一ヶ月に一度しかない、チャンス。
このチャンスをモノにできるか、全てはこの右手にかかっている。メラメラと闘志を燃やす私に、前の席に座る友人がニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら問いかける。
「どうする?先に引いてもいいよ?」
黒板に残っている数字は残り二つ。
絶賛片思い中である赤葦くんの隣、もしくは教卓の前。まさに天国と地獄の二択である。教室の入り口側から順番に回されてきたクジは、窓側最後方である私たちの元へと時間をかけてやってきた。
お言葉に甘えて先に引くべきか、残りものには福があるに賭けるか。悩ましい、なんとも悩ましい。なんとしてでも赤葦くんの隣の席をゲットしたい、グループワーク一緒にしたい。あわよくば、教科書忘れたって嘘ついて机くっつけたい。あ、でも小テストの採点はイヤだな。隣の人と交換してマル付けするから、バカってバレちゃう。
なんて、頭の中では大胆なことを考えているが、赤葦くんと話したことはないに等しい。誰とでも話せる活発な友人にひっついて、会話の輪に静かに混じっているだけ。自分から話しかけるなんて絶対にできないし、赤葦くんも積極的に女子と交流するタイプじゃない。だからこそ、ずっとほしかった。自然に近づけるキッカケが。
「クジどこまでまわった?そろそろ移動始めるぞ」
「ヤバッ、うちら待ちじゃん!ナマエはそっちね!」
「えぇ!?ちょっ・・・!」
紙で作られた箱から最後の一枚を取り出し、恐る恐るクジをめくる。お願い、赤葦くんの隣がいいの、お願い神様・・・!
「おっ、赤葦ー!わたし隣だよ」
「・・・よろしく」
ああ、終わった。
ドンマイ!と楽しそうにケラケラ笑う友人を睨みつけるも、自分のクジ運のなさを呪うしかない。休み時間に喋りにくればいいじゃん、と肩を叩かれるが、そういう問題じゃない。せっかくのチャンスだったのに悔しい。
「全員引いたな。速やかに、そして静かに!移動を始めろ」
「またね、ナマエ!この席楽しかったから、残念」
「そうだね。私も楽しかった」
教室の最後方、かつ日当たりのいい窓際。授業中はポカポカで眠くなることも多々あったが、先生からの視線も届きにくい絶好の場所だった。そしてなにより、少し離れたななめ前方に座る赤葦くんの横顔がよく見えたのだ。シャーペンを走らせる赤葦くん、間食に購買のパンを食べる赤葦くん、机に突っ伏して眠る赤葦くん。いろんな赤葦くんをこっそり観察してきた。それも今日で終わり、今から最前列のど真ん中へ引っ越すのだから。
「おっ、教卓前はミョウジか。クジ運なかったな!」
先生、なにもおもしろくないよ。全く笑えないし、なんなら泣きそうだ。でも変に目立ちたくもないから、小さく頷くだけで反論はしない。私は静かに、ひっそりと生きていたいのだ。
「おっし、全員席ついたな。それじゃ・・・」
「せんせーい」
机の上に出した筆箱からコロンッと飛び出た消しゴム、毎日使うソレは買った時の半分くらいの大きさになっている。いいんだ、赤葦くんの観察はできなくなっちゃうけど、私にはコレがある。
「どうした?」
「俺、目が悪いんで、ここからじゃ黒板が見えずらいんスけど」
「あー、誰か代わってもいいヤツは「はいっ・・・!」
一瞬で静まり返った教室に、しまったと気づくがもう遅い。集まる視線に顔がどんどん熱を持ち、プルプルとまっすぐ上げた腕が震えてしまう。
「ミョウジ、そんなに俺の前はイヤだったのか?」
「そ、そういうわけじゃ・・・ないです」
本当にそうじゃない、クジの結果は甘んじて受け入れようと思っていた、ほんの数秒前までは。受け入れようとしていたのに・・・!席替えを希望している彼の席は、赤葦くんの真後ろなんだもん!
目立ちたくないけどこの千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかなかった。
「じゃあ、お前らパッと代われ」
「あざーす!」
クラス中の視線が集まり、茶化す言葉も飛び交うが、陽気な彼は明るく応えている。対して私は下を向いてたまま。恥ずかしくて、顔から火が出そうなくらい火照って。でも、赤葦くんの後ろの席になれるなんて、嬉しすぎる。筆箱から飛び出したペンと消しゴムを手早く押し込んで、再び荷物を持って逃げるように移動を始める。
すれ違いざまに、代わってくれてありがとうと言われたが、こちらのセリフだ。ドキドキと鼓動を早める心臓に、ふうっと小さく息を吐く。足早に駆け抜けようにも机と机の間は狭くて、横にかけられたカバンに足をとられつつも、なんとか後ろを目指して歩く。
もうすぐ、赤葦くんの席だ。
その隣は惜しくも逃した席、数分前まで前に座っていた友人がニヤニヤと楽しそうに座っている。感情が顔に出そうなのを必死に堪えて、視線を隣へ逸らせば赤葦くんとバッチリ目が合って思わず足が止まる。え、なに、めっちゃ見られてるんだけど。
「よろしく、ミョウジさん」
「・・・ッ!は、はいっ!」
まさか、赤葦くんから声をかけてくれるなんて想像もしていなくて、思わず声が上擦ってしまった。騒がしい教室の中、世界が私たちだけを切り取ったように、赤葦くんの声はハッキリと聞こえた。嬉しいのに、幸せなのに、突然の出来事にどうしていいか分からなくなって軽くパニック状態だ。
いつも一方的に見ていた赤葦くんと、話をした。たった一言、ほんの一瞬のことだけど、会話をしたのだ。壊れたようにバクバクと動き出した心臓は、勢い余って口から飛び出しそうだ。
そんな私の気持ちを見透かしたように、プッと吹き出した友人。一瞬で我に帰って慌てて足を動かして新しい席へ腰を下ろす。
赤葦くんが『よろしく』って言ってくれた。あいにく、表情から感情は読み取れなかったけど、わざわざ声をかけてくれるってことは、私が後ろの席になったけどイヤじゃないってことだよね。
口元がこれでもかと緩んでしまうが、これは不可抗力だろう。席の交代を申し出た一件で注目を浴び、恥ずかしい思いはしたが、勇気を出して良かった。
「じゃ、ホームルーム始めるぞ。まずはプリント配るから・・・」
きた、後ろの席特権。
赤葦くんがプリントをまわしてくれる!
「はい」
「あ、ありがとう!」
特に男子は振り返らずに渡してきたり、わざと取りにくくしたりする人が多いが、赤葦くんは丁寧だ。ほぼ体ごと振り返って、私の顔を見ながら渡してくれる。ああ、今日もカッコいいよ、赤葦くん!赤葦くんが触れたプリント、赤葦くんが私へくれたプリント、赤葦くんが・・・
「ミョウジさん、プリントまわしてくれる?」
「へっ?あ・・・、ごめん」
慌てて一番後ろの席の子へプリントを渡し、再び火照る顔を手で仰ぐ。どうしよう、少しでも気を抜くとふにゃふにゃになってしまう。こんなだらしない顔、誰にも見せられない。
俯いたまま、視線だけを前に向ければ視界に広がる大きな背中。後ろからじゃ表情を窺うことはできないけど、赤葦くんを見放題だ。
先生が話す声も、みんなが話している声も、ぼんやりとしか聞こえない。ガヤガヤと騒がしい教室内で、赤葦くんの存在だけがくっきりしていた。
今日も終礼終わったら、すぐ部活行っちゃうのかな。明日は朝練終わってから教室にくるよね、おはようって挨拶できるかな。ちゃんと話せるかな、またチャンスが巡ってくるかな。
「それで、だ。来週からテスト期間に入るが・・・」
夢見心地状態の私を、一気に現実へ引き戻す先生の言葉。そうだった、来週からテストだった。ハッと顔を上げた先には、顔だけ振り返った友人。口パクで『赤葦見過ぎ!』と指摘されが、正直それどころじゃない。
慌てて視線を落とし、配られたプリントへ目を滑らせる。幸いなことに苦手科目の日程は分散されているが、言い換えれば諦めの口実を失ったのだ。毎日死ぬ気で勉強しないといけない。
とびっきりのご褒美の後には地獄が待っていた。
( もう少し、勇気を出してもいいですか? )