小説

ショップバッグを片手にナマエがいるであろう店へ向かうと、カウンター席に仲良く並ぶ三人の姿。ぎこちないながらも笑みを浮かべ言葉を交わす姿に、言い表しようのない感情が心を支配する。
この後、俺が一人でナマエを高専へ連れて行く。一定の距離を保ちながら虎杖と釘崎が護衛にまわり、もし追手が現れれば二人が対処、ナマエは俺が守る。
ナマエに気づかれないよう、試着の間にグループトークで共有された作戦には、問題が一つ。五条先生との縛りだ。俺とナマエを引き合わせる代わりに、気味の悪い呪物を肌身離さず身につけておくこと、三時に東京駅へ来ること。他にも細かい指示はあったが、先の二つだけは"縛り"として俺を縛りつけた。
「マックでもほとんど食ってかなかったじゃん」
「で、でも・・・」
「いいから、食べなさいよ。ほら、一口ガブっと」
釘崎の強い勧めについに観念し、微かに震える手でチョコレートがふんだんにまぶされたマフィンを手に取ったナマエ。どっしりとしたそれにかじりつくかと思えば、端の方を小さくちぎって口の中へと迎え入れた。どう?うまいだろ?と食い気味に近づく虎杖に、さらに苛立ちが募る。何度か咀嚼し、小さく頷いたナマエに虎杖は至極満足そうだ。
これからのことを考えれば、仲間意識が芽生えることはむしろプラス。どちらにせよ、俺一人の力ではアイツに振り返る火の粉から守り、支え続けることはできない。頭では分かっていても納得いかないと主張する心が、理性の糸を引きちぎった。
「おい、行くぞ」
「!」
ビクッとはねた小さな肩に、わずかな罪悪感が襲うが苛立ちは止まってくれない。ちらっと視線だけで俺を見やると少しだけ欠けたマフィンを皿に置き、いそいそと椅子から降りるナマエ。俺の背中に隠れていたのが嘘のように、ほんのり頬を染め微笑んでいる。
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
「これ、持って行かねぇの?」
「いえ、虎杖さんのお金で買ったものです。私がいただくわけには・・・」
「いいよ、うまかっただろ?電車の中、はダメか。あ、高専に着い・・・って、おい!なんで伏黒が食うんだよ!」
余計なことを口走ろうとする虎杖の手からマフィンを奪い、口の中に放り込む。本人には、俺たちが高専へ連れて行こうとしていることをまだ話していないのだ。突然の俺の行動に驚き、固まってしまったナマエに気づかれぬよう、釘崎が虎杖を注意して場は丸く収まった。
「あの、本当にありがとうございました」
まるで、二度と会うことのない友人に別れを告げるように。姿勢を正し、深々と頭を下げる彼女は、俺の記憶と相当な乖離がある。一体、なにを考えている?すぐ側にいるのに、風に吹かれただけでどこかへ行ってしまいそうな、この焦燥感の正体はなんなんだ。
「時間がない、はぐれるなよ」
「・・・・・・!う、うん」
約束の三時まで、時間の余裕もなければ心の余裕もなかった。有無を言わさず繋いだ手は冷えていて、俺の滾った体温を少しだけ、冷ましてくれた。





* * *





念には念をと私鉄を乗り継ぎ、遠回りをしながら東京駅を目指す。迷路のような駅構内を速足で歩く俺に、時々駆け足になりながらもなんとか着いてくるナマエ。少しペースを落とすこともできたが、虎杖に向けた表情を思い返すとどうも調子が狂う。繋いだ手を放したらナマエは煙のように消えてしまう気がして、一刻も早く東京駅へ足を踏み入れたかった。
五条先生との縛りは、三時に東京駅へ来ること。細かい場所の指定もなければ、新幹線に乗せるといった条件もない。ただ東京駅へ三時にいればいい。あの人の目から逃げることは不可能だと分かっているが、あえて細かい条件をつけなかったのは暗に逃せと言っているようなものだ。
「め、ぐみ」
微かに聞き取れた掠れた声に足を止め振り返れば、繋いだ手が解けそうなほど遅れているナマエに気づく。口を開けば肩で息をする彼女に辛辣な言葉をかけてしまいそうで、焦る気持ちを抑えつつ呼吸が落ち着くのを今か今かと待ち続けた。
「・・・・・・歩くの遅くてごめん。頑張るけど、この手が離れたら私・・・・・・帰れなくなっちゃう」
俺は京都に帰す気はサラサラないのに。他人の気も知らずに、へへっと遠慮がちに笑うナマエに苛立ちが募り、眉間に力が入る。
「だから、その・・・・・・、手を、しっかり繋いでてほしい」
なにを言い出すかと思えば、顔を真っ赤に染めながら、尻すぼみになる声量で告げられた頼み。予想外の発言に目の前の情報を咀嚼し、意味を理解するために間が空いてしまう。
物言わぬ俺を探るように上目遣いで見上げてくるナマエに、じわじわと顔に熱が集まる。慌てて誤魔化すように解けかかっていた手を、指を絡ませてしっかりと繋ぎ直す。絶対に京都には帰さない、そんな決意を込めて強く握れば、絶対に離さないでと言いたげに強く握り返された。
なんとなく互いに気まずくて、ギクシャクしながらもどちらからともなく足を動かす。互いに緩めることのない手、立ち止まった時間を取り戻すようにさらに早める足。ついさっきまでの苛立ちはウソのように消え去り、なるべく歩調を合わせるように意識する。そうやってナマエには気づかれないレベルで意識していたからすぐに気づいた。
乗り込んだ電車内で、揺れに合わせて少しずつ閉じていく瞼。俺の反対隣に座る中年の男は、自分に寄りかかってくるかもしれないと期待しているのか、チラチラと横目でナマエを見ながら鼻の下を伸ばしている。
「おい、あと一回は乗り換える」
「ん・・・・・・」
俺の声掛けに一瞬目を開けたが、再び船を漕ぎはじめてしまった。仕方なく繋いでいない方の手でポケットを探れば、指先に触れた細い線。ランニングの時に使っている有線タイプのワイヤレスイヤホンだ。
完全に力が抜けて緩んだ手を解き、代わりにいよいよ反対隣へ寄りかかりそうなナマエの肩を抱く。俺に寄りかかるように引き寄せ、ついでにおっさんをひと睨みしてやれば、逃げるように次の停車駅で降りていった。
「髪、触るぞ」
意識があるのか怪しいが、一応声をかけるが返事はない。浅い呼吸のうちになんとか起こさないと、後が面倒だ。
かきあげた髪を耳にかけ、現れた形のいい耳にポケットから引っ張り出したイヤホンの片割れを押しこむ。同様に自分の耳にも片割れを突っ込み、スマホを操作して適当に選んだプレイリストを流す。肩に回していた手を元の位置へ戻し、少し迷いはあったが再び指を絡めて繋ぎなおした。
曲がサビに入ると程なく、繋がれた手に力が籠ったことで、ナマエの意識がハッキリし始めたことを教えてくれる。
「この曲、私も好きなの」
俺の肩に頭を預けているせいで、表情は伺えない。たが、これまでの中で一番落ち着いていて、ゆったりとした話し方に、これが素のナマエなんじゃないかと考えを巡らせる。
「今日、ね。普通の女の子になれたみたいで、楽しかった。自分の行きたい場所に行って、食べたいものを食べて、好きにおしゃべりして。誰も私のことを知らない、後ろ指を指されることもない。雑音のない、静かな世界。まるで別世界に迷い込んだ気分」
「帰りたくなくなったか?」
「・・・・・・そうだね」
帰らなきゃいいだろ、俺と一緒にこのまま高専へ行けばいい。お前が大人を信じられなくても、頼れなくても、俺が代わりに全部やってやる。虎杖や釘崎だっている、お前はもう一人じゃない。
「でもね、現実は残酷なんだよ」
俺に気を許し、寄りかかって居眠りしていたナマエはもういなかった。強い意志の宿った大きな瞳で俺を捉えると、ハッキリとした口調でそう言った。
俺が伝えたかった言葉はなに一つ、口から出ることを許されず。牽制するように瞳の奥を見つめられ、返事のひとつもできない。
「心配してくれたなら、ありがとう。私は大丈夫だよ」
「なにが大じょ『ご乗車ありがとうございます。間もなく・・・』
「乗り換えるの、この駅?」
ナマエを説得して高専へ連れていくには、今が絶好のチャンスだったのに。軽快なメロディと共に流れる車内放送に、ナマエの意識は完全に電車の外へと向けられてしまった。これ以上この話はしない、と俺を拒絶するように背中まで向けて。
「東京駅に着いたら話がある」
窓に反射したナマエの横顔に、なんの変化も見られない。些細なことで喜んで、はしゃいでいた姿がウソのようだ。
「早く降りないと。三時には東京駅、でしょ?」
なんで笑えるんだよ。
「あ、そうだ。帰りの新幹線の切符、預かっててよ。また見つからなくて慌てるの嫌だし」
俺が目の前でこの切符を破って捨てたら、お前はどうする?
「ちゃんと改札前まで送ってね、着いてサヨナラはやめてよ?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだよ」
「・・・・・・ずっと難しい顔してるから。行こう、間に合わなかったら大変なことになる」
ワントーン下がった声に、今度は俺が手を引かれる番だった。いっそ、迷ってしまえばいい。遠回りをすればいい。時間ギリギリに東京駅にたどり着いて、新幹線に乗り遅れてしまえばいい。足取りを早めるナマエとは対照的に、鉛のように重くなる足を引きずりながらついていく。明らかな焦りが表情に出ているが、ナマエが俺に案内を頼むことはない。さすがに気づいたのだろう、俺が京都へ帰す気がないことに。

どうしようもない問題解決策

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