せやけど、倒れたら一緒に練習もできんくなるんやで……?それは俺が許さへん」
「千秋……」
「それに蓬生には蓬生にしか奏でられへん音色があるんや。俺に追いつこうと思わんでもええ」
「……そうなん……?」
「俺が言うんやからほんまや。俺の隣で弾くのはずっと蓬生だけや」

昔っから自信家で傲慢なところもあったが、それに見合った音色を奏でる千秋に誰も敵わないから、誰も口出しはできない。そんな千秋の横に並んでヴァイオリンを弾けることが嬉しくて、小さな自慢でもあり、楽しみのひとつでもあった。
千秋の周りはいつも賑やかだ。友達を作るのが上手いのか、社交的な性格故か、ただ千秋が目立つから自然に人が集まるだけなのか。たぶん全部当てはまる。俺にないものを持っている。それはまだ子供だった俺にも十分すぎるほどよく解ったし、あの頃からすでに、そんな千秋を特別な存在として見ていたのかもしれない。

「千秋と一緒にヴァイオリン弾いてると元気になるんや。なんでやろ?」
「言ったやろ。お前を元気にする魔法やて」
「それ本気やったん……」
「実際元気になるんやろ?せやったら魔法やんか」

小さい千秋は自信満々に、目をキラキラさせながら言う。音楽は魔法なのだと。確かにそうなのかもしれない。聴く人を喜ばせる音色、時によっては哀愁を漂わせ、涙を誘う。しかしそれはすべて、技術と感性を磨きあげてこそ、できる魔法なのだ。





ぼんやりとした橙色の明りが瞼の向こうでちらついて、蓬生は少し眉間に皺を寄せて、ゆっくりと目を開ける。ぼやける視界に、テーブルライトの明りと、広げられたままの楽譜が映った。いつの間にかうたた寝してしまっていたらしい。今何時だろう、と、時間を確認するために体を起こすと、ぱさりと何が落ちた音がして、蓬生はその方向に視線を送る。
(ブランケット…?)
誰かが掛けてくれたのだろうかと、床に落ちたそれを拾おうと手を伸ばした所で、薄暗い室内から聞き慣れた声が響いた。

「蓬生、寝るならベッドで寝ろよ。お前はすぐ体調崩すだろ」
「……千秋、いつからおったん?」
「さっきだ。もう少し様子見て起きなかったら起こそうと思ってたが」
「…ああ、ごめんな。ちょっとうとうとしとっただけや。これ掛けてくれてたん?ありがとう」
「こんな時間まで譜読みしてたのか?」
「ちょっと見ておきたい所があってな」
「程々にしとけよ。焦って―――」
「焦っても、いい音楽は奏でられへん、やろ?」
「……解ってるならいいが。何かあったのか……?」
「んー?さあ、どうやろね」

からかうように笑うと、千秋はそうくるだろうと解っていたかのように小さく鼻で笑って、あっさりと話題を変えてしまう。夢で見たあの頃はまだ子供だったけど、今でも「音楽は魔法や!」なんて、この今の千秋は言ってくれるのだろうか。いつか聞いてみらなあかんな。なんて、考え付くのは悪巧みばっかりだと自笑する。

あの頃は必死だった。今はあの頃ほどの必死さはなくなったが、やはり、少しでも千秋に近づきたいという気持ちの焦りは多分この先もずっとある。しかしそれは今では、一緒に成長できるという、悦楽に満ち溢れたものに変わっていた。








20111209



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