「ナマエ、手止まっとる」
「へっ!は、はい!すみません!」
右手にはボールペン、左手にはスコアブックとノート。今のは誰がどんな攻撃をして、決まったとか決まらなかったとか。相手チームの背番号と共に文字を走らせる。
「そこ、間違っとる。最後決めたのは治やなくて、アランや」
「あっ、あれ、ホンマや。すんません」
頭の中ではアランくんって分かってたのに、治の名前を書いてしまった。アカン、今日何度目のミスやろ。そろそろ北さんから正論パンチが飛んできてもおかしくないころや。
「試合に遅れてきたくらいやし、集中できん理由があるなら二階から応援してもええんやで。スコア付けの代わりはいくらでもおるんやから」
「・・・ハイ、存じております。遅刻の件は申し訳ありませんでした」
心に右ストレートをくらってフラフラ、一発KOしそうなところで長めの笛が鳴り、どうやら対戦相手がタイムアウトを要求したようだ。ナイスタイミング、名も知らぬ監督。
私は、正式なマネージャーではない。
高校生なんだし、自由を謳歌したくて部活には入らなかった。カッコいい年上彼氏作って、週末はデートして、友だちと恋バナで盛り上がって。そんなありきたりな青春ストーリーを目指したはずが、幼馴染の双子から逃げ切ることができず。週末はこうして、ほとんどバレー部と過ごしている。
「ナマエは字も綺麗やし、几帳面やから。見やすいってみんな助かっとるんや。間違いがあったら元も子もないやろ」
「・・・・・・はい」
顔が、どうしようもなく熱い。普段褒められることなんて滅多にないから、胸の奥がむず痒くて仕方ない。みんなに、特にあんまり話さない北さんにそう思ってもらえてたなんて。今朝のことは忘れよう、雑念を振り払って集中するんや!もうDVDも見なかったことに・・・・・・あれ、最後どうしたっけ。
* * *
運動部の元気な声があちこちから響く、週末の学校。最後の試合まで見届けたあと、急用を思い出したと北さんへ伝言を頼んでバスへ飛び乗った。
マズイ、慌てて家を出たからDVDデッキにAVが入ったまんまや・・・!なんとしても双子より先に帰って、証拠隠滅せんとバレたらなに言われるか分からん!
近所のバス停に着いてからはとにかく走った。こんなに走ったのいつぶりだろうってくらい、息を切らして走って走って、角を曲がれば見慣れた自宅。すぐ隣の戸建てのインターホンを鳴らす前に、ちょうどおばさんが出てきて、今から出かけると言うからギリギリセーフ。今朝、忘れ物をして取りに来たと伝えれば、そのまま留守番を頼まれ、二つ返事で引き受ける。
あとはDVDを元の場所に片付けるだけ・・・!
まだ、時間ある・・・よね。
だって、めちゃくちゃ走ったし。おばさんは帰り遅い言うてたし、双子はダウンして片付けして、なんなら自主練までして帰ってくるやろ。少しだけや、ほんの少しだけ。もっと気持ちいいことって、なんなんやろ。
イケナイことをする時って、どうしてこんなにドキドキするんやろ。アカンって分かってても気になったらどうしようもない、飛び出したDVDトレーを再び押し返し、今朝の続きまで早送りで進める。
少し、見るだけや。ほんとに少しだけ、なにするのか分かったらすぐに止めて、ベッドの下にホイッて返しとくから。
誰に向けての言い訳なのか、自分でも分からないが動き出した裸の男女に視線を奪われては、時間の意識なんて完全に抜けていた。
「そっからがええとこやねん」
「でも傷ついとるから見れんで、ホラ、止まったやろ」
「!?」
突然の会話に慌てて振り返れば、制服姿の侑と治。驚きすぎて心臓どころか、体ごと跳ねてしまった。
「なんや、久しぶりに見たな」
「純情娘の調教シリーズな」
「たしか、もらいもんよな?」
「んー、誰かがくれたんよな。思い出せへん」
「いっ、いつからおったん!?」
「フェラ始まったあたりからおったで」
「ちんこ舐めるやつな」
ウソでしょ、全然気づかなかった。しかも結構最初の方からいたってことで、気配に気づかないほど集中して・・・って、どうするのこの状況!
言いたいこと全部顔に書いてある侑は腹立つし、逆に冷静で眉一つ動かさない治はなに考えてるのか分からんくて怖い。テレビの中では相変わらず、一時停止してしまった全裸の男女がまぐわったまま。瞬きさえも許されない張り詰めた空気を破ったのは、悪い顔をした侑の一言だった。
「ナマエが俺らの部屋で勝手にAV見てたってみんなが知ったら、なんて言うやろな」
「や、やめて!」
「まさか、今日遅かったんもコレ見てたん?」
「・・・ッ!」
変なとこで勘の鋭い治に、脳内は忙しなく言い訳を探し出すが見つからない。代わりに脳裏を過ぎるのは、様々な感情の混じった視線を向けるバレー部のメンバー。打ちひしがれる私に真顔でスマホを向ける角名、ツッコミを忘れるアランくん、気まずそうに視線を逸らす銀島、そして・・・。
「なんでもします」
無理、無理、無理。
北さんに蔑まれた目で見られる方がまだマシ。悪意のないストレートの正論パンチに、アタフタしながらも追撃という名の下手くそなフォローを入れるアランくんまで想像がつく。そしてその後ろで腹を抱えて爆笑するこの双子の姿まで。
「どうか、みんなには秘密にしててほしい」
十七年間、生きてきて初めての土下座。おでこを床につけ、唇をグッと噛み締めて悔しさに耐える。まさか、この二人に頭を下げる日がくるなんて。
「どうする?サム」
「・・・・・・せやな」
ああ、腹立つ。顔を上げなくても声のトーンで分かる、すごく嬉しそうな侑。人がここまで真剣に頼んでるんや、即答でオッケーするとこやろ!ひとでなし!
「なぁ、ナマエ」
すぐ近くで治の声がする、たぶんしゃがんでくれたのだろう。顔を上げたいが、侑のムカつく顔をみたら殴りかかってしまいそうで、そのまま聞くことにする。
「秘密にするのはええんやけど、口が軽いのがおるやん」
「うん」
「オイッ!誰の口が「せやから、共犯になるんはどうやろ?」
「「共犯?」」
治の大きな手が、私の頭を優しくなでる。あまりにも優しいその手つきと思いもよらぬ提案に、顔を上げれば真剣な目に捕まって視線が逸らせない。
「せや。俺ら三人でヤれば、全員が共犯。誰も秘密は漏らさん」
治は優しい、幼い頃から。
昔は大して変わらなかった身長も運動能力も、年を重ねるごとに開いて埋められなくなって、どんどん置いていかれて。それでも必死に追いかける私を、治だけは振り返って手を引いてくれた。
「うん、なんでもする。三人だけの秘密、つくろ?」
「・・・・・・ナマエはほんと、素直でエエ子やな」
一瞬目を見開いた治は、すぐに目を細めて毛先を弄って遊び始めた。その背後では俺も話に入れろやと騒ぐ侑がいたが、みんなにバレないのならどうでもよかった。
私は治を信じてた、そう、これが悪魔の囁きだなんて思いもしなかった。