小説(HQ)

茹だるような暑さの中、必死に鳴く蝉の声。誰もいない家庭科室の窓を開け、吹き込んだ生ぬるい風に思わず顔をしかめる。
今日も暑い。ジトッと背中を伝う汗に、誰もいないことをいいことに制服の裾をパタパタさせて風を送り込んだ。
「先輩」
「!」
春の勧誘を頑張らなかったこともあり、三年になった今でも私を先輩と呼ぶ後輩はいない。ただ一人、彼を除いて。
「今日もあっついな、溶けそうや」
「そうだね」
バレー部の宮治くん。放課後の部活に行く前や、休憩中に神出鬼没に現れる。彼がここへ立ち寄る理由は主に二つ。ただ雑談をしにきた、もしくは・・・。
「昨日、アイスクリーム作ったの」
「ほんま!?俺も食べたい!」
「うん、いいよ」
パァッと輝く笑顔に、不覚にも胸がキュンッとする。顔がいいのはもちろん、食べ物のことになると見えないはずの大きな耳と尻尾がそこにあるようで。ついつい試食と称して作ったお菓子を与えてしまうのだ。

「あっ、このあと部活でしょ?北くんに怒られない?」
「パパッと食べてくから、平気」
窓枠をいとも簡単に乗り越えて、家庭科室へ入ってきた治くん。慌ててキョロキョロと周囲を確認したが、先生の姿は見当たらない。
「ちゃんと入り口から入らないと。先生に見つかったら家庭科室貸してもらえなくなっちゃう」
「・・・!せやんな、ごめんごめん。先輩のお菓子食べられんのは俺も困る」
「分かればよろしい。座ってて、すぐに準備するね」
「おん!」
大人しくイスに腰掛けた治くんを確認してから、調理準備室の冷凍庫を開ける。白い煙が立ち込める中、重なる三色のタッパー。王道のバニラ、ピンクが可愛らしいストロベリー、マシュマロ入りチョコレート。
程よい固さに固まったそれらを、ディッシャーを使ってひとつひとつ、丁寧に器に盛り付ける。さらに、今日はこれで終わりじゃないのだ。事前に買っておいた、ウエハースとポッキーをアイスの後ろに飾りつける。仕上げにカラフルなチョコスプレーを振りかければ完成。

「お待たせ」
「おぉー!めっちゃ豪華やん!」
「でしょ?」
もしかしたら、治くんが来るかもしれない。そう思って見栄えを意識したのは内緒だ。盛り付けに時間を使った分、味見してないから一抹の不安は残るが、治くんはなんでも美味しく食べてくれるから大丈夫だろう。
「いただきます」
まるでご飯を食べる前のように、きちっと手を合わせる治くん。こういうところ、すごく好きだ。食べ物への感謝と愛を感じる。
「んっ!んまっ!」
「よかった」
「このチョコ、マシュマロ入っとる!バニラは濃厚やな。イチゴもうまいけど、俺はもう少し酸味がある方が好きや」
こだわったところに、ちゃんと気づいてくれる。褒めるだけじゃなくて、改善点もさりげなく教えてくれる。ただ食べにくるだけの存在なら、ここまで彼に惹かれることはなかった。
「いつもありがとう。材料の配分、見直してみるね」
最初は、北くんの代わりだった。お世辞でもない、素直に率直な意見をくれる彼に試食を頼むうちに、治くんと仲良くなって。学年も違うし、部活も違う。この時間以外ではほとんど接点もないし、治くんのこと、ほとんどなにも知らない。でも気づいたら、どうしようもなく治くんに惹かれる自分がいた。

「なぁ、先輩」
「なに?」
「目、つぶってほしいんやけど」
「・・・こう?」
全てのアイスを食べ切り、飾りのお菓子に手をつけていた治くん。言われるがままに目を閉じて、真っ暗な世界から解放されるのを待つが、なにを企んでいるのだろう。
「そのまま、ちょっとだけ口開けて」
「ん」
甘い香りと共に、なにかが口に入ってきた。舌先で感じるのはチョコレート味、たぶんポッキーだ。目を開けないよう再び釘を刺され、不審に思いつつもジッと時を待つ。
視覚を失った今、代わりに研ぎ澄まされる聴覚。サクッサクッと小気味良い音は、徐々に近づいている。口で軽くくわえているだけのポッキーは、さっきから小刻みに揺れている。あれ、これって。もしかしなくても、治くんが食べてるのは・・・
「ッ!?」
「目、開けたらダメやん」
「・・・えっ」
「ごちそうさん」
唇の端をペロッと舐め、何事もなかったかのように立ち去る治くん。窓枠から身を乗り出す背中に、ちゃんとドアから出入りするよう注意しないといけないのに。その場に取り残された私は、少しだけ残ったポッキーの端を口の中に押し込むことしかできなかった。

口の中に広がる、恋の味

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