小説(HQ)

「あかーし!いねぇのか?」
体育館に響き渡る、木兎さんの大きな声。練習の終わったコートには、自主練用に残されたネットが一組だけ。他の部員たちはそそくさと部室へ避難し、残っているのは木兎さんとマネージャーのナマエさんだけ。
「赤葦なら、監督に呼ばれて出て行ったよ」
「んだよ、せっかくトス上げてもらおうと思ったのに」
「もう少し待ってれば帰ってくるよ」
ナマエさんはマネージャーの中で唯一、最後まで残る。家が近いから大丈夫だと、遅くまで自主練に付き合い、ボール出しをしてくれるのだ。
「ナマエ、ボールあげて」
「それは無理って、いつも言うでしょ?バレー初心者に無茶な要求しないで」
「だって赤葦、帰ってこねぇじゃん!」
「赤葦いないと何もできないの?もぉ・・・」
呆れたようにため息をつきつつも、コートの反対側へ向かうナマエさん。途中、手にしたのは空のペットボトル。休憩時間に遊びでサーブ狙い打ちをした時に使ったものだ。
「赤葦が帰ってくるまで、私と遊ぼ?」
ボール片手にぶんぶん腕を回し、気合い充分な彼女。俺は知っている、順番待ちをしている木葉さんに「私もやってみたい」とこっそり耳打ちしていたことを。残念ながら彼女の順番がくる前に練習が再開してしまったのだが。
「・・・ナマエ。やるならもちろん」
「分かってる。罰ゲームあり、でしょ?」
「フンッ。分かってるならいい、俺は手抜きしないからな!」
「望むところよ!」
普段、走っている姿から見ても運動音痴な彼女は、どこからあの自信が湧いてくるのか。心配になっていよいよ声を掛けようかと迷ったが、下手に口を挟んで木兎さんの機嫌を損ねるのも面倒だ。
「はい、木兎が引いて」
同じくマネージャーである雀田さんと白福さんが作った、罰ゲームクジ。ランニング五周から逆立ち歩き、モノマネなど多岐にわたるネタくじに、誰もがビリを回避しようと遊び顔負けの本気勝負となったのだ。
「ほい」
「どれどれ・・・、って、こちょこちょ!?これはダメでしょ!」
「なんでダメなんだよ」
「だっ、だって、木兎が私にこちょこちょするって、考えただけでもダメでしょ!?」
「そうか?要は負けなきゃいいだけだろ!」
「いたっ!」
木兎さんは相手が女の子だと認識しているのだろうか。体育館入り口まで聞こえるほどの、大きな音を立てて叩かれたナマエさんの背中は、見ていて痛々しい。再び止めるべきか葛藤するが、ナマエさんの奮闘ぶりを見るのも悪くない。
「いや、私が木兎にこちょこちょするのもアウトな気が・・・」
「始めるぞ!」
「待って!手を抜かないのはいいけど、ハンデはもらうから。木兎は五回当てたら勝ち、私は一回でも当てたら勝ち!」
「いいぞ!負ける気がしねぇ!」
テンション高めの木兎さんと、小さな手に余るボールをバウンドさせては、遠くに転がってしまって慌てて追いかけるナマエさん。絶対に木兎さんの圧勝だろう、そう思ったのに。

「へいへいへーい!四回連続だぜ!」
「まだ負けてないもん!」
「惜しいとこまで飛んでるんだ、もっと腕をこう・・・」
「は、はなしてっ!自分でやるから!」
空振りこそしなかったものの、ネットをようやく超える程度のサーブでは、到底エンドライン際に置かれたペットボトルには届かなくて。見かねた木兎さんは親切心から指導をと思っているのだろうが、後ろから抱きしめるようにナマエさんの腰と腕を掴み、サーブの素振りをさせる姿は見ていてハラハラする。
「目線は相手コート、打ちたい場所、立ってる相手の腕の位置を意識するんだ」
「どうしよう、レシーブ構える赤葦の幻覚が見える」
「いいぞ!ファーストタッチは赤葦、これでアイツはトスが上げられない!」
いつの間にか幻覚を見始めている彼らは、俺を待っていたことなど、とうに忘れているのだろう。最初は近すぎる距離に恥ずかしがっていたナマエさんも、真剣な目をしている。そしてそんな二人を見守る俺も、ビッグサーバーを迎え打つレシーバーの気分になっていた。
「えぃっ!」
今まで打ってきたサーブの中で、一番いい音がした。大きく弾かれて飛んだボールは軽々とネットを超え、スローモーションのようにペットボトルに当たって弾き飛ばした。
「やっ、やったー!当たったよ!」
「うぉー!すげぇな!ナマエ!」
「嬉しい!できた!」
まるで接戦を制した後のように、ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶナマエさん。木兎さんも雄叫びを上げながら大きく腕を広げ、ナマエさんを抱きしめている。ただ見ていただけなのに、じんわりと胸の奥が熱くなるのを感じながら、そろそろ出ていこうかと踏み出した足を、ナマエさんの一言が止める。

「ということは、木兎、罰ゲーム!」
「・・・・・・ヤダ」
「むくれたってダメ!それっ!」
「だっ、やめっ!くすぐったいだろっ!」
「あははっ!」
抱きしめていたことで脇はガラ空き、小さな手が器用に動き、木兎さんの脇を攻撃する。目尻に涙を浮かべて笑う木兎さんに気をよくしたのか、楽しそうに脇腹までくすぐるナマエさん。
なんとも微笑ましい光景だった。笑いの限界に達した木兎さんが、床に腰を下ろすまでは。
「キャッ!」
「おっと!」
「びっくりした!急に座らないでよ!」
くすぐることに夢中になっていたナマエさんは簡単にバランスを崩し、木兎さんに覆い被さるように倒れた。そして見間違いでなければ、一瞬木兎さんの顔に胸が当たったはず。
「なぁ、ナマエ」
「なに?重たいから早く退いてって?」
「勃った」
「・・・?」
曇りなき眼で、決して女性に対して言ってはいけない発言をする木兎さん。対して、イマイチ意味を理解できず、キョトンと首を傾げるナマエさん。あれだけ身体をくすぐられて、最後は胸にダイブしたのだ。同じ男として気持ちは分かるが、それ以上は言ってはならない。いい加減、木兎さんを止めなくては。
「勃っちまったんだよ、俺のち「・・・!最ッッ低!」
「しょうがねぇだろ!勃っちまったんだから!」
「しょっ、しょうがないって、なに開き直って・・・キャッ!」
ついに体育館の床にナマエさんを押し倒してしまった木兎さんを止めるべく、扉を開けて大きな声で「木兎さん!」と叫ぶが、二人の耳には届いていない。
「まっ、待って・・・まだ心の準備が「なにやってるんですか」
今にもくっつきそうだった二つの唇は、俺の足音に気づいたナマエさんが、木兎さんを突き飛ばしたことで離れた。これでもかと全力疾走したかいがあり、なんとか間に合った。

「おっ、赤葦!どこ行ってたんだよ、トス上げてくれ!」
「わっ、私!今日は、かっ、帰るね!お先に!」
「おいおい、ナマエが帰ったら誰がボール出すんだよ!」
「木兎さんはまずそれをどうにかしてください」
「おっ、それもそうだな」
何事もなかったかのように振る舞う木兎さんを体育館から追い出し、耳まで真っ赤に染めて目を合わせようとしないナマエさんに向き合う。
「い、いつから見てたの?」
「俺が監督に呼ばれてて、いないってとこからです」
「ッ・・・!最初っからいたなら、声かけてよ!」
「何度か声をかけようか悩みましたよ。でも、いい雰囲気だったので。邪魔しちゃ悪いと思って」
再び真っ赤に染まった顔でふるふると震えながら、睨みつけてくるが全く迫力がない。見ていてなにもしなかった俺を責めようにも、止めてほしくなかったのが彼女の本音なのだろう。
「木兎さんが戻る前に、帰った方がいいのでは?それと、木兎さんも男なので。気をつけた方がいいですよ」
分かってる、そう小さく呟いて走り去る彼女は、やっぱり足が遅くて。体育館出口で木兎さんとすれ違い、なにやら大きな声で言い合いをしていたが、見て見ぬふりをした。

もう制御は不可能だと思い知るとき

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