うたかたの夜




今日一日の疲れを癒やすように浴槽に体を沈めた東金は、ふと聴こえてきた音色に耳を傾けていた。
ヴァイオリンとは異なる音色。弾かれた弦が振動して生まれる音は、最後までゆったりとした余韻を残したまま静かに消える。一音が切なく、艷やかで、ときに甘い。そんな旋律を、東金は全身で感じるべく静かに目を閉じた。

蓬生の奏でる三味線は、ヴァイオリンの音色よりもその感情を読み取りやすいと思う。東金のカンタレラと合わせる時の蓬生は、俺の音に寄り添うように自身の音色を変えている。東金の音をより引き立たせるように、弾いていて心地良いと思えるように、相手の音に合わせるのは蓬生の得意分野でもあるのだろう。だからこそ、個性がそのまま音色になる三味線は、蓬生の感情そのものだと最近思うようになった。

緩やかに、一つ一つの音を長く響かせるsostenuto〈ソステヌート〉。
穏やかな音色の中にも、時より切なさが見え隠れする。お前は今、どんな都々逸を歌っているんだ。浴室からではその歌声までは聞き取れず、もどかしさを感じて小さく舌打ちをした。

蓬生の都々逸を聴くのは好きだ。昔はその良さがいまいち解らなかったが、都々逸に込められた想いを知ってから興味をかき立てられた。あまり感情を向き出しにしない蓬生の、歌に乗せて吐き出す本音。時に泡沫のごとく儚く、時に媚薬のように甘い。
一度、誰に向けた歌なのかと訊いたことがある。その時は上手くはぐらかされてしまったが、恋歌が多い都々逸ゆえか、蓬生の長くしなやかな指が奏でる音のせいなのか。まるで人恋しいと誘われているような気がして――。

ポロン、と。一際、艶のある音色が響いて東金は閉じていた瞼を上げた。
弾かれた弦の音色は、あきらかに先程までとは違う。恋に身を焦がしたひとりの青年が、恋しい相手を呼んでいる。直感的にそう感じ取れたのは、決して自惚れが過ぎるせいでない筈だ。

「ハッ、悪くねえ」

“音”で誘われるのは悪くない。それがヴァイオリンでも、三味線であっても。
口元は自然に弧を描く。今度は、その音に込められた想いをちゃんと言葉で聞かせてもらおうか。
浴槽から上がると大きな水音が一気に静寂を掻き消した。思いがけず聞こえなくなってしまった音色に東金は再び舌打ちをして、濡れた髪を乱雑にタオルで拭き取った。早く蓬生の元に向かいたい。そう急く思いに、身体に残った水滴さえも拭き取る時間がもどかしい。








20110201
20190404(加筆修正)






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