小説

私には好きな人がいる。
同じ呪術高専の一年生なのに、既に二級術師として活躍する伏黒くん。今日の一年四人で臨んだ任務も、伏黒くんがいち早く攻略法を導き出し、思いの外早く終えることができた。入学当初は無愛想でちょっと怖い人って思ってたけど、打ち解けてしまえば恋に堕ちるのは時間の問題だった。
「俺、映画行こっかなー。釘崎は?」
「まだ早いし買い物でもするわ」
目と鼻の先に、伊地知さんが待機する車が見える。歩道を塞ぐように並んで歩く三人のあとに続く私に、虎杖くんが足を止めて振り返った。
「ミョウジはどうする?」
どうしよう。虎杖くんは映画、なに観るのかな。でも、野薔薇ちゃんのお買い物について行くのも捨てがたい・・・。みんなで映画観て、お買い物行ってって流れが一番最高なんだけど。そう上手くはいかないって分かってる。どちらに同行するか、悩ましい。ハッキリと答えが出せないのは、一番気になる彼の選択が明かされていないから。
「もちろん、私と買い物行くでしょ」
さも当然のことだと言いたげな野薔薇ちゃんに、反射で頷こうとしたが予想外の発言に動きが止まる。
「お前ら元気だな。じゃ、俺は帰る」
え、やだ、伏黒くん帰っちゃうの?どうして?今日の任務は比較的軽めだったし、まだまだ時間はたくさんあるのに。せっかく街中にいるんだし、もう少し一緒にいたい。そうだ、私も帰っちゃえばいいんだ、そうすれば高専まで二人きりで・・・

「私、伏黒くんと一緒にいたい」

あ、しまった。一緒に帰りたいって言うつもりだったのに。
サーッと引く血の気が引く私をよそに、「じゃあミョウジは帰るんだな」と、あっさりしている虎杖くん。当の本人はなんの反応も見せず、生きた心地がしない。どうしよう、引かれたかな。今からでも間違えた!って撤回するべき?
ぐるぐるまわる思考は不安を掻き立てるだけで、いい案は全く浮かんでこない。視線だけで野薔薇ちゃんに助けを求めると、すぐに助け舟を出してくれた。
「どうせ帰っても予定ないんでしょ。アンタも付き合いなさいよ」
「なんで予定ないって決めつけるんだよ」
「ごっ、ごめんね、私が変なこと言ったから!伊地知さん、お疲れ様です。伏黒くんだけ帰るので、よろしくお願いします」
伏黒くんだけが、車内に吸い込まれるように座った。ぽつんと空いた伏黒くんの隣の座席には、言い間違いをしなければ頬を染めた私が座っていたはずなのに。
「ミョウジは帰らなくていいのか?」
伏黒くんは、さっきの私の発言をどう受け取ったのだろう。頭の回転の速さに加え、他人の些細な感情の機微に敏感に気づくのだ。もしかして私が伏黒くんのこと好きって気づいて・・・
「えっと、私は、その」
「ナマエは帰らないわよ、残念でした」
「は?なんで俺が残ね「伏黒くん、お疲れ!ゆっくり休んでね!」
「伏黒、お疲れー」
バタンッと強めにドアを押し閉め、走り去る黒塗りの車に手を振る。これでいいんだ、伏黒くんは大人の対応してくれたの。あえて無反応を貫いて、何事もなかったかのように振る舞ってくれてるんだ。私が勝手に傷ついてどうするの。
「ありがとう、野薔薇ちゃん」
今は一人になりたい。なにか言いたげな野薔薇ちゃんに申し訳なく思いつつも、視線を地面に刺すことで逃げた。
「俺映画行くけど。どうする?」
「なに見んの?」
「ミミズ人間4!」
映画の告知動画を意気揚々と見せる虎杖くんと、顔を引き攣らせて行かないと跳ね除ける野薔薇ちゃんを、魂が抜けた空っぽの身体で眺める。
どうしよう、野薔薇ちゃんと買い物行くのもなんとなく気まずいし、だからといってミミズなんとかを見る気にもなれない。
「何がテーマだろうと、ミミズ男なんて見たくねえ」
「『ミミズ人間』なんだけど・・・。ミョウジは?」
「ごめん、ミミズはちょっと・・・」
そっか、と笑顔で片手を上げ、颯爽と立ち去る虎杖くんの背中を見送る。「買い物、行かないの?」と声をかけてくれる野薔薇ちゃんを丁重に断って、行くあてもなく人混みに紛れた。






* * *






迷い込んだ路地裏で自称・占い師のおばあさんに手のひらを差し出したタイミングで、スマホが鳴った。今すぐに来るよう指定された店は、そう離れていなくて。ワケを話して頭を下げ、踵を返した私に「数奇な星の下に生まれた男だ」とおばあさんが声を張り上げた。ただ手相を見せただけで、伏黒くんのことはなに一つ話していないのに。思わずギョッとして逃げるように裏路地を出て店へ入り、小沢さんから虎杖くんの話を聞いたが、理解が追いつくのに少し時間がかかった。
「こちら小沢優子、かくかくしかじかで」
「つまり、そういうことか」
「そういうことよ!」
対して、理不尽にも連れ戻された伏黒くんは青筋を浮かべつつも、簡単な説明だけで瞬時に事を理解してしまった。ほら、やっぱり他人の気持ちに気づいてる。なんで私、ここにいるんだろう。小沢さんの虎杖くんへの気持ちは、もちろん応援したい。上京してもう会うことはないって思ってた思い人に、偶然でも会えたんだもん。
「彼女はまずいないだろ」
虎杖くんの話で盛り上がる中、一人俯いてコーヒーに砂糖をこぼす。少しでも話すきっかけが欲しくて、コーヒーを飲む練習を始めた。まずは形からとドリップで淹れたコーヒーは苦すぎて、砂糖を何杯も入れてなんとか飲みきった。
「あの、ちなみに好きなタイプとか・・・」
いいな、小沢さん。私も誰かに相談したい。伏黒くんをよく知る人に、私が伏黒くんのことが好きって知られても困らない相手に、いろいろ聞いてみたい。
盛り上がる二人をよそに、席を立ってどこかへ行ってしまった伏黒くん。真っ暗なコーヒーは、モヤモヤに染まった私の心を映しているようだった。
「ほら」
「えっ、あ、ありがとう?」
「飲みにくいなら砂糖を足すより、こっちの方がいい」
じわじわと黒を侵食した白はやがて、伏黒くんがティースプーンで混ぜたことによって優しい色に変化した。再び読書に戻ってしまった彼に、飲まないのはさすがに失礼かなと一口だけ口にする。
「おいしい」
コーヒーの酸味が抜けて、風味もまろやかになった。とにかく砂糖を入れればいいと思っていたから、コーヒーミルクでこんなに変わるとは。
「高専で飲むときは牛乳を入れればいい。共有冷蔵庫に入ってるだろ」
視線は変わらず活字を追ったまま、さして興味もなさそうな態度のアドバイス。気づいてたんだ、私がコーヒー飲んでること。なんだか少しだけ、恥ずかしい。
「うん、やってみる」
伏黒くんのさりげない優しさに触れると、好きが加速して困る。虎杖くんを呼び出そうと盛り上がる女子二人には目もくれず、かといって離席もしない。どうしよう、やっぱり伏黒くんが好きだ。
「あれ?伏黒もいんじゃん、ミョウジも」
「早っ!」
虎杖くんは、さすがというか、なんというか。文句のつけようのない返しの数々に、好きになる相手を間違えたかな、なんて発想さえ浮かんでくる。
「さて、邪魔者は消えるわよ」
野薔薇ちゃんの一言をきっかけに、静かに立ち上がった伏黒くん。慌てて残りのコーヒーを飲み干し、二人の後を追う。
小沢さんは、自分の気持ちを伝えることができるだろうか。勝手に彼女の胸中を察して苦しくなって、わずかに回復していたメンタルは再び沈んでいく。
「ミョウジ」
「・・・?」
「なんか悩んでるなら、誰かに相談しろよ」
虎杖くんの荷物を抱えたまま、そっぽを向いてしまったことで最後はあまり聞こえなかった。でも、聞き間違いじゃなければ、俺でもいいって言ってくれた、よね?
「悩んではない、けど・・・」
店を出た先で、思わず足を止めてしまう。俯いた私の肩に、伏黒くんの大きな手が触れたからだ。
「いつもより顔色が悪い。伊地知さん呼ぶか?」
「えっ、いや、大丈夫、です」
真剣に私を心配する伏黒くんには悪いが、整った美しい顔がいつもより近くにあるせいで、体温は急上昇。顔色の悪さは即座に改善したことだろう。
今なら、聞けるかもしれない。どうして私のこと気にかけてくれるの?いつもよりって、どういうこと?それに、どうして私がコーヒー飲んでること知ってるの?
心臓の音がうるさすぎて、聞こえてるんじゃないかって不安さえ感じる。私も小沢さんのように、ほんの少しの勇気を出せば少し先の未来が変わるかもしれない。どれか一つでもいい、言葉にして聞いてみたい。
「おまたー」
「わっ、虎杖くん。早かったね」
「私の後ろを歩けよ」
合流した虎杖くんによって、会話は強制終了。あれこれ聞く勇気もない私には、ちょうどいいタイミングだったんだけど。むず痒くなる心に、もうちょっとだけ、あの空気を楽しみたかった。
「ミョウジも行こうぜ、ミミズ人間4!」
分かりにくい人を、好きになってしまったんだからしょうがない。駆け出した三人の後を少し遅れて追いながら、もう少しこの距離感を楽しむのもいいのかもしれない。そんなことを考えていた。

片思い歴再更新

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