小説(HQ)

照りつける灼熱の太陽に、広いビーチ。ここはブラジルのリオデジャネイロ。ビーチバレーの修行で訪れたこの異国の地で、生活するためにバイトは必須。ところが今日は厄日なのか、次から次へと襲いかかるアクシデント。辟易した心と身体、襲いかかる孤独感から逃れるために訪れた、フラメンゴ公園。そこでまさかの再会を果たした大王様を連れて訪れた、美味しくてヘルシーで安い店での話。
「及川さん、この人知ってますか?」
なんの気なしにふった話題だった。料理に苦戦するのは覚悟していたが、ここは地球の反対側。文化も異なれば当然、手に入る食材だって異なる。
「こっちに来て食文化の違いにまだ慣れなくて。安くで売ってる野菜っぽいやつも、どうやって調理すればいいのか分かんなかったんですよ」
アルバイトをして稼げる金額なんて知れていて、節約のために自炊は必須だった。栄養面にも気をつけたいし、味はおいしい方がいい。やるべきことも、食べるべきものも分かっている。ただ、調理方法だけが問題だった。
ネットでレシピを検索しているうちに彼女の動画を見つけたのは、ここ最近。単身でブラジルへやってきて二ヶ月、言葉や文化の壁にぶち当たったのはもちろん。同部屋のペドロには挨拶さえ無視される日々。誰にも頼ることができないヒリヒリとした日常で、思わぬ出会いだった。
「この人、日本で動画撮影してるんですよ。でも使ってる食材は南米産で、日本人好みの味付けとかすげー研究してて」
手に入りにくい食材はインターネットを利用したり、輸入品を扱う店で食材を購入していると話していた彼女。少しずつ興味が湧いて、最近の動画から遡って過去の動画を見れば、俺が学生の頃から投稿されていた。
彼女の最初の動画は、卵焼きだった。カメラワークはおろか、編集もお世辞にも上手いとは言えなくて、ひどい有様だった。
「俺、こっちに来てこの人見つけたんですけど。正直、すごい助かりました」
カメラの位置を気にしては、フライパンから湯気が上がって。気づいて慌てて火を止めようとしたら火傷して。彼女が投稿を始めてからの一年間はツッコミ所満載、見ていてハラハラする動画ばかり。
「・・・・・・そうなんだ。僕は知らない、その人」
「及川さんも時間あるとき見てくださいよ!URL送っときますね、特に最初の頃に上げてる動画がおもしろくて」
失敗ばかりなのに、編集で切り取ったりせずにありのままの姿を見せる人だ。そして動画の終わりは必ず笑顔で、また観てねと少し悲しそうに手を振る。遠く離れた場所に住む家族に向けて投稿している、私は元気にやっていると、伝えたいんじゃないか。及川さんの表情を見るまで、俺はそう思っていた。





* * *





リオで及川さんと偶然の再会を果たしてから、早くも五年の時が経過していた。ついに開幕した、東京オリンピック。試合前のワクワクドキドキは、いくつ歳を重ねても変わらない。
今日の対戦相手は強豪アルゼンチン。そして当然、あの人もここへ来ている。高まる鼓動に早鐘を打つ心臓を誤魔化すようにトイレへ向かうと、既視感のある女性が佇んでいる。
「・・・・・・あの、なにか?」
「えっ、やべ、すみません!」
しまった、マジマジと見過ぎた。気まずそうに声をかけてきた彼女は、やっぱりどこかで会った気がする。それも一度や二度ではなく、何度も見た記憶がある。
「ごめん、お待たせ」
「そうだ、YouTubeのお姉さん!」
男子トイレから出てきた、五年ぶりに会う及川さんの姿に散り散りになった記憶が繋がる。
冷静な及川さんとは対照的に、えっ、えっ!?と軽くパニックを起こしているお姉さん。たしか名前は・・・・・・
「ナマエ、こちら日本代表の日向翔陽選手」
「ちょっ、待って「日向翔陽です」
赤くなったり青くなったり、忙しく顔色を変えながらも震える右手を差し出してくれたから握手をする。そんなナマエさんを見つめる及川さんの視線は、五年前にリオで再会したときと変わっていなくて。
「あの、すみませんでした。いろいろとビックリしちゃって。・・・・・・ミョウジ、ナマエです。私も青葉城西出身なので、日向選手のことは高校の時から知ってます。でも私のことを、どうして・・・?」
「ちょっと、なんでわざわざ旧姓名乗るの。もう及川でしょ」
「ちょっ、わざわざ言わなくてもいいでしょ!まだみんなにも話してないのに」
「実はプロポーズした日に、ラインでみんなに報告しちゃった」
「は、はぁ!?」
ごめん、とペロッと舌を出す及川さんに、本気で怒っているようにみえるナマエさん。YouTubeのことはもういいのかな。なぜ自分の動画を俺が知っているのか、引っかかったのだろう。素人の料理動画なんて巷に溢れかえっている上に、再生数も少ないしコメントだって毎回同じ人が・・・・・・
「まさか、毎回コメントしてたあのアカウントって」
「国籍の問題とか、今の仕事のこととか、考えないといけないことたくさんあるって話したのに!」
「即答で結婚するって返事したでしょ」
「そ、それはそうだけど!」
もはやこの場で自分は空気以外の何者でもないと悟り、そっと場を離れた。数年前からパッタリ更新されなくなった動画に、正直少しだけ寂しさを感じていた。なにか事情があるのだろうと忘れかけていたが、動画の中で寂しそうに笑う彼女が今は幸せそうでよかった。
「ショーヨー」
「!」
「俺は全員倒すよ」
「俺も負けないです」
自信満々に口角を上げて微笑む及川さんの隣で、あの日の及川さんと同じ、愛おしい相手を見る優しい表情をしたナマエさんを心の中で祝福する。

ふたりが永遠になったと知った日

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