水面に蝶々<モンシロチョウ>
控えめに落としたライト。
乳白色のお湯に浮かぶ真っ赤な薔薇の花びらはまるで夢心地へと誘うようにゆらゆらと揺れている。
浴槽はけして小さい訳でもないが、大人2人で入るには少し狭いくらいの大きさで。
胸の辺りほどまで溜めたお湯に浸って、どちらかが身体を動かす度にちゃぷん、と、音をたてながら波打つ水面では花びらが優雅に踊る。
浴槽の大きさの問題上、カストルとラブラドールの必ずどこかしらの肌と肌が触れ合っている現状。2人の距離感。今はお互い正面を向いているので触れ合っているのは肩と肩。
もちろん、水面下では手を繋いでいる訳で。
乳白色という色の特権だろうか、見えないという安堵に支配されて気恥ずかしさのカケラもない。
控えめに落としたライトの明かりは、しばしの静寂さえも艶やかに染め上げる。
その中ででも映えるバラの赤は相変わらず水面に無数の波紋をつくって浮いている。
ふと、静かに揺れるだけだった水面がちゃぷん、と音を立てた。
かと思えば、水面下で繋いでいる手の平にぎゅっと力が加わって、ラブラドールはカストルの方へと向きを変えた。
どうかしたのかとカストルが振り向くと、一際大きく水面が揺れて音をたて、ラブラドールのくちびるがカストルの頬へとふわりと触れたので驚いた。
数秒。軽く触れるだけで離れたくちびるは再びカストルの頬に落ち、手を繋いでいないほうの手で身体を引き寄せられて、最後にはくちびる同士が重なった。
「…今日はどうしたのです?やけに積極的ですね」
離れたくちびるの温度に名残惜しさを覚えてそういった。
今だ片方の手は繋いだままで、自らのもう片方の腕を持ち上げてラブラドールの柔らかい髪をするりと撫でた。
俯くラブラドールの頬は微かに赤い。
しかしその表情は、控えめに落としたライトと外してきた眼鏡のせいでぼんやりとしか伺えず、惜しいことをしたと苦笑じみた笑いがでただけだった。
それからも数秒、お互いに黙ったままだった。
相変わらず水面下の片の手は繋いだままで、少し身じろぐために手の力を緩めるとすかさず握りしめてくるラブラドール。まるで離れまいとするように。
「本当に、どうしたのですか、ラブ」
単に甘えているだけではないだろう。
理由を聞かないと分からないと言うと、なんでもないんだと返ってくる。それなら何故そんなに悲しそうなのかと問うと、返ってくるのは無言。
だが理由も検討がつかない訳じゃない。彼にしか知りえないもの。未来の現象、それによる不安や悲しみ。
同じゴーストなのにこれほどまでに違うのかと毎回痛感するほどに。さまざまな不安を抱え込んで、悩んで、悩んで、きっと誰にも相談できずにここにいる。
「ラブ」
「…分からなくていい、ただ繋いでいてくれるだけで、」
「繋いでいるじゃないですか、ずっと」
見せ付けるように、乳白色のお湯から繋いでいるラブラドールの手の平ごと引き上げた。
水面で踊るバラには目もくれず、つややかに水滴を落とす手の平に忠誠を捧げるようなキスを落とす。
ラブラドールは「…そうだね」と小さく笑い、ちゃぷん、と体をへその辺りまで浮かせると再びラブラドールの柔らかいくちびるが重なった。
軽くふれた後、遠慮がちに離れようとしたくちびるを今度は逃がさまいとついた滴を舐めとって、緩く開いたくちびるの中へと舌を忍ばせた。
びくりと小さく跳ねる身体がかわいくて。不安に揺れているときのあなたは積極的で微笑ましいですね、なんて、こんなあなたを見て思うのは不謹慎だろうか。
「いいですよ。今日は存分に甘えて下さい」
もちろん手は繋いだままで。あなたの気分が晴れるまで。
ここは私たちしかいない密室。乳白色に隠されて室内は控えめに落とした明かり。水面にはバラの花。
その中で不安定な笑みをみせるあなたを他の何かに例えるとするならば、ああ、そう。まるで危なっかしく水面をひらひらと瞬く、小さな蝶に似ているのだろう。
20100513
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