小説

「ナマエ」
「・・・はい」
「だから、返事じゃなくて名前を「五条さん!」
「んー。あと何回繰り返したらできる?」
「ごめんなさい・・・。でも、無理ですよ」
五条さんから受け取ったメモには、"相手の名前を呼ぶこと"と記されていた。名前ならずっとお互い呼んでいるのに、部屋の状態が変わらないということは、"下の名前で呼ぶ"という意味なのだろう。
「僕の名前、知らないなんてことはないよね?」
「存じ上げております」
「じゃあなんで?」
呼ぶだけじゃん、なんて、あなたは簡単に言うけどこの状況・・・!いい歳の男女が密室に閉じ込められ、最初の部屋のベッドに並んで座り、向かい合い見つめ合っている。私だって、ただ名前を呼ぶだけなら簡単にできる。あの条件さえなければ・・・!今頃とっくに外に出ているのに!

「うーん。そんなに気になる?この条件」
「そ、そりゃあ!気になり・・・ますよ」
指示の下に小さな文字で書かれた但し書き。
"見つめ合いながら愛を囁くように呼ぶこと"
読んだ瞬間、思わず紙をビリビリに破ってやろうかと思った。羞恥に震える私とは対照的に、余裕ある態度で私の手を引いてベッドのある部屋に向かった五条さん。腰を下ろした隣のスペースをポンポン叩きながら、おいで、なんて言われたら。条件反射で座ってしまうだろう。
「ナマエちゃんが呼ばないと、いつまでも出られないよ?」
「わ、分かってます!それより、さっきから近いんですけど!」
「ほら、どんどん時間過ぎてくし。僕、お腹空いてきちゃった。早く終わらせて出ようよ」
分かっている。ずっと緊張して名前を呼べないのは、私の方だ。五条さんは最も簡単に、私の名を呼んだ。初めて呼び捨てにされたその声が妙に色っぽくて、口から心臓が飛び出るかと思ったほどだ。そんな状況で、"悟"なんて、呼べる訳がない!

ぐぅぅぅー
「「・・・・・・・・・・・・」」
静かな部屋に響き渡る、私のお腹の音。顔が違う意味で熱くなるのを感じる。穴があったら入りたくて、扉どころか窓さえもない、変わらぬ部屋を見渡す。もちろん、なにも変わっていないまま、ただ時間だけが過ぎただけなのだが。
「こうなったら、強硬手段取るしかないよね」
「えっ!?」
頬に添えられた大きな手と、ゆっくり近づいてくる綺麗な顔。唇が触れ合うまであと数センチの所で、五条さんがようやく口を開く。
「このまま僕にキスされるのと、名前を呼ぶの、どっちがいい?」
「ッ・・・!さ、さ、悟さん!」

ガチャンッ!
居ても立っても居られなくて、目を瞑って勢いで名前を呼べば、大きな音と共に解放される頬。慌てて音がした方へ振り向けば、テーブルと並べられた料理に思わず涎が出る。
「美味しそう・・・」
「条件クリア、なのかな?一応」
「はっ!そうだった!出口は!?」
期待を込めて壁を見渡せば、出口どころか、五条さんと合流した部屋の扉さえ見当たらない。
「どういうこと・・・?」
再び襲う不安感に眉を顰めるが、一人でないことが唯一の救いだ。鼻を擽るいい匂いに再びお腹が悲鳴を上げ、一旦思考を停止する。
「これ、食べてもいいんでしょうか?」
「見た感じは大丈夫そうだけど。僕が毒味しようか?と言いたい所だけど・・・」
チラリとお腹を見られて何度目かの羞恥心が込み上げる。今が何時なのか分からないが、お昼からなにも食べていないのだ。五条さんと合流できた安心感からか、先程から何度もお腹が鳴ってしまう。
「とりあえず、食べようか」
場に似つかわしくない、ニコッと音が出そうな笑顔に、思わず張り詰めた気が緩むのを感じる。二人で向かい合って椅子に座り、手を合わせてから料理に手を付ければ、皿の下から顔を覗かせる白いメモ。
「五条さん、これって・・・まさか」
「そのまさか、だろうね」
恐らくこの食事は、ミッションクリアのご褒美だ。そう簡単にこの部屋から私たちを出す気はないのだろう。これが最後の晩餐にならなければいいけど・・・。何となく今は見たくなくて、メモをそっとポケットの中に入れる。

まさか、名前を呼ぶだけでこんなに苦労するなんてね

- ナノ -