小説

「おい、どこに向かってるんだよ」
俺の手を引っ張ったまま、歩くペースを緩めることなく猪突猛進に進むナマエに、さすがに一抹の不安が過ぎる。俺の予想が正しければコイツ・・・。
「ICカード持ってんのか?」
「・・・?」
「SuicaとかPASMOとかあるだろ」
ようやく足を止めて振り返った彼女は、なにそれと言いたげに怪訝な表情で俺を見上げている。変わらず感じる複数の視線に、いつでも走れるようにナマエの手をしっかり繋ぎ直す。気取られないよう視線だけで周囲を伺うが、物陰に潜んでいることしか分からない。かけられる時間は僅か、立ち止まることでリスクはあるが、この後の移動を考えると今しかない。
「いちいち切符買ってられねぇだろ」
「ぅわっ!ちょっ、私は山手線に乗りたいの!」
「山手線の改札は正反対だ、バカ」
負けじと俺の手を引っ張り返していたが、俺の一言に一瞬で抵抗を止めた。五条先生がわざわざホームまで迎えに行けと言った理由はコレか。しおらしくなった彼女の小さな手をもう一度握り直し、近くの券売機へと足を向ける。
俺が操作する画面を興味津々に眺めた後、出てきたカードのっているペンギンが可愛いと感動している。同じ場所に留まるのは得策じゃない、早く人混みに身を隠さねば。頭では分かっていても、コイツがこんなに喜んでいる姿を見るのは初めてで。
「それ、失くすなよ」
「うん!」
「行くぞ」

再び大勢の人が作り出した波へ飛び込み、あえてジグザグに進む。俺に置いていかれぬよう、必死に足を動かしているナマエには悪いが、木を隠すなら森の中だ。
「ねぇ、こっちが山手線なの?」
「なんでさっきから山手線にこだわってるんだよ」
「どれに乗ればいいか迷ったら、とりあえず山手線に乗れって五条さんが言ってたから」
「山手線は都心部をぐるぐる回る路線だぞ」
「えっ・・・、乗り換えなしで、どこでも行けるんじゃないの?」
バカか、こいつは。もれなくディズニーも中華街も全部東京だと思い込んでるパターンだろ。絶対にこの手を離してはいけないと心に誓いつつ、ショックに打ちひしがれているナマエを引いて歩く。
「やっぱり大人は信用できない」
かろうじて拾えた小さな独り言は、行き交う人の雑踏にかき消された。





* * *





「これ、なに?」
「ハッピーセット」
「なにがハッピーなの?」
「おもちゃがついてくるからだろ」
「じゃあ、私これ。恵はどっちにする?」
「なんで俺までハッピーセット頼む前提なんだよ」
幼児向けのラインナップが並ぶメニュー表を指さしながら、キラキラとした眼差しで俺を見上げるコイツに、いい加減嫌気がさしてきた。可愛い彼女さんですね、と微笑む店員を否定するのも面倒で、適当に選んだバーガーと飲み物を伝える。席までお持ちしますね、と笑顔を振り撒く店員に背を向け、店内を一望できる隅の席に腰掛ける。
「お前、高校生になってまでハッピーセット食いたかったのかよ」
「なんで?高校生は食べちゃいけないの?」
「・・・ハァ。もっとパンケーキとかクレープとか。女子が好きそうな食いもんあるだろ」
「そういうのは、五条さんに散々付き合わされたからいいの」
だからといって、“どうしても行きたい場所≠ェマックってどうなんだよ。大して腹も減っていないし、悩む時間さえもったいなくて同じものを頼んでしまった。
お待たせしましたー!と元気な声が店内に響き、目の前に置かれたおもちゃの袋に目を輝かせているナマエを見たら、ツッコむ気力も失せてしまう。
「見て、可愛い」
女児向けキャラクターのおもちゃ一つで、こんなに笑えるのか。中学の時とは大違いの雰囲気と態度に、実家は相当居心地が良かったのだろうと察する。あんなに泣いて帰りたくないと抗っていたのに。いざ帰ってみたらさぞ好待遇だったのだろう。
「俺のもやる」
「えぇっ!いいの!?」
そんなに驚くことかよ、そんなに喜ぶことかよ。どんどん下がっていく俺の機嫌とは対照的に、今まで見たこともない笑顔を見せるナマエ。その笑顔が眩しくて、同時に俺の心の影は大きくなって。もう少し様子をみてから話そうと思っていた話題を、感情のままに口走っていた。

花が散るように消えた、キミの笑顔

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