小説

呼び出された大広間の襖を開けて驚いた。本来そこにいるはずのない、東京で別れたはずの"当主様"の姿。堅苦しいのは嫌い、と毛嫌いしていた着物を羽織り、堂々と座る上座から、立ち尽くす私を射抜くサングラス越しの青い瞳。
"誰の指示でココに来たの?"
それまで当主様のご機嫌を取ろうとすり寄っていた家長達全員から、一瞬で笑顔が消える。
言えない・・・言える訳がない。全員が鋭い殺気を込めた視線で私を突き刺す。それは構わない、今更慣れっこだ。でも、悟様から向けられる冷たい眼と態度は・・・私の心を重く沈ませ、胸に鋭い痛みを走らせる。
「えっ・・・あ・・・わ、私は」
あのまま流されて帰らなければ良かったのだろうか。

『僕がちゃんと庇ってあげる』
あの一言を信用できなかった私が悪いのだろうか。思わず震え出す身体を悟られないよう、続きの言葉を探していると、数段低い声で立ち去るよう指示される。
「し、失礼しました」
なんとか声を絞り出すと、軽く一礼して襖を閉め、逃げるように廊下を走る。

まだだ。まだ泣くな。あと少し、もう少しで・・・。やっとの思いで離れの小屋の前まで来ると、耐えていた恐怖と震えから、歯がガチガチと音を立てる。自分の身を守るように身体を抱きしめると、思わず涙が零れ落ちる。
「ふっ・・・うっ・・・・・・こ、こわかった・・・」
脳裏に今は亡き母の言葉が蘇よみがえる。これ以上、好きになってはいけない。"特別な時間"を勘違いしてはいけない。彼と私の間には、天と地ほどの差があるのだ。張り裂けそうに痛む胸を掴むと、思わずその場に座り込んでしまう。空には三日月が浮かび、まるで慰めるように、誰も帰らぬ小屋と一人涙を流す私を照らしていた。





* * *





涙の跡も乾かぬうちに立ち上がると、使用人の集まる炊事場を目指す。きっと、大広間で起きた事件はまだ伝わっていないのだろう。本家の使用人達が突然戻った当主様に食事を、と大慌てで動いている。私も早く手伝わなきゃ・・・。忙しくしていれば余計なことを考えなくていい。炊事場の戸を開けようとした瞬間、背後から感じる気配に振り返る。
「・・・ッ!悟様・・・、どうして・・・」
「こっちおいで、ナマエ」
余りにも優しい声と瞳で私に微笑む姿に、抑え込んだはずの涙が再び込み上げる。鼻を軽くすすると、差し出された手を取り並んで廊下を歩く。
「懐かしいね、あの時とは逆だ。お腹空いて何か食べたかった?」
「・・・・・・・・・。連絡もなく当主様がお戻りになれば、どうなるかよくご存知では?」
「ナマエったら、ひどいよねー。ホントに僕を置いていっちゃうんだもん」
「呼び出しを無視すればどうなるか、分かってるでしょ!?」
どこか楽しそうに、からかうようなトーンで掛けられた問いに、思わず感情的に答えを返す。はっ、と息を呑んだ時には遅かった。再び温度を失った瞳が真っ直ぐ私を捕らえ、どこか甘さを含んだ声で囁かれる。

せっかくご褒美あげるって言ったのに

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