小説(HQ)

良いことと悪いこと、どちらを先にやりたいか。
ロングホームルームの時間に放たれた担任からの一言に、’’悪いこと,,が何かを察した一部が、良いことを先にと囃し立てた。結果、月に一度の席替えが始まり、一気に騒つく教室。
座席がどこであっても、やることは変わらない。入り口側から順番に回されてきたクジを引き、板書係にメモを渡して新しい座席を確認する。中盤に引いたこともあり、空白になっているのは左隣のみ。誰がそこに座ろうと構わないし、大して興味もない。そんなことを思いつつも、視線は自然と窓際最高方へ。

『席替えだって立派なチャンスじゃん』
『うーん。正直、前回の席替えで運使い果たしたと思ってる』
『でもほら、黒板見てよ。ワンチャンあるよ』


机に突っ伏していたミョウジさんが、黒板を確認しようと顔を上げたことで、視線を元の位置へ戻す。
クラス内でも活発で目立つ方の女子と話す、ミョウジさん。大人しくて目立ちたがらない彼女とは正反対の友人だ。まあ、俺が知っているミョウジさんが彼女の全てだとは思ってはいないのだが。

「おっ、赤葦ー!わたし隣だよ」
クラスのそこら中から黄色い声や悲観の声が上がる中、後ろからかけられた声に再び振り返る。笑顔でこちらに向かって手を振る彼女と、再び机に突っ伏しているミョウジさん。よほど外れくじを引いたのだろう、簡単に返事を返して使い果たした運の先を確認して納得する。
窓際最後方から最前列教卓前。なるほど、まるで天国から地獄だ。プリントを後ろ渡す時や、黒板から席へ戻る時にそれとなくミョウジさんを観察してきたが、教科書を逆さまに立てては隠れて居眠りをしていた。大人しくて目立つことが嫌い、真面目そうに見えて意外と不真面目。さすがに教卓前では居眠りもできないだろう。
移動を急かす担任に、ガタガタと音を立てながら新しい席への移動が始まる。まとめておいた荷物を持って、そこまで離れていない席へと移動を済ませ、改めて新しい座席周辺を確認する。左隣はミョウジさんの友人、後ろはクラスイチの活発な男子。早速、その二人がコソコソとなにかを話しているのを目撃し、先が思いやられる。

「せんせーい。俺、目が悪いんで、ここからじゃ黒板が見えずらいんスけど」
おちゃらけた態度で立ち上がり、手をあげて申告する姿はさながら小学生男子。面倒そうに、しかし致し方ない理由にしょうがなく席を変わる人間を探そうとする担任の前に、まっすぐピンッと伸びた細い腕。
「はいっ・・・!」
驚いたのは俺だけではなかったのだろう。
一瞬で静まり返った教室内にミョウジさんの、細く綺麗な声が響いた。大抵、こういう時には誰が代わるかでクラスが再びざわついて、後方に座っているヤツがわざと手を上げて長引くものだ。そんなお決まりのグタグタもなく、あっさりと決まった席の入替。
顔を真っ赤に染めて俯きながら、集まる視線から逃げるようにこちらへ歩いてくるミョウジさん。自分を守るように荷物を抱き抱える姿はあまりにもか弱く小さく見えて、気づけば自ら声をかけていた。

「よろしく、ミョウジさん」
「・・・ッ!は、はいっ!」
これといった会話もしたことのない俺が、突然声をかけたのだ。よほど驚いたのだろう、ビクッと跳ねた肩に少し申し訳なく思う。いつもただ何気なく、視界の隅に映る程度だったミョウジさんが、すぐ後ろの席にいる。その事実になぜか胸の奥がむず痒くなって、前からまわってきたテスト時間割プリントを渡すついでに、振り返ってその感情を確かめようと試みる。
「はい」
「あ、ありがとう!」
素直に可愛いと思った。
くりくりとした大きなアーモンドアイ、薄紅に染まった頬、上擦った声。
相変わらず胸の奥がうずいたまま、理由は分からない。これから約一ヶ月間は前後席なのだ、焦らずゆっくりこの気持ちの正体は突き止めればいい。
この時はそう思っていた。




* * *





迎えたテスト初日の朝。
テスト期間中は朝練禁止で体育館が使えなくなるが、身体を動かさないのはどうも慣れず、木兎さんと外周してから教室へ上がった。
まだ時間に余裕はあった。それでも足早に部室を後にしたのは、後ろの席に座る彼女が気になるから。まだ半分も埋まっていない席に、ポツンと座るミョウジさん。眉間には深い谷が刻まれ、ブツブツと呪文を唱えている。
「feed、与える、育てる。tragedy、悲劇・・・」
「おはよう」
「material、材料、原料。instruct、指示する、教える。もうムリ・・・」
俺が来たことにも気づいていないのか、そのまま机に突っ伏してしまった彼女に、なんと声をかけるべきか。投げ出された右手に握られた単語帳には、テスト範囲の英単語。なんとなく感じた違和感は、誤ったスペルが原因だった。
「ここ、間違えてる」
「え?」
「最後はaじゃなくてe」
「うそ、やっば・・・!教えてくれてありがとう!」
カバッと勢いよく起き上がったと思いきや、目の下には先週はなかった影。授業中あれだけ寝ていれば、徹夜漬けは避けられなかったのだろう。
大慌てでペンケースから出された消しゴムのパッケージは、よく見かけるメーカー品で。かなり小さくなっているそれを使って消すのは大変そうで、消しゴムを貸そうかと申し出たが断られた。

「ありがとう。でも、この消しゴムがいいの」
あぁ、彼女はこんなふうに笑うのか。
ふわりと笑う彼女は新鮮で、一瞬戸惑いはしたがつられて表情が緩んだ。
「・・・それは反則だよ」
「なに?」
「なっ、なんでもない!それより、おはよう。テスト頑張ろうね」
再び真剣に単語帳に向き合う彼女の邪魔をすることはできない。もう少し話したかったと少し残念に思いながら、軽く返事をして席に着く。普段から計画的に勉強しているし、昨夜もポイントを抑えた復習はしてきた。軽くノートを読み返しながらも、頭に浮かぶのは後ろに座るミョウジさんのこと。自分でもどうかしていると思いつつも、思考を止める気にもなれず、気づけば一時間目の予鈴が鳴る。テストが始まるまではあっという間だった。

一限目のテストは英語。
先生の’’始め,,を合図に、全員が一斉に机へ伏せていたプリントをめくる。アルファベットの羅列を頭の中で翻訳しながら、解答用紙へ答えを書き出す。
テストも終盤にさしかかり、何度目かの見直し中。そっと机に置かれた消しゴムは、見回りをしていた先生が近くで拾ったのだろう。生憎、この消しゴムはミョウジさんが朝使っていたものだ。
今頃、消しゴムがなくて困っているかもしれない。立ち去ろうとする先生を小声で呼び止め、小声で自分のものではないと知らせると驚きの答えが返ってきた。
「赤葦のじゃないのか?中に京治って書いてあったぞ」
すぐ後ろで、シャーペンが机に落ちる音がした。
いぶかしむ先生に、やっぱり自分のものだと申告する。小さくなってもなお、はめられているスリーブをゆっくりと外す。確かにそこには、赤いペンで俺の名前が書かれていた。
思い当たるのは、小学校高学年くらいの記憶。
好きな人の名前を書いた消しゴムを使い切ると、両思いになれる。占いやジンクスが好きな女子生徒が話していたのを聞いたことがある。そんなことで人の気持ちは操れないのに、女子はくだらないことが好きなんだなと思った。

授業終了を知らせるチャイムに、担任がテストを回収してまわる。途端に騒がしくなった教室内で、誰かが俺の背中をツンツンとつついた。思い当たるのは一人しかいないのだが。
「その、赤葦くん、ごめんね?引いた、よね・・・」
今にも泣き出しそうな、羞恥を堪えた揺れる瞳。気まずそうに逸らされた視線、小さく震えている手。
たしかに、他人の消しゴムに自分の名前が朱書きされていたら良い気持ちはしないだろう。まじないも呪いの一種なのだから。
「俺もミョウジさんと、もっと話してみたいと思ってるよ」
「!」
「良かったら、分からないとこ教えるけど」
「いいの!?でも部活が・・・」
「テスト終わるまでは自主練だから。一日くらい木兎さんに我慢してもらう」
「ど、どうしよう!明日のテストなんだっけ?現代文も苦手だし、数学も・・・、あっ、場所どうしよっか」
「ミョウジさん、落ち着いて。まだ今日のテスト終わってない」
まだ一限目が終わったばかりだというのに。
ポカンと空いた口は金魚のようにパクパク動き、みるみる真っ赤に染まる顔。
「放課後、図書室でいい?」
何度も大きく首を縦に振るミョウジさんともう少し話していたかったが、いい加減左隣からの視線がうるさい。前を向くと「赤葦やるぅー!」と言葉と共にグーパンチが飛んできたが、無視して次のテストに向けてノートを開く。

昼休みになったら、木兎さんのところへ行こう。ごねられるかもしれないが、せっかくの機会なのだ。逃す気はない。
そう、チャンスは求める者にしか与えられず、同時に手を伸ばす者にしか掴めないのだから。

恋の方程式は解き始めたばかり
( 答えは単純、過程は難関。解き方はキミ次第)

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