小説

「ごめんなさい、今日の最下位は・・・」
夕方からの雨に備えて傘を持ち歩くよう、笑顔で手を振るお姉さんに赤いボタン一つで別れを告げる。捨てられないものを詰め込んだ引き出しを開ければ、時を止めたまま動かない腕時計。左手首に巻き付けてシャツで隠せば、今日の運勢を少しでも上げてくれる気がして。





* * *





「はぁ・・・。占いって信じないんだけど」
人の物を勝手に持ち去る人の気がしれない。ただ借りるだけ、そう思うのだろうか。予報以上の土砂降りに一人、呆然と立ち尽くす。スマホで時刻を確認すれば、終電まであとわずか。コンビニでビニール傘を買うか、濡れながらも駅へ向かうか。

袖から覗くソレが、"どうせ壊れているのだから"と背中を押すように、私の足が動き出す。傘をさして歩く人たちからの視線を交わしながら一人歩く。
永遠に降り止まぬ雨に、あの日から動かぬ秒針。冷たい雨が涙のように頬を伝う感覚に、思わず虚しさが込み上げる。

『お前が決めたなら俺は止めない』
呪術師としての道に絶望し、背を向けて逃げた。過去を隠して一般社会へ溶け込めば、立派な社畜の出来上がり。強者へ従い静かに不満を募らせ、お金の為に働く日々。

『俺以外、誰もいないから。泣けよ』
弱音を吐くことが苦手で、一人で抱え込んでいた私を抱きしめてくれた。硬い胸板に頭を押し付けて泣けば、慣れない手つきで背中に周る腕。

『いらなかったら捨てろよ』
高専を去る日、視線を逸らしたまま押し付けられた高級ブランドの小さな紙袋。返すことはおろか、お礼も言えぬまま、足早に立ち去る背中を見送ることしかできなかった。

本当は呼び止めたかった。名前を叫んで呼び止めて、胸に溢れる思いも伝えたかった。あの夜のように、受け止めて抱きしめてほしかった。結果、なにもできないまま、時は無情にも過ぎ去った。

「一番線に最終電車が到着します。お乗り遅れのないようにご注意下さい」
濡れた服が体温を奪う感覚と、髪から滴る水滴が落ちる音、無機質な音声が、ホームに着いたことを知らせる。物思いに耽っていた自分が急に恥ずかしくなり、向かいのホームへ視線を移せば時が止まる。
何度も夢にまで見た、彼の姿。終電を待つ人集りの中で、群を抜いて目を引く長身と髪色。サングラス越しの青い瞳と目が合った気がするのに、喉が張り付いたように声が出ない。

到着を知らせる音声と共に、一斉に動き出す人集りを他人事のように眺める。このまま、乗ってしまえば二度と会うこともないだろう。そもそも住む世界が違うのだ、このまま家に帰れば私は幸せなままでいられる。

「乗らなくていいの?」
背後から記憶の海に沈んでいた声が聞こえ、思わず身体が跳ねる。出発を知らせるベルをBGMに、ゆっくり振り返れば途端に滲む視界。

「今日の占い、最下位だったの」
なにを話したらいい?
「こんなに雨が降るなんて、天気予報も嘘つきだよね」
どうしてあなたがこっちのホームにいるの?
「上司には怒鳴られるし、お気に入りの傘は盗まれるし。散々な一日だったよ」
この十年、あなたは何を支えに生きてきたの?

「それで、ずぶ濡れなの?」
「うん・・・。なにもかもが、どうでも良くなっちゃって」
「その動いてない時計みたいに?」
「えっ?あっ、これは・・・違うの。もうずっと前から動いてなくて」
「じゃあなんで着けてるの?」
まるで私の心の内を見透かしたように見つめられれば、答えが出ない。ラッキーアイテムが"思い出の物"だったから、なんて正直に言えばいいのか。再び交わった視線を逸らすこともできず口を噤めば、温もりを分け合うように繋がれた手に驚く。

「終電を逃した者同士、昔話でもしようか」
繋がれた手を離す理由が、どこにあるのか。行き先も告げられず、ただ引かれるままに足を動かせば、真夜中は私たちの楽園として、時を止めた針が再び動き始めた。
この後、私たちの関係が変化するのか、知る由もない。それでも良かった。例え、一夜限りの再会であろうとも、明日から再びそれぞれの日常へと向かおうとも。


私を濡らした雨はいつの間にか止んでいた


Twitterのワンライ企画参加分
お題:ホーム、雨上がり、真夜中は私たちの楽園として

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