小説(HQ)

月額料金を支払えば、ここに表示されている映画ぜんぶ見放題なんて、すごい時代になったものだ。映画といえばDVDでレンタルするものだと思っていた私の価値観は、ずらりと並ぶタイトルを前に覆された。
「好きなの選んでいいよ」
「すごい・・・。なにから観るか迷っちゃいますね」
最新のタイトルから懐かしいタイトルまで、所狭しと並ぶサムネイルに、リモコンを操作する手が止まらない。キッチンで飲み物を準備している黒尾さんを意識しつつも、なにを見るか真剣に悩んでしまう。
DVDになったら観ようと思っていた恋愛映画、懐かしの青春ドラマ、限定のバラエティ番組も面白そう。忙しなく変わる画面は、透明のグラスを持って現れた黒尾さんにより静止した。
「どんだけ悩んでんの」
「気になるのが多くて・・・。ちゃんと決めます」
「ゆっくりでいいよ、時間は沢山あるんだし」
やけに色気を含んだ声色だった。言葉と共に隣へ腰を下ろすと、まるで恋人にするようにリモコンを持つ私の手に、黒尾さんの手が重なった。突然の出来事に心臓は暴れ出し、リモコンを落としてしまうかと思ったが、大きな手がそれを許さない。なんとか空気を変えようとお笑い系チャンネルへ画面を動かすが、長くて太い指が操作権を奪った。
「せっかく二人きりなんだし、もっとイイの観ようよ」
「・・・お任せします」
イイのってなんだろう。バラエティではないことだけは確かだ。サクサクと動くテレビの画面に、頭の中はぐるぐる思考でいっぱい。
触れ合った手から私の緊張が伝わってるんじゃないか、こんなに近くにいたら、うるさい心臓の音も丸聞こえなんじゃないか。もしかして、私が緊張してるの分かってる?分かった上で、私の反応を楽しんでるの?
「これとかどう?ちょっと古いんだけど。結構良かったよ」
心臓は鼓動を早め、黒尾さんどころか画面を見る余裕もない。ひたすら頷いて肯定の意を示せば、ようやく解放された手と再生を始めたテレビ。
あっ、これ知ってる。原作の少女漫画を昔読んだことがある。結末はうろ覚えだけど、男女間の友情と恋心に揺れる心を丁寧に描いた作品だった。女性向けの恋愛映画なのに、黒尾さんが観たことあるのは少し意外・・・。
「なに?」
「なっ、なんでもないです!これ、いただきます」
ついボーっと顔面をガン見してしまった。恥ずかしさと気まずさから逃げるように、シュワシュワと泡を立てるグラスに口をつけて驚く。
「・・・!これ、アルコール入ってます!?」
「少し、ね。炭酸多めで割ってるから飲みやすいデショ」
「はい、おいしい・・・って、そうじゃなくて!私、長居はしませんのでお酒はちょっと」
「ナマエちゃんが飲みやすいかなって思って買ったんだけど。悪いことしたね」
困ったように少し下がった眉に、胸の奥がズキッと痛む。強く言いすぎたかな、私のためにって・・・傷つけちゃったかな。
「いえ、私こそすみません・・・。でもほんとに長居する気はないんです」
「でも洗濯していくでしょ?これが終わる頃には俺のが終わるから」

なんだろう、この感覚。
「や、やっぱり洗剤だけお借りしてもいいですか?すぐに返しますので」
「夜中雨降る予報だけど。部屋干しで間に合う?」
例えるのなら、後ろに下がりたいのに見えない壁があって、わずかな隙間を探しても奥へ、奥へと追いやられていくような。
必死に言葉を探して返しても、間髪入れずに逃げ道を塞がれる。映画は序章、口につけたグラスもほんの少し、引き返すなら絶対に今しかない。「黒尾さんの洗濯が終わったら教えてください、部屋で待ちます」そう答えればいいだけ。分かっているのに、迷ってしまう自分がいる。
「明日、なにか予定あるの?」
うつむく私の表情を伺うように、屈められた大きな身体。すっぴんであることを思い出して、顔を逸らしてあまり見ないでほしいと声を絞り出したが、果たして彼の耳に届いただろうか。
画面の中では主人公が恋に落ちたばかり、ドキドキと高鳴る心臓は、久しぶりに観る恋愛映画のせいにしておこう。

かすれた声でうつむいて

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