第5話・灰色の内情








「ジャック、もしかして今日は朝食を抜いてきたのかな?」
「朝食?」
「虹彩の彩度から君は若干血中の糖度が低下しているように見受けられた」

アレクさんはテキパキと各所の機器を操作しながら俺に小さな包みをよこした。すぐさまコーヒーサーバーが起動しノイズを発する。少しの間アレクさんの姿が設備の影に消えた。
設備、というにも並大抵の規模ではないように思える。メンテナンス・ルームと銘打ったこの部屋には数多の投影ディスプレイ、サイボーグの全身整備に用いる水槽がずらりと立ち並び、計測機器を伴うマニピュレータが整然とそびえる様は路頭の並木道を思わせる。設備全体のクオリティはシティの中央病院に引けを取らない程に充実していた。

「両手の違和感はどんな感じ?」
「感じ…?」
「感覚に頼ったアバウトな表現を教えてくれれば助かる」

棒立ちになった俺を気にする風もなく、アレクさんは機器の群れをレーンに沿って配置していく。彼が手をかざして直接接続・起動までを操作されたマニピュレータがスイスイと場所を空け、簡易的な言語を解する自律型のコンソールはアレクさんの口から指示を求めてスピーカを震わせた。
サーティーンコードは流石伊達ではないらしいと俺は溜飲を下げ、今朝朝食代りに引っかけたコップ1杯の水道水を思い起こす。

名が体を表して久しいサーティーンコードのロボットシリーズ。その製造ラインは緩やかに稼働を続け、もう70年あまりになると聞いている。アレクさん、もといアレクセイエフ氏のIDコードも確かに13ケタで下4ケタは相当初期の型である事を示していたし、サーティーンコード・プロジェクトが掲げていた「多くの学習に時間と経験を投資し、より厚みと深度の高い精緻な人工知能を構築する」というテーマは確かにこの男の中で長い間生きていたように見受けられた。
現にアレクセイエフ氏の一挙一動は人間のそれと変わりなく、それこそ生きているといっても過言ではない。確か数十年前にサーティーン・プロジェクトそのものはとん挫しそうになったとも聞いたが、その際稼働していた機種はほぼ行政から研究所へと委託され、相応の月日を賭けたのち安定した稼働ラインを再構築。帝国で活躍する人工知能のほぼ全体を礎として支えるまでにこぎつけたというから彼の中では様々な従事者の意思が確かに「生かされている」のである。
だが、不意に、彼の事をつぶさに観察しながらも俺は「自分がこんなにまで一個体のAIに肩入れする心情だったか」と不思議に思った。何となくだが。俺はアレクさんの瞳の内に潜む光を思い描き、そっと、戦地から帰還して初めて息を吐く事ができたような気がした。肺の底から息を吐き、戦場でたらふく吸い込んだ硝煙を新鮮な空気と入れ替えたような心持だった。
造られた人格に対してそんな愛着に似たような情はナンセンス、と指されたらそこまでかもしれない。でもあの目には事実しか映らないし、その奥で稼働する知能は見たままの現実しか処理、解析する事はない。

アレクさんのようなサーティーン・コードだったかはいざ知らず、かの戦地で稼働し戦うAIに肩入れし、時に見当違いな想い入れに走った同僚達の気持ちが今多少なりとも理解できた、ような気がした。戦友というには少々心に留まる物を感じなかったので「同僚」で十分と言える程度の仲だったが。
それも良いのかもしれない。悪意にどこまでも疎い「機械」というのは良いのかもしれない。



あの男の冷気で機能をやられた利き手でぎこちなく包みを開封する。ジョイントは遠慮なく軋んで不備を訴えていたが、軍用のボディをそのまま引き継いだとあって耐久性は嫌味なくらいお墨付きだった。
お墨付きのはずだったが。あの男が発した冷気は例え南極で戦局を迎えようとも出会うか怪しいほどの低温だったようである。フリーズドライのキノコでも鷲掴みにしたようなあの男の触感が思い出され俺は顔をしかめたが、包みから零れ落ちたキューブ状の個包装を見てそれも薄らいだ。
ガムシロップだ。包みの中では甘くて糖分たっぷりのガムシロップがひしめいていた。
思わずアレクさんを確認すると、アレクさんはサイボーグのジョイントを整備するコテをセットする為かかりきりの様子だった。無論そばにはコーヒー・サーバーも訳知り顔で待機している。だがしかしここは…

改めてアレクさんを振り向いてみれば、彼は手を止めて俺をまじまじと凝視しているところだった。俺がガムシロをコーヒーには入れず直接口に流し込んだからだ。

「…それは、最近の若い人間の流行り、というものかな」
「そうかもしれません。巷では若者が喉を酒でやられた時によくやりますよ」
「でも君は、」
「戦地では慢性的に水が不足していましたから嗜む程度に飲んでました、嗜む程度にね」
「……今は酒気を帯びていないようだ、安心したよ」

実際俺自身は戦地であっても缶ビールの世話になっていた程度で、ガムシロの恩恵を実感した事はない、のだけども。
アレクさんはここに来て何度目かの困り笑いを浮かべて機器の整理に戻った。その言動に俺の事をそしるようなニュアンスよりも軽い茶化しを匂わせてしまうあたり、機械ならではの世間知らずっぷりよりもより経験豊かな人間の振る舞いを思わせる。本当に良くできた人だ。実際は人ではない筈なのだがまさに「良い人」だ。

「ところで、アレクさん」
「ん?」
「所長からメールが届きました」
「何だって?まさかまた何かあったのか?所長が医務室から退出したログは届いていないようだが」
「…『この所内で起きた事案は口外厳禁。ターナー氏のデリケート過ぎるボディに関しては諸々の維持費用をこちらで賄う旨』だそうです」
「そういう事か、では折角だから肝臓も交換しておこうか、ジャック」


アレクさんは先程とは打って変わったしたり顔で、得体のしれない液体で満たされた水槽をぺたぺた叩いて見せた。
してやられたようで思わず苦笑いが漏れる。よく考えてみればこの人は俺の生きた年数よりも長く稼働してきたのだし、機械にも年の功が適用される時代が来たのかもしれない。



そんな彼の事だったからこそ、話は早かったと言える。

「…所長室に現れた男」

アレクさんはぽつりと、俺が久方ぶりにため息を吐いたその時を見計らったのかさり気なく切り出した。そんなにも疲弊していたつもりはなかったが、警備の職務基準に「保護対象のケア」も含まれるならこの気遣いも間違った対応ではない。現に俺の両手は綺麗さっぱりスキンまで新調され、元の軽快な動作を取り戻していた。
合図の代わりとアレクさんの前で腕の関節を動かして見せると、アレクさんは少しばかり笑顔を取り戻した。

「今回に限っては何かしら君に用があって侵入したと見て良いだろう。君の名前をよく知ってたし、あんなにも大げさな挙動を見せる事態は前例になかったからね。このまま君を元いた住居に帰してまた急襲にあっては事だから、このまま『箱』研究チームの住む区画に向かう方が得策かもしれない」
「前例、というと本当にあんな男がこの研究所に何度も押し入っているんですか」

アレクさんは苦々しく視線を背けた。

「所長室に押し入っては去っていく。その度に研究所所長と何かしらの交渉を行っているらしいが、あの男の要求に動向がそぐわない場合はああして「悪戯」を遺していくんだ。ここ数年その頻度が増えたせいで何人も所長が辞任していった」

それは、あんな悪い夢のような惨事を毎回目の当たりにしていてはどんなにタフな人間でも所長室で1人仕事をするのは不可能だろう。ダンクル所長のような粗野な男ですらあのように取り乱すのだから、あの白衣の男の前科が思いやられる。

「テロリスト…ですか?」
「それに近いだろう。何か情報や金品のやり取りを要求した事は今まで無かったと聞いているが、やっている事は恐らく同じだ」
「何も?ゆすったり強奪したりという事もなかったんですか?では何の為に、いや、どこからあんな男が」

アレクさんの肩越しに配置されたモニターに俺の顔が映り込んでいる。その顔がどんどん曇っていくのが見て取れた。

「それは言えない。出所の目星はついているが確証を得ていないし、下手に動けばこちらも無事では済まないだろうからね」
「…今まで犠牲者は出なかったんですか」
「脳に不正アクセスを被った人間がいるとは聞いているが、私とて一連の全貌については殆ど知らされていないんだ。不用意に危険に晒された君にこそ知る権利がある筈だけど、これ以上は私の憶測が混ざるし迂闊に話す事はできない」

アレクさんの顔もどんどんと苦しげに陰る。何というか俺と目を合わせるのを躊躇っているかのようで、優しそうな風貌にこれ以上事の事態を言及するのは酷に思えてならなかった。

確証を得ているのに迂闊に手出しできない相手。というとあの男の背後には余程強大な権力が控えていると受け取れる。奇術のような悪趣味な悪戯にしても、あの緑の血にしても、そのバックボーンが旧時代の技術を転用・実用化して悪用した結果なのだろう。

「とにかく君の安全が確保されてからでも全てを知るには遅くない。上層部もそのように判断して警護を私に任せた、そう指示を受けているんだ。同行してくれるね?」
「それは…この事は行政に伝えてあるんですか?」
「それもやはり、『箱』研究チームと合流してから聞かされる事になるだろうね」

サーティーンコードの精巧な相貌はいよいよ苦渋を滲ませ、見ていてこちらまで苦しくなるほどである。この人ほど事態の理不尽さを肌で感じてきた人、いや、ロボットはいない筈なのに。俺は矢継ぎ早な質問を今更に後悔した。
しかし事実、どんなに口をつぐんだとしてこの研究所を取り巻く空気が俺の思考を動かして止まなかった。あんな賑やかかつ華やかなシティと研究所は目と鼻の先だ。そんな場所でこんな異常事態が何度となく起きていたとあっては耳を疑わずにはいられないし、その実、暴力的なまでに強烈な体験に浸った後とあっては目を疑う猶予はない。
この日、現実にロストテクノロジーが牙を剥いたのだ。そう考えねば混乱をきたした俺の心情に示しがつかない。
俺の逡巡に気が付いているのかいないのか、アレクさんはまたあの若干硬い微笑を整えて俺に向き直ってみせた。

「君の事は全力で守る。それだけは約束し…」

そこで、はたと。アレクさんは皆を言うか否かのところで口をぐっと引き結んでしまう。
どうした事だろうか。という以前に嫌な空気が俺の鼻にも届き、否応なしに身が硬くなる。

整備したての両腕は快調だ。このコンディションで事足りるだろうか。

アレクさんを改めて視認すると、先程の陰りをそのままにその表情は瞬く間に険しく歪み、モス・グリーンの瞳の最中で虹彩が収縮しているのが見て取れた。またしてもこれは思わしくない。
アレクさんの変調に伴ったかのように室内は耳障りなノイズで満たされた。

「この部屋の機械は全てオフラインの筈なんだがね」
「…来たんですね」
「伏せて」

アレクさんはある壁面を、正確に言えば壁面を占めるモニターから目を離さず俺の肩に手を据えた。
またしても丸腰で対峙する事になってしまったようだ。だが俺とて軍人の端くれとして我が身を守り、妹に生きて会いに行くと心に決めたところだ。全て死守するのみ。ついでに張り倒して帰りたい、あの男を。


あの男。モニターからにょっきりと生えてにやつくあの男を。
白衣に喪服姿のあの男をボコボコにしてやりたい衝動はいや増すばかりである。


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