小説(HQ)

ジリジリと肌を焦がす太陽、背中を伝う汗、命を燃やして鳴く蝉の声。時折吹く爽やかな風が、髪を揺らして心地いい。いつもなら蒸し風呂のような体育館で部活に励んでいる時間だが、今日は特別。水が抜かれた学校のプールには、上半身を惜しげもなく晒した稲荷崎バレー部員たちの姿。
「おーい、こっちにも水かけてや」
「いくでー」
「おわっ!俺にかけんなや!」
「アランくんが水かけて言うたやん」
「お前絶対わざとやろ!」
最初はTシャツを着ていた彼らが今は脱いでいる理由。手が滑ったとかアホみたいな理由をつけて、侑が水をかけているからだ。数本のデッキブラシに対して、ホースは一本のみ。誰もが狙ったそれは、じゃんけんで一人勝ちした侑の手へ。遊んでいるとしか思えない彼の行動も、矛先がこちらへ向くのが面倒でスルーし続けた。巻き込まれぬよう、こうして隅っこで一人、なかなか剥がれない緑と格闘しているのだ。

「さっきからなに遊んでるんや」
ほら、わざわざマネージャーである私が注意しなくても、北さんがいる。再び藻が生えたプールの底をデッキブラシで擦りながら、心の中で侑のことを笑う。
「ヤベッ!ちゃうんです、このホースちょい短くて、アランくんのおるとこまで届かんから「言い訳するんか?」すみませんでした」
北さんは更衣室の掃除を担当していたから、完全に油断していたのだろう。たじろぐ侑がおかしくって、バレないように一人笑いを堪える。
「ナマエ、ちょっとええ?」
「!」
突然呼ばれたことに驚き、慌てて振り返ると不機嫌そうな顔をした侑と、隣で手招きしている北さんと目が合う。なんとなくバツが悪くて、デッキブラシを引きずりながら二人の方へと歩く。ほぼ端から端、ぬるぬるとしたプールの底で滑らないよう、細心の注意を払いながらのろのろと歩き、ようやくたどり着いた。
「ナマエがホース、侑がブラシ。二人ともええな?」
「「・・・・・・はい」」
「ちゃんとやってるか、上から見とるからな」
渋々ホースを差し出す侑に、こちらも致し方なくデッキブラシを差し出す。正直、デッキブラシの方が良かった。力を込めてるふりして表面をなでてるだけで、ちゃんとやってます感が出せて楽だったのに。なんだかんだ巻き込まれたことを不服に思いつつ、ふと浮かんだ疑問をぶつける。
「北さん、更衣室の掃除は終わったんですか?」
「完璧だよ、めちゃくちゃ綺麗」
「スナくん・・・。ちゃんとサボらずに掃除した?」
北さんの背後に現れたスナくんの片手には、いつものスマホ。ちょろちょろと水が出たままのホースを持った私を、カシャカシャと撮影しているが、なにがおもしろいんだろう。
「俺をなんだと思ってるの」
「あたっ!」
脳天に落ちたチョップに、つむじのあたりがヒリヒリする。スナくんだって、私のように器用に手を抜いていたはず。くじ引きで北さんと二人、更衣室担当になったときの表情は相当笑えた。思い出し笑いを必死に堪えたつもりが、再び降ってきた手により頭はクラクラだ。

「おーい、こっちにも水くれー」
「はーい」
その場から逃げるようにホースを引きずってぬるぬるの底を歩く。私が言えたことじゃないが、早く磨いてピカピカにしてほしい。これではいつ滑って転んでもおかしくないじゃないか。
「あれ、ミョウジがホース係?」
「うん、侑が遊んでるのが北さんにバレた」
「なるほど」
力強くゴシゴシと磨く銀島くんの腕には、しっかりと筋肉がついていて。普段見ることのないみんなの割れた腹筋も、こうして近くで見るとイヤでも男だと意識してしまう。
「次、こっちも流してくれん?」
「うん」
彼が磨いたあとはツルツルしていて、歩きやすい。雑談をしながら後をついていき、磨いた側から水をかける。銀島くん専属のホース係として様になってきた頃。誰かに強く肩を掴まれたことに驚いて、危うく銀島くんに水をかけるところだった。

「わっ!ちょっ、急になに!」
「ホース一本しかないんや、もうちょい考えろや」
「あっ・・・、ごめん」
侑の言っているとこは、もっともだ。指摘された視野の狭さに、慌てて周囲を見渡せば、バケツに水を入れて運んでいる先輩たちの姿。ピリッとした空気の侑と、みんなへの申し訳なさで居た堪れなくて、逃げ場を探して再び視線を動かせば治と目が合った。こっちおいで、と小さく手招きをした彼に、ホースを持つ右手に力を込めて足早に歩き出す。この辺りはずっと銀島くんと磨きながら歩いてきた。少しくらい走っても大丈夫、そんな油断があったのがいけなかった。
「きゃっ!」
突如足の裏を襲った、ヌメっとしたイヤな感触。スローモーションのように視界に広がるプールの青が、空の青さに変わって、続いて訪れるであろう痛みに覚悟を決めて目を瞑った。
水が少しでも溜まっていればクッションになるが、生憎水は全部抜かれたまま、硬い底にお尻をぶつければ相当痛いだろう。とっくに覚悟は決めているのに、なかなか痛みは襲ってこない。
「あっぶな!お前は自分が抜けてるって自覚持てや!」
お尻が水に触れるスレスレの場所で、止まっている。背後から侑が受け止めてくれたおかげで、なんとか尻もちはつかずに済んだのだ。脇の下から回された太い腕、背中にピッタリと触れた侑の硬い腹筋、転んでしまったことによりそこら中から集まる視線。
「これだからお前は目が離せんのや、俺がおらんかったら今頃泣いとったやろ」
プールで走ったら危ないなんて、小学生でも分かっていることなのに。高校生にもなって転んでしまった恥ずかしさと、もう一つの理由で顔がどんどん熱を持つ。
「そんなにサムのとこ行きたかったん?俺と北さんのとこ来るときは産まれたての小鹿みたいにヨロヨロしとったくせに」
「も、もう分かったから。ちゃんと気をつけるから。早く離して」
「なんや、助けてもらっといてお礼も言わんの?」
「侑。さっきからミョウジの胸、触ってるで」
「・・・あ?」
銀島くんの指摘にようやく気づいたのか、確かめるようにモニュモニュと動いた両手に、何かがキレる音がした。バチンッと乾いた音に、頬に咲いた赤い紅葉。呆然としている侑と気まずそうに視線を泳がせる銀島くんをその場に残し、ホースを力強く引きずって治の方へと歩く。二度と転ばぬよう、しっかり足を地につけて、指先に力を込めながら。

「ええ音したな」
「いつまでも触ってるからよ」
「ええなー、俺もラッキースケベに遭遇したい」
楽しそうに笑う治をキッと睨みつけると、冗談やと頭をなでられる。日焼けとスナくんの攻撃でダメージを受けた頭部は、その優しい手つきで少し回復した気がした。
「ナマエはツムのこと、どう思ってるん?」
「どうって・・・」
いつもバカにしてくるし、意地悪もしてくる。大事に取っておいた調理実習のお菓子も取り上げられて食べられたし、ビブスの洗濯手伝ってくれたと思ったら、手がギリギリ届かない場所に洗剤を片付けられたり。この前は背中から氷を入れられたこともあったけ。
「超イヤなヤツ、人でなし」
「それは否定せん」
「でも・・・・・・。なにかあったら必ず助けてくれる」
さっきのこともそうだが、お弁当もお財布も忘れて絶望していた時に、購買部のパンを買いすぎたと押し付けてきたり、熱中症になりかけていたことを一番に気づいて、氷嚢を当ててくれたのも侑だった。
「だから、よく分かんない」
分け目と髪色が違うだけの片割れに、どうしてこんな話をしているんだろう。治はちゃんと上を着ているおかげで、変なドキドキには襲われない。それでもブラシを握る筋肉質な腕に、イヤでも思い出すのは侑の太い腕。
顔が火照るのは、この暑さのせいだ。誤魔化すように手でパタパタと顔を仰ぎながら、治が磨いた場所へと水をかける。シャッシャッと軽快なリズムで動くブラシ、波のように引いていく水。言葉を発さなくなった治に、こちらから話題をふる気にもなれなくて、綺麗になっていく様をボーっと眺める。
「あれ、水が止まっちゃった」
誰かが蛇口を捻ったのか、ホースの元を視線で辿るが、水道の側には誰もいない。不思議に思ってホースを振ってみたり、軽く引っ張ってみるが、うんともすんとも言わない。なにかゴミでも詰まっているのかと、ホースの口を見たのが最後。顔面に大量の水を勢いよく浴び、慌てて手放したが時すでに遅し。ポタポタと髪を伝う雫の先で、腹を抱えて笑う治。
「なに、が起きたの?」
転がったホースからは何事もなかったかのように水が出ていて、爆笑している治から事の顛末を聞き出すのは早々に諦めた。自ら犯人を探そうと振り返って潔く気づく。ニヤリとしてやったりな笑みを浮かべている侑の足元には、青いホース。侑がわざと踏んで水を止めて、私が口元を覗くのを待って足をどかしたのだ。当然水圧の上がったホースは勢いよく水を吹き出し、私は全身びしょ濡れ。

静かにしゃがんで水を吹き出し続けるホースを手に取ると、口元を強くつまむ。そのまま矛先を、ようやく落ち着いた治目掛けて向け、手を離す。再び勢いよく吹き出した水は治をビショビショに濡らし、今度は私が笑う番。ブラシを放り投げた治が追いかけてくるが、捕まるわけにはいかない。侑に仕返しをしなければならないからだ。待てよ、侑は私がビンタした仕返しをしてきたのか、じゃあこれは仕返しの仕返し?でも私も胸揉まれたし、そうなると・・・まあいいや。この際どうだっていい、逃げ足の速い侑になんとか追いついて、水をかけてやらないと気持ちが収まらない。
「ナマエ、ええか?人に水かけるときは全部つまむんやなくて、こうするんや」
簡単に追いつかれた治は、怒っているかと思いきや笑顔でホースのつまみ方を指導してくれる。なるほど、水が出ないようにするんじゃなくて、口先をつまむようにすれば
「あっ・・・」
ピューッと左右に勢いよく吹き出した水は、進行方向右側にいた北さんの頭にクリーンヒット。ゆっくりと振り返った北さんに、ホースは自然に地面へ落ちた。同時に襲われた寒気に、ただただ謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。
なにも言わずにプールサイドへと歩く北さんに、下げた頭が上げられない。私をけしかけた治は早々に居なくなっていて、追いかけていたはずの侑の姿も見当たらない。目の前に戻ってきた北さんに、説教を覚悟して目を瞑るが、背中にかけられたのは大きなジャージだった。
「えっ」
「下着、透けとる。俺のでよかったら着とき」
蝉の鳴く声がやけに大きく聞こえる気がする。一体いつから下着が透けていたのかなんて知りたくもなくて、羞恥心から自分を守るようにジャージを羽織ってチャックを一番上まで上げる。

ラッキースケベは、ほどほどに

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