小説(HQ)

しとしとと降り注ぐ雨の音と、カタカタと音を立てながらゆっくり回る扇風機の音で目が覚めた。少し動いただけで身体が軋み、起き上がることを諦めかけたが、喉の渇きが許さない。
なんとか立ち上がり、ふらふらと台所を目指してコップで水を一杯。喉がゴクリと鳴るたびに、葉脈のように水分が身体中に行き渡るのを感じる。
あぁ、最悪の気分だ。メイクはドロドロに溶けて、お風呂も入っていないから全身ベタベタ。さらに追い打ちをかけるのはこの湿気。いつの間に降り出したんだろう、シトシトと降り続く雨は、しばらく止みそうにない。
天気予報でも見ようかとテレビをつければ、どうやら終わってしまったようだ。コップ片手に星座占いコーナーをボーッと眺めれば、今日の最下位は私の星座だった。
「いまの気分にピッタリね」
間違いなく、運気が落ちている。良いことが続く時もあれば、悪いことが続くときもある。落ちるだけ落ちて、いつか必ず底に辿り着く、分かっていても最悪な気分から抜け出せない。
「はぁ・・・・・・。とりあえずお風呂入ろう」
今日はどこにも行かない、湯船を溜めてゆっくり浸かって。なにもしない、なにも考えない、そんな一日を過ごそう。イヤホンつけて好きな音楽聴いて。気持ちを落ち着けよう。
玄関の手前にある浴室へ向かうと、タイミングよくインターホンが鳴った。この前ネットで注文した服が届いたかな。こんなボロボロの状態で人前に出るのはどうかと思うけど、再配達してもらうのも申し訳ない。
「はい」
印鑑片手に玄関を開けて、扉の向こう側に立つ相手と目が合い、互いに固まる。
「あれ、女の子が住んでる」
てっきり宅配便だと思い込んでいた相手は、私とは正反対の綺麗なお姉さんだった。途端にボロボロの格好を思い出し、ドアを少しだけ閉めた。
「ごめんね、間違えちゃったみたい」
「・・・・・・いえ、大丈夫です」
「こっちだった」
笑った顔もとても綺麗で、女の私から見ても魅力的な人だった。きっと上か下の階と間違えたんだろう、そんなことを考えながらドアを閉めようとした手が、すぐ近くで聞こえたインターホンの音によって止まる。
「鉄朗?いるんでしょ」
バラバラに散らばっていたパズルのピースが、途端に形を成していく。
「木兎から連絡がきたの。リモコン返せってしつこいから持ってきたんだけど」
生きた心地がしないまま、悪いと思いつつも盗み聞きをやめられない。無音の家主に痺れを切らしたのか、立て続けに押されるインターホンの音が耳を襲う。思わず耳を塞ぎ、目を閉じれば涙がぼろぼろと地面を濡らす。
「・・・・・・しょうがないなぁ」
ようやく止んだ音にホッと息をつく間もなく、今度は我が家のインターホンが鳴り響いた。どうして?私に何の用事?もしかして、私が黒尾さんと関係を持っていることに気づいて・・・・・・
「ねぇ、悪いんだけど。これ、鉄朗に渡しといてもらえない?」
玄関を開ける勇気なんてなくて、しゃがみこんでひたすら頷くことしかできない。向こう側から私の姿は見えていないはずなのに、なにもかも知られているようで怖くてたまらない。
「ここに置いとくからね」
少しだけ下がったドアノブは、向こう側に荷物が掛けられたからだろう。カツカツと遠ざかっていくヒールの音に、暴れていた心臓が少しずつ元のペースを取り戻す。
綺麗な人だった、けどすごく怖かった。短く息を吐きながらなんとか呼吸を落ち着け、額にかいた汗を拭う。大きく息を吐いて深呼吸をし、そろりと玄関を開けて誰もいないことを確認する。
ドアノブを下げたことで、得体の知れない客人が残していった紙袋が地面に落下した。慌てて拾い上げ、再び周囲を確認して素早く部屋へ引っ込んだ。バクバクと鼓動を早める心臓を服の上からさすり、念の為にチェーンをかけた。





* * *





返す、返さない。返す、返さない・・・・・・。
花占いのように選択肢を千切っては捨て、その先を想像してまた千切ってを繰り返し、時間だけが過ぎていった。毎日のように取り合っていた連絡は途絶え、必然的にベランダでの逢瀬もなくなった。
悩みに悩んで捻り出したいくつかの案。
全ての元凶である木兎さんに連絡し、素知らぬ顔で紙袋ごと渡す。なに?なんで俺に?どうしてナマエが持ってるの?きっと、頭の上にたくさんのクエスチョンマークが浮かぶだろうが、あの性格だ。適当に誤魔化せばまぁいいか、で済ませてくれるだろう。
もしくは・・・・・・。
不在着信がいくつも並ぶトーク画面を開くも、いまさらどの面下げて連絡するのとうなだれる。扇風機のお礼もできぬまま、心配ばかりかけて一週間以上ほったらかし。我ながら最低だ。
「ドアノブにかけて返す・・・・・・かなぁ」
黒尾さんもどうやって私にハンカチを返すか、こうやって悩んだのかな。思い返せば、あの出来事がなければ引っ越しの挨拶は諦めていた。バッタリ玄関先で顔を合わせて、こんなイケメンが住んでたなんて!と弛む表情筋を強張らせながら、軽く頭下げて終わる関係だったのに。どうしてここまで拗れてしまったんだろう。
大きく吸い込んだ息を吐いてベッドになだれ込み、まぶたを閉じればふわふわ夢心地。口角を緩く上げた黒尾さんに誘われ、おぼつかない足でふらふらと後をついて行く。あぁ、このまま逃げてしまいたい。楽な方へ流されてしまいたい。白黒ハッキリさせる必要なんてない、灰色の世界で生きていたい。
なのに頬を伝う熱い涙のせいで、なかなか意識が沈まない。いますぐに隣の部屋のインターホンを鳴らして、紙袋ごと突き返して、何事かと驚く黒尾さんの唇を奪ってしまいたい。私だけって信じさせてくださいだなんて、めんどくさいことを言ってみたい。
「どうしたらいいの・・・・・・」
一人ぼっちの部屋で返事が返ってくるはずもなく。孤独な独り言は降り続く雨の音に掻き消された。

つめたい泣き声に蓋をして

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